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開運力で転職は成功に導けるのか!#13

「この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。               <み~さん>

第二章 16回の転職
<荒くれ者がいっぱい>

親友の日馬は二か月遅れに諏訪に入ってきた。到着してすぐに話したのは彼がもっとも喜ぶ「ストリップ劇場の入り方」の説明でした。彼も私と同じような長髪だったので、こちらの親方に注意されるはずなので横浜で髪を切って来るように伝えてあった。だから怒られることもなく初日からスムーズに問題なく働けたはずです。

彼の働く旅館は緑水荘と言ってうちの親方が懇意にしていた緑水の親方に日馬を預かってもらうように話をつけたのです。だけど給与は私より6000円多かったことを覚えていいます。緑水荘はうちの旅館の倍以上大きくランチ時にバス団体ツアーをいれていました。この時期、諏訪湖名物のワカサギを使って湖畔の大きいホテルや旅館はどこでも「天然のワカサギの食べ放題」などして、旅行客を集めいていました。後で分かったのは諏訪湖で取れたワカサギではなくて養殖、カナダ産を使っていたのでした。

初日から日馬は忙しい中に働く事となり、私とは違っていろんなことをやらされる羽目になったそうだ。団体が入っている時は、ほとんど休憩がない状態で一日中働かされていたと聞かされていました。そんなわけで、うちと目と鼻の先の歩いて5分位にあった割には彼とはたまにしか会うことができなかったのです。10日間経った頃でしょうか私が連絡をして会うことになりました。
「どうなの?仕事は?忙しそうだよね!」と私。
「いや~、忙しくて忙しくて参るは~」
「部屋はあるの?俺は大部屋でさ~」
「自分の部屋?あるよ、それは可愛そうだな~」
「庖丁は触ったり、使ったりしているの?」
「初日から使ってるし、アジとか三枚おろしもやらせてもらえるから楽しい、ただランチがあるから休みが無いのがつらいし、休憩があれば寝てる状態なんだ、ワカサギの食べ放題が始まっていたので大広間に屋台を置いてお客の前で揚げる事もやったよ!・・・・・・お前のところはやってないの?え~ワカサギのフライも上げたことが無いの?」なんて言われ待遇にちょっとショックを受けたのものです。

彼の給与日に合わせて酒を飲みに行くことになり繁華街を歩いているとガラが悪い男に声をかけられました、まっさんの友達の田岡さんでした、チンピラ風でやんちゃなボンボンの彼は駅前のビジネスホテルを経営している父がいてお金には困って無いらしいのですが、酒を飲むと人格が変わり切れて暴れる男でした。

昨年、私は彼に一度だけ会ったことがありました。私が昨年霧ヶ峰のホテルでバイトをするはずでしたが急用ができ行けなくなったことがありました。それで、私の代わりに日馬が初めて旅館のバイトをすることになったのです。彼は私が蓼科で夏のバイトをしている時に横浜から50ccのバイクで遊びに来たとき挨拶程度ですがまっさんと会っていました。このことがきっかけで可愛がられるようになりました。まっさんは旅館の板場で田岡さんは旅館に食堂があり、そこで一般客にラーメンやカレーライスを作って出していて、日馬も食堂の営業時間はそのお手伝いをしていたので仲が良くなっていたのです。


日馬は諏訪に来て数日後に、暇を見てたぶん一度は彼に挨拶にいったのかもしれない。私は一度位しか会っていないのでしなくても良いと思っていた。しかし彼はまっさんと兄弟の杯を交わした仲なので挨拶に来ないのはおかしいと道の真ん中で説教をはじめましたのです。彼は酔っていました。周りの人は白衣を着た板前がガラの悪い男に絡まれてるのを知ってか知らずか通り過ぎて行き、30分位経ったでしょうか、彼も言うだけいって腹が収まったのでしょう、そして街の中に消えて行った。すべて私への説教でした。この件と真冬の霧ヶ峰での青天の霹靂とも思える悪い出来事もあり、ここはもしかしたらずっといてはいけない場所なのかもしれないと思い始めました。

日馬はまっさんの知人に好かれていましたが私は嫌われていました。私に比べ明るく気さくな性格が買われて後に彼らの用事も気軽く引き受けたりしていたので彼らには受けが良かったのでした。それに対してまっさんの言う事しか聞かない他の連中に無愛想な私はガンコで可愛げなかったのでしょうね。でしたからです。しかし後になってこんな態度が幸いになるのです。

梅雨に入り、旅館の正面の小さい庭に青色のアジサイが満開になった頃だったと思います。まっさんから珍しく南湖荘に電話がありました。
「今から飲みに行くから日馬を誘って仕事が終わったら来い」と連絡が来ました。日馬に連絡したら残業で終わらないと言われ、めったにない事なので着替えることもなく白衣で一足先に指定したスナックに行くことした。

そのスナックは繁華街のはずれにあり、白壁に黒い曇りガラスドアがあり上の方にゴールドのシールで「ライム」と書かれていました。中に入ると照明はかなり薄暗くて、目が慣れてくるとどのボックスにもお客がいるのが分かりましたが、近くに寄らないと顔ははっきりと認識はできませんでした。少し探しましたが一番奥にいるまっさんを見つけました。4人掛けのボックスシート3人座っているのが分かりました。マッサンは奥の正面に座っていてもう2人の知らない男性が後ろ向きに座っていました。


「お~来たか!ここに座れ!」すると2人がこちらに振り向いた。
「兄貴、さっき話していた舎弟だね!」と身体の大きい迫力のある男が言った。その時ちょっと困惑したのを覚えています。舎弟っていえばやくざの下っ端のこと<え~舎弟って俺の事?いつから舎弟?>と思っていました。この状況が判らずマッサンの横に言われるまま座った。なんかやばい場所に来てしまったなあ、断ればよかったなあと思いつつ様子を見ながら「はじめまして~」とうつむき加減で二人に挨拶をしました。

顔を上げ正面を見ると角刈りの目が細く角ばった顔をしていかにも悪そうな雰囲気の40代位の男がいた。話を聞いていると刑務所の刑期をすませ、仕事を探しに諏訪にきたらしい、まっさんが石の採掘現場を彼に紹介したらしいのだ。たまに「はい」「よろしくお願いします」と低い声でそれに無表情なのでいっそう不気味で迫力があったので早くこの場を去りたかったのですが、突然「おい、酒が無いぞ!」まっさんの事を兄貴と呼んでいる大男から命令された。

私が何して良いか分からずもたもたしていたので「ビシッと」大男が軽く私の顔をひっぱたいた。<何をするんだ~急に!>と思った。「こいつ、まだ高卒でまだこういうところは知らないので気がきかなくてわるいな、おいおい覚えさせるから」とまっさん。
「そうか、だったら今日教えるからな!客人のグラスに飲み物が少なくなったらお作りしろ、たばこを吸うと見たらライターに火をお付けしらろ」と大男に言われた。

雰囲気は元やくざだったまっさんとは全く別でしたし、ピりピり感が半端なくものすごく漂っていた刑務所上がりの遠藤と名乗った男はやくざなのか暴力団なのか素性は判らなかったけどとにかく怖いと思ったのです。それから何度か呼び出しの連絡があり、その都度見知らぬ男が現れ私に命令したものです。人数が多い時もあり、いつものようにお酌してまわり酒を飲まされ、酔っ払って手元が狂いへまをすると「ちんたらしてんじゃない!」とか言われひっぱたかれたものでした。それが嫌でまっさんからの誘いも「仕事あるのですいません」と2回に1回位から断るようになってから8月に入りすべて断りはじめました。その代わりにというか田岡さんが日馬をちょくちょく私の代わりに呼び出し同じようにさせられたと後から日馬から聞いた。

この頃から私はまっさんが別な顔を持っていると初めて知ったのです。このままここにいれば横浜には戻れないのではないだろうかなんて悪い嫌な予感をがしたものです。

つづく



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