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開運力で転職を成功に導けれるのか!#8

「この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。               <み~さん>

第一章 独りで生きて行く
<岐路>
高三になり大学受験か就職を選択する時期が来ました。前にも言いましたが当高は進学校ですから就職する人は皆無です。私もこの時点では三流大学でも入れる大学あればどこでも良いと思っていました。条件は家から通えない大学であれば良しとしていました。

成績は内申点はCランク、一般受験には 自信がなかったので推薦で入れればと思っていました 。まあ、甘い考えでしたね~。志望大学は京都のまだ無名の比較的新しい大学で 推薦+試験があり、試験日の前日に京都駅の近くの受験生だけが宿泊する旅館に行きました。

京都は中学生の修学旅行以来です。高校受験を思い出していました。あの時も一度も高校受験日まで一度も下調べもせず高校の名と自分の成績ランクだけで選んだ自分でしたが、今回も全く同じで土地勘もなく、下調べもなくイメージで決めたのです。そんな安易な私で学校の1人の推薦ですし新設大学ですから合格すると「高を括って」いました。試験会場に行って先ずびっくりしたのは真剣そのもの受験生、殺気だっていましたがそんな受験生を見ながら余裕をかましていました。

ところが英語の試験問題を開いてみると「うわ~」「なにこれ~」と思いました。知っている単語がありません、分かるのはごく簡単な動詞と人の名前でしたから長文は全く理解できませんでした。この時点でもうムリだな、受験は失敗と悟ったものでした。

かすかな希望を持ち大学からの通知を待っていた私の前に郵便は案の定、絶望の不合格でした。これを受け取ったのは10月の終わりで「さらに入学を希望するなら1月の一般入試で再試験できます」と書いてありましたが目の前は真っ暗で当然受験はしませんでした。本来ならまだ近郊の大学であれば受かるところもあったかもしれませんがどこも家から通える範囲でしたので、それが嫌で就職を選択しました。

その頃、ドラマの「前略、おふくろ様」が人気で私も毎週楽しみ見て、板前っていいな~なんて思っていましたから、ピンときて「そうだ!板前になろう」そうすれば家から出れると考えたのです。12月に入り、ふいに「大型漁船の船員にならないか?」という話が姉から連絡が来ました。なんでも一度出航すれば一年は戻れないマグロ漁船でそれまでは、板前しかないと思っていたのに、あまりよく考えず、稼げるお金が桁違いで、世界が見られる、稼げる、家から出れると言う三拍子揃った理由から船員になると即決断しました。浅はか私です、すでに妄想が独り歩きしていう状態で気持ちは船乗りで、私は世界の海洋二いました。

出航は1月下旬でしたので卒業式は出られないがそれもいいかと思っていた矢先に私の代わりに経験がある人が船に乗ることになったと言う知らせが姉から伝えられ「なんで?」と姉に腹を立てたものですが、乗らなくてよかったのです。

2月下旬に私の代わりに乗った人がフィリッピン沖で嵐に出くわし、作業中に海に落ちて亡くなったと聞かされました。自分が乗っていれば同じ目にあったかもしれいと思うと・・・亡くなった母が助けてくれたのかななんて思いました。

つづく



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