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開運力で転職が成功に導けるのか!#14

「この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。               <み~さん>

第二章 16回の転職
<別世界の体験>


早くからバイトをして大人の社会と接点を持ち、世の中が少し分かり始めていたと思っていた。しかし諏訪に来てからは別世界に入ったのです。「刺激がある生活を体験している」と言えば何かよさそう、楽しそうに感じられるが、刺激はが毎日続くのは自分にとって苦痛なんだと思うようになったのです。私は数秘4をもっており安全・安定・安心を望む人だったことをずいぶん後からわかることになるのです。


私は自動車免許を梅雨が終わるころ取得しました。休憩時間が4時間ほどありましたからアパートをかり庖丁の使い方を勉強したり、教習所に通うことも出来ました。教習所では第二段階で縦列駐車ができなくて進級に時間がかかったのを覚えていますが筆記試験は何とか一度でパスをしました。仕事場は相変わらず親方がいる間は庖丁を握らせてはくれませんでしたが、その頃私の仕事はワカサギのパン粉つけになっていました。

多くのホテル・旅館がワカサギの食べ放題をやっていたのでうちの旅館もやることになったのです。それが結構つらいのです。私以外は宿泊客の献立を作っていましたが私一人ちょっと離れた板場の隅の薄暗いヒンヤリした場所で一日中パン粉をつける仕事でした。親方からは見えない位置だったので怒られることは無かったのですが、ワカサギの量はが半端ないのです。

食べ放題があるときは10キロほどやらなければならないのです。一匹7センチから10センチ位のワカサギですからかなり量で時間がかかるのです。あるとき、どうにかして早く終わらせようと策を練りピンときたアイデアを実行しました。薄力粉つけ、玉子につけ、パン粉につける作業をざるに1キロほど入っているワカサギに薄力粉と玉子を解いたもの混ぜてパン粉につけました、これで簡単に終わると思い実行したのです。しかし、想定外、ワカサギが玉になってしまい、つけられない状態になったのです。

これを親方に見られた滅茶苦茶にどやされると判っていたのであせりました。運よく見つからなかったので良かったのですが、それからは一匹ずつパン粉をつけることにしました。お昼までに間に合わせなければならないのでやり続けてていました。当初は4時間かかったものが3時間位で終わることが出来るようになったのでワカサギのフライ付けなら誰にも負けないと勝手に自負していました。

その頃です、フロントの鈴木さんから呼び出しあり松の間に行くようにと言われました。何かしでかしたのだろうかとちょっと不安を抱え戸をを開けるとそこには良く知っている顔がありました。その男は背広にネクタイをしてシャキッとしていた父でした。その横にいたのは当館の社長で私の為に父が挨拶にきたようなのです。その時の父の口上がなんとも変で恥ずかしく思いました。「戦時中、私は塩尻のニコンで軍事部品を作っていまして穂高から働きに来ていた女性と結婚をして男子を授かりました。それがこのせがれです。鯉は放された場所に戻って来ると言われていますがせがれも同じでここで働くようになったのでしょう」などと話しておりました。社交的なのかデパート高島屋の売り場でどうしてここに来たかを店員にいちいち説明するような父でしたしたからこのくらいの事はしゃべるのは当たり前の事だったのでしょう。

何故、突然来たのか?たぶん3月に「二度と敷居をまたぐなと」喧嘩して出て行った私を心配したのでしょう、これで家に戻ってきてもいいよということだったと私は思いました。話はテレもあり仕事があるからと早々に板場にもどりました。翌日にチェックアウトの時にフロントに呼び出され見送ったのです。


そして5か月を過ぎた8月、あるショッキングなことを体験しました。バーテンの岡本さんが飲みに行くために私を誘ったので私は岡本さんとまだあったことが無い日馬を紹介がてら私が誘い出かけました。面白く機転がきく岡本さんは18歳の子供の私と日馬を喜ばすことなんて簡単でしたからつい私たちは飲み過ぎてしまったのです。酔っ払って岡本さんのマンションに泊まることなって布団を引き寝ることになった、まあ夏でしたのでそう寒くはないので敷布団を横にして岡本さん、日馬、私と川の字で寝ることとなりました。

眠りに入ったと思ったら日馬が私をゆすり起こすのです、初めは無視していましたが何どもしつこくするので「なに」と聞いたら、変わってくれと頼むです。しょうがないから私が真ん中に変わり寝入りに落ちました。すると何か異変を身体に感じたのですが朦朧としているので寝にまたはいるのですがまた下半身に違和感を感じ目が覚めました。

「なにかある!」と思った瞬間、掛け布団をはぎました。すると私のパンツの上に血走ったと目というか赤い目をした顔がありました。それは岡本さんの顔でした。「な、何してんですか!」と私も初めての体験でびっくり仰天するわ、目上の人でしたがきつい口調で怒りました。「すまん、ごめん」と言いその場はおさまりましたが、それまではこんな仕草はなかったのでこの時、はっきりとホモなんだと確信したのす。本当にショックでした。

翌朝仕事に日馬と出かけた時に日馬もさんざん触られたいきさつを聞かされました。それからというもの岡本さんは素性がバレタので紳士的だったこれまでの態度が一変し、ことがあることに笑を取りに「さあ、なめろ」と自分の下半身突き出しながら言う人になってしまいました。そんな彼が半年後にいなくなんてその時は考えもしなかったのです。

続く


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