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住居メモ 01の1 ー 映画「麥秋」を見て(「一屋一室」日本の家)

映画 『麥秋』(松竹映画 1951年) 
脚本 野田高梧、小津安二郎
監督 小津安二郎
麥秋 (shochiku.co.jp) キャスト、あらすじ 参照

 鎌倉に住まうお医者さん一家の話です。医者夫婦と子供2人、医者の両親(老夫婦)と妹(小姑)の七人が木造二階建ての伝統的な日本家屋に暮らしています。一階は台所、ふろ洗面所があり、皆の集まる茶の間、医者夫婦と子供のスペースとなっています。二階は老夫婦と小姑の部屋があります。そこで起きる家族の出来事です。

 以下の写真は映画よりスクリーンショットで切り取ったものです。最初の6枚はすべて同じ二間続きの和室(茶の間?)でのシーンです。ある時は主人の書斎、ある時は一家団欒の食堂、あるいは夫婦や家族の話し合いの場、また、ある時は布団を作る作業場として、また、子供たちの遊び場にもなります。夜は場合によっては寝室にもなるでしょう。
 生活の場面、場面で役割が変化する畳の部屋の使われ方は当時の一般的な日本の住まい方です。

日本の古代の竪穴式住居は、藤森照信氏の言う「一屋一室」の原型と言えます。それが必要から床を持つようになります。神戸市の「箱木千年住宅」がその例で、近世の住宅の先駆けとなり、映画にみられるような近代の家まで繋がります。

 日本は高温多湿で植物の生育のための環境が整っています。木を伐採しても植林して60年も経ると十分に育ち材木として使用できます。山の斜面で育つ桧や杉は冬の寒さに耐え十分な強度を持ち、住宅の柱や梁などに使われて来ました。これらの木で作られる伝統的住宅形式と日本民族に本来備わっていたであろうメンタリティと相まって、長い時間を掛けて日本人を作り上げてきたと言えるようです。(木造軸組工法と日本人)

 この映画の時代の日本家屋は襖、障子、ガラス戸等の可動間仕切りで仕切られています。可動間仕切りをすべて外したら、家のこちらから向こう側を見通すことが出来ます。したがって内と外の連続性が高く、自然を身近に感じ、自然とともに暮らす生活を送ってきました。風が抜け、花鳥風月に親しみ、西洋人には雑音としか聞こえない虫の声さえも楽しむ豊かな文化を育ててきたのです。(屋根の位置が高くなり、家の内と外の関係の変化もその発展形と言えます。)

 また、襖や障子による音の遮蔽性が乏しい中で、家族はその発する音を聞き、気配を感じながら生活しているわけです。改めて言葉を発することなく、また西洋人のようにキスやハグで確認する必要のない関係が確立されているのでしょう。知らず知らずのうちに周りを気遣い、他人を思いやり、自らの立つ位置を知る日本人の複雑で細やかな心が育つようです。(「一屋一室」の家として機能しています。)
 ドアのある個室に個人が独立して居る西洋のキッパリとした人間関係とは異なります。

家族団欒
書斎として
着替え 洋から和へ
布団作り
話合い
子供達の遊び場

 次の一枚の写真は勉強机に二人の子供のいる場面です。それは玄関の脇に位置しています。この小部屋も襖で仕切られ、家族全員に見守られる場所に設けられています。子供同士の遊びの中や、大人との日々の交わり、この映画では鉄道模型とその線路をめぐる親子の確執が事件として描かれています。機嫌を損ねた子供は弟と家を飛び出します。「一屋一室」の家の中には立て籠もる場所がないのです。家は子供にとって日常の些細な出来事や事件を通じて日本人の考え方や、やり方を自然と身につける躾や教育の場になります。

 こうして成長に従い、知らず知らずのうちに大人の世界に溶け込んでいくわけです。

机と子供達

 『麥秋』は70年余り前の小津監督の傑作ですが、現在の西洋風の「LDK(居室) + 個室」の住まい方とは違う懐かしさがあります。

 それに反し、新しく建つ住宅はいつの間にか、「LDK + 個室」の西洋型になっています。その上、多くの家庭は核家族で人間関係も複雑ではありません。

 この映画の「一屋一室」の住宅の住まい方は古い過去の郷愁でしかないのでしょうか?

(19/10/2024  編集)

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