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そんなに変わるのあり?

イタリアの食とアート
 
 私はイタリアのローマに3年半暮らしました。もうだいぶ時間が過ぎ‘昔は’という言葉が相応しいくらい昔になりました。最近はYouTubeはじめインターネットに海外の映像や情報が溢れ、外国が身近になったような気がします。

 生活して体験したことを基にそれらの情報を見てみると、イタリアの変化は大変に緩やかなように感じられます。日本と違い戦争による断絶がないので、より変化が少ないのかもしれません。
 
 マンジャーレ、カンターレ、アモーレ(Mangiare, Cantare, Amore)の三つの言葉を並べイタリア人の陽気で楽しい人間性だけが強調されていますが、彼らはヨーロッパの中で一番健康で長生きだそうです。もちろん、それはその楽天的な性格による部分もあるでしょうが、彼らの食生活がしっかりと確立しているということが大きいと思います。
 
 肉やチーズなどの乳製品を欠かさず大量にとるイタリア人が我々の常識からして健康だというのが不思議です。
 
 彼らの歴史は長く、古代ローマ、ルネッサンス、バロックと世界の中心であった時代を含め2000年以上に及びます。その長い歴史の中で健康な食べ物を無意識の中で選択するとともに、人間の体も微妙に変化させ適合させてきたものと思います。
 
 地中海の豊かな気候の中で生育する、オリーブ、レモンなどの柑橘類、葡萄とワイン、豊かな野菜類、小麦などの穀物類(すでにシーザーの時代に小麦は兵士を元気に活動させることがわかっていました。)があり、アフリカからやって来たコーヒーもあります。また、牛やヤギのミルクから作るチーズやヨーグルト、ブタの肉から作る生ハムやソーセージなども美味で、豊かな自然からの恵みに溢れています。それらの豊富な食材で長い時間を掛けて健康な食を構築してきたのです。
 
 人間、健康で長生きしたいと望むものです。食は健康の基、保守的にならざるを得ません。

 イタリアでは食べるものだけでなく、食材も安いからと言って代替品に変えることしませんし、チーズなどの作り方も変えないようです。ワインの代わりに他の酒を飲もうともしませんし、安いオリーブオイルなどもっての外でしょう。

 出来上がったシステムは一つの部品を変えることでどのような結果になるか確かめるには大変時間が掛かります。
 
イタリア人は食に関して大変保守的です。
 
 一方、人間は新しい刺激を求め行動する部分もあります。以前、『形と視覚 ⦅視覚の特性⦆』の中で視覚による刺激は、他の聴覚、味覚、嗅覚、触覚などの刺激に比べインパクトが大きいが、すぐに飽きてしまい、新しい刺激を求めると述べました。  

 その性質を利用した仕事がファッションやデザインの仕事です。
 
 イタリア人はこの分野で能力が高く、素晴らしい製品で世界をリードしています。次から次へと新しいデザインが生み出されイタリアの一大産業になっています。

 食に関して保守的であった分、ファッションやデザインに関しては‘新しいもの好き’で、貪欲に変化を求めるのでしょう。
 
 デザインは次から次へと新しいものを生み出し変わっていかなければならない世界です。変化を楽しむ世界です。
 
 変わってはいけない食の世界と、変わっていかなければならないデザインや芸術の世界と、たて分けが明確にされていることが、長い歴史を持つ文化が存在することの証だと思います。
 
我々日本人はどうでしょうか?

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