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新築ばかりが選択肢ではない−Ⅱ

古家にこそ個性を生み出す可能性がある。
 
 令和4年4月20日の投稿「新築ばかりが選択肢ではない」では建築費の高騰や、IT革命により雇用の先行きが見えず、20年30年のローンの利用が現実的に不可能と考える人が増え、より安く家を手に入れるには中古住宅の購入が一つの選択肢となりえるのではないかと分析しました。
 
 現在、800万戸を超える空き家が日本には存在します。しかし、より古い住宅はデザイン的にも環境的にも現在のものより劣ったと考えられています。しかし、その分、購入価格は安く、手に入れやすい物件といえると思います。中には土地代だけで手に入れられるものもあるようです。
 
 最近、古着を買う機会が時々ありますが、一度、他人が袖を通したものを求める積極的な意味とは何かを考えてみました。もちろんその安さは第一のものでしょうが、ほかに理由があると考えられないでしょうか。
 
 令和4年3月14日投稿の「形と視覚(視覚の特性)」の中でモードとは視覚の飽きやすさを利用したもので、常に新しいものを求める人間の欲望に訴え、毎年次から次へと新たなデザインが注目を集めると述べました。
 
 新しいファッションも時間が経つことで流行の持つ魔術が失われ、服の本来持っている本質があらわになり、自らの体形や好みや着こなしのセンスに合う選択が容易にされます。それが古着の持つ意味だと思います。
 また、これだけ時間が経過すればもはや同じデザインの服を着る人はいないだろうという優越感も存在するように思います。(どこで見つけてきたの?)
 
 一方、買ってしばらく、例えば10年、身に着けることができなかった服や靴が、在る時しっくりくることがあります。これはモードの幻惑から自由にならないと身に着けられないということでしょう。
 
 住宅においてもその流行は服ほど顕著ではありませんが、確実にそれも巧妙に存在します。ファッションほど派手でないだけに逆に始末が悪いかもしれません。服は10年後に目に触れることはありませんが、住宅は10年後に確実に存在します。流行は常に目新しさを求め、古いものをみすぼらしいものに貶めます。ファッションと同じで住宅も古いデザインは新しいそれに大きく劣るように見えるのが常です。それは特に服はそれを着る人に、住宅はそこに住む人に迫ってくる感覚です。
 
 古いものは経年劣化が進み価値の劣るものと考えがちですが、昔と今の差はもっと複雑です。時間とともに職人の技術は失われ、伝統に培われたやり方も安易なものにとって代わられています。昔の技術を持った大工はほとんど見られなくなり、しっかり土に根差した家もコンクリートで固められた地面の上で無機質なものになっています。もちろん科学の進歩による技術の反映された部分もあるので進歩と退歩がまじりあった複雑な現在であるといえます。
 
 古着の意味について述べましたが、古家はどうでしょうか。もちろん経年変化による劣化についてはそれぞれ調査が必要です。家屋調査士による建物の見えない部分の調査を行った上のことではあります。前に述べたように、流行の呪縛を解かれた服は客観的なコーディネートにより、着る人のセンスによって生まれ変わります。それと同様に古家も今の時代のコーディネートにより個性的に新しく生まれ変わる例が最近ネットでよく見られるようになりました。個人のセンスの向上、ネット等で簡単に勉強できるようになり、よりたやすく情報も得られるようになりました。
 
 個性的な住宅に住まうことが安価に可能になることにより、例えばダイニングテーブルや椅子など無垢材でできた高価な家具が使え、また、ローンの負担が少なくなった分、レジャーや教育に掛けるお金に余裕が生まれ生活が豊かになります。
 
 東京は土地代がべらぼうに高価であり、古屋といえども取得するのが困難であります。親の住んでいた家(自分が育った家)、田舎に所有している物件等があれば、在宅勤務が可能となった昨今、東京を脱出して田舎に住むこと可能ではないでしょうか。
 
 これだけネット社会が発達したということは、既成の家探しに自分の人生を委ねるのではなく、自ら積極的に方法を見つけていける楽しい生活になった、主体的に生きる時代になった、ということでしょう。
 
 もしかしたら、定住でなくて、家もモバイルになるかも知れません。

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