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開運力で転職を成功に導けるのか!#59

転職を繰り返す事15回、16回目に起業する。当初の5年は右肩上がりだったものそれからは鳴かず飛ばずの状態であった。その後手を変え品を変えで続けた25年間が過ぎ解散。

そして今は占い師となってアドバイザーを続けている。売上がままならない時期に占いを勉強し始め、自分の運気、運勢を調べて行いった。今になるとこれまで長く続けられた理由が分かった。それは運勢の良し悪しの時期に自分が行動を起こしていることが判った。

経営者は孤独である。しかし自分で運勢が読めれば失敗はしないと言うより不安は少なくなるものだ。そして進みゆく道が見えてくることが判断出来る。この第5章は自分の運勢と行動を当てはめ行くことにする。

第1章から第4章までは転職の話だが第5章から運勢を私が見ながら進んで行く。どうやって集客をしたら良いか?どうやって売って行ったのか?どうやって存続させる考え方を持ったのか、失敗と成功を書いたものである。

マガジンに掲載中(まとめ)
第1章 #1~#9 第2章 #10~24 第3章 #25~#40 第4章 #41~#51

 

第5章 最後の転職

<身から出た錆>

新店舗に移り、店長も産休に入り、売上もパッとしない日々が続いていました。新規の会員はパラパラですが増えていて、パッとはしない売上はリピーターの来店でどうにかやっていました。

新宿店より売り場面積が10坪位広かったのでかなりの商品が入ってしまう。いっけんお客様がいろいろ探せて良い話のように思えるが実は顧客の心理は違うのです。バックスペースを広くしてそこから顧客にある品を見せる方が買う率は高いのです。

簡単に言うと特別感があるのです。みんなが見ている品ではなく、私が一番最初に見たみたいな気分になると嬉しいものなんです。したがって顧客がそこに立ち止まらず素通りしていたので何か別の方法を考えていた。

私は、本を出版した頃に占いを習いに新宿や恵比寿にある学校に通い始めた。理由は固定客をもっと増やしたいと言う気持ちと自分の運勢を知りたくなったからでです。

これから占いサービスを始めたいと店長に相談したことがあるが直ぐに却下された。1995年から2000年に霊感商法で被害を受けた人達が多く出たので占い=霊感に繋がり、ブティックで占いを使って買わせると見られると店長は心配したのです。

反対されたので個人の勉強で店では使わないと言う約束で習い始めたのです。当然習えば使いたくなりますので何処か実践的に出来る場所は無いか考え、起業家ネットワークのキープラネットで提案しそこでビジネスに使える三占術を開催したところ大変反響が良かった。

それから時々キープラネットの会員の事務所やキープラネットのメンバー店舗で「集客に使える」と判断した社長がセミナー開催をやりはじめたのです。けっこうなセミナー以来されたのです。

セミナーを参加した人の中でTV関係者がいて、TV番組出演しないかという話が舞い込んだ。先ずWOWOWで「はるな愛のアジ美」という番組で占いコーナーを担当することになった。

当時、マクロビオティックがブームになりかけていた時期で私も習っていたので、番組に「食べて開運」する話を提案した結果、採用になった。

放映後、TBS・NTVからお昼の番組に出演依頼が来ました。そんなきっかけで店長も占いに対して良いイメージを持ったのか店でも占ってもよいと許可されたのです。TVの影響はすごいもので、以前に王様のブランチで「リメイク」の話で一日中問い合わせがあったこと思い出しました。

運勢的には私が最も輝ける2年間がこの時期でした。

この頃は乗っていたのもありますが札幌に再度、店を出す計画をします。 当店から独立をした店名がビスタ店はそこそこの売り上げを作っていて、売上を聞くと羨ましいと感じていましたし、札幌が好きで札幌に出張出来ないのが不満であったからです。

そして池内デパートからテナントに入らないか打診があります。すぐさまスタッフの当てもないのにその話に飛びつきました。この我欲によって、自分の首をさらに苦しめることになるのです。

先ず、ビスタ店に相談しました。その頃、ビスタ店に不足分があると当店から委託で商品を貸していたからでお互いにWIN=WINの良い関係でいました。売れないものを札幌に回して売って頂くことにしてたからです。

ビスタの元スタッフに池内デパートに出したいと話すとあまりいい顔はしません、当然、ライバルになるからですし、商品は私の方が沢山持っているわけで彼女らにとっても死活問題になるのです。

しかし、渋々ですがスタッフがいない事を知るとあるお客さんの平井さんを紹介してくれます。そのお客さんを店長にすればいいと言ってくれるのでその話を平井さんにすると即決しました。ビスタ店のスタッフによると「まさか」だと思ったのです。私が平井さんに話、その話に乗ると思わなかったと数年後に聞きます。

急な開店の話だったのでもう一人はマネキン紹介所から派遣して頂きました。接客をしたことがない店長と派遣員ではインポート服を売る事は出来きないと初めに思うべきでしたが、やることが前提でしたので「どうにかなる」なんて思っていたのでしょう、安易でした。

それをはじめから判っていたのでしょう、平井さんを推薦してきたのです。そして断るはずだと思っていたのです。毎日、0円が続いたものです。

電話越しで売り方を私が教えるのですが中々判ってはくれません。販売はセンスです。商品が生きるも死ぬのもスタッフの力だと言うことを良く知っている私でしたが0が団子三兄弟とつづき、更に続くと無謀な事をしたと後悔の日々でした。
しかし春から始め4か月を過ぎたころから商品が売れるようになってきました。大した売上ではありませんでしたが店長は自信をもってきたのでしょう、しかし値引きのし過ぎで利益は出ていません。そんな話をすると私の意見を聞かないようになりました。その直後でした。電話で喧嘩をしてしまい、店長はやめる方向になります。「辞めるならやめろ」と言う姿勢だったのでしょう2か月後に辞める話で決着は付きました。

そこで2か月後のスタッフの手当をしなければならいのでそこで以前から知り合いのバレンチノで働いていた久慈さんが店を辞めると聞いたのでスカウトしました。これでインポートを扱ったことがあるスタッフになればどうにかなると安堵したのですが、急にビスタ店、平井店長とスタッフから抗議が入ります。

簡単に言うと「久慈さん」を入れるなと言うのです。理由は判りませんが、いつになく物凄い抗議でした。独立したビスタ店の委託の商品と池内の商品を自分が管理するようなことを、久慈さんが入社前にビスタ店や平井さんに話をしたらしいのです。

当然誤解なのですが、収拾がつかなくなり、そこで彼女を使うのは断念した。迷惑をかけたことでスタッフを紹介してくれることになりました。彼女の友達ですが責任ある仕事で出なければ働くが店長だったら働かないという変わった女性でした。この女性が私の代りで店長の適任がいると言うことで彼女の元上司で店長だった谷さんを紹介され二人同時に採用したのです。

これがさらに大失敗になります。採用が決まり働く姿を見ていたら大手にいたせいかきびきびと働いていたので良い人を雇えたなと思って東京に戻ったが日々売上0が続く、最初だからしょうがないと思っていたが、いっこうに売り上げはんく、逆に売り上げは以前より悪くなります。

すると、頻繁に盗難があったと連絡が出てくるのです。忙しい店なら盗難もあるかもしれないが暇なうえに2人スタッフがいるのでおかしいなあと思っていた。

当然在庫もあわないのですが、理由を聞くと盗難だという。取られたものが長靴だとかバッグだとでした。池内デパートに聞いてみると当店だけの被害らしい。

今思うと想像ですが東京と札幌は離れているので治外法権。スタッフ同士が馴れ合いでやっていたんかもしれません、証拠はないのでから・・出勤もなにのにタイムカードが押してあったりしたので、もう信用できなくなり閉店を考えました。

彼女らが入社して2か月たち12月末に翌3月に閉めることを伝えました。400万をかけた内装も無駄になり、池内にも伝えところ、翌年1月中旬になってこの場所をそのまま借りたい人がいると聞かされるです。

この人は株で大儲けして現在は卸の仕事していた。そしてコピー品を販売するような人であった。ちょうど彼女は店舗を持ちたいと考えていた時に池内から話を聞いたと話してくれた。

彼女はインポートをやりたいと言い出しイタリアで買付もしたいと話す、しかしインポート商品の事を知らないので知っているスタッフがいればすぐにでも動くと言った。私は4か月前に話をした久慈を思いだし、オーナーに紹介し合わせたら意気投合して、2月にイタリア買付なんと3月から店舗をオープンさせました。急転直下の話になったのです。

私としても棚からぼた餅でした。売上は無かった店でその上、スタッフの件で散々悩まされた店です、スケルトンしなくてはならないがこれでなくなりました。そして仕入手数料も入って来ることになったのです。それがこんないい条件で閉めれるならと喜んだものです。

まあ、どっちにしても損は取り返せないのです。まあよかったのはそれから3年間、買付の手数料がかなり入ったことです。それは久慈がスタッフになって売ることが上手かったのです。

初月で500万を叩きだしました。当店の時の10倍です。当店が10月に彼女を採用して働かせていたらと思うと残念でなりませんでした。

しかし、久慈とオーナーが店の運営について3年目でぶつかります。それで閉店になりオーナーと久慈は別々な場所で店を開くことになりました。つまり、実力がある人間は最終的には飛び出す運命なのかもしれません。

この時の運勢は私には印星が廻ってきて前年度から一変して停滞するという歳廻りでした。この頃は父の遺産が入り気分的に気が大きくなっていたこともあり運勢が多少悪くても乗り切れると思っていた節があります。結果とっても大きな損失を蒙ります。


資金があっても我欲で決めていくと碌なことはありません。販売はスタッフが肝心、人を育てることが先決なのは判っていますがその時間もなく、零細企業に良い人材が入って来ることは無理でスタッフがいないのに店舗を増やすのは言語道断なことである。

特に目が届かない場所の出店ならいっそうスタッフとの信頼関係を気づかないと直ぐに崩壊してしいまいます。この件でビスタ店とも信頼関係が途絶え疎遠になってしまい東京で売れ残った商品をを処分するのに困ったものでした。

すべて身から出た錆なんでしょうね~。

利益を追求するのは悪い事ではないのですが、よこしまな考えはこんな失敗を生み出し、良い関係も不条理な事をすればお互いに奥歯に物が挟まった状態で連絡をするのが多くうとなるのです。

どこか私が偉いと思っていたのでしょう、だから何をやっても許されるなんて高を括っていたのでしょう。


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