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開運力で転職を成功に導けるのか!#17

「この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。               <み~さん>


第二章 16回の転職
<死番虫>


身近な人の死が近づくとコツコツと家の中で時計の針が打つような似たような音がするときがある。これは死番虫のせいだと言われています。私が最初に出会った身近な死は母でした。その時はこのコツコツとした音はきいていませんが亡くなる前に大きなクロアゲハ蝶を見た覚えがあります。それ以来なのかわかりませんが、今でも蝶や蛾は大の苦手です。


「こつこつ」この音を聞いたのは横浜の自宅でした。私は諏訪から戻ってきたのですがその夜に出来事は起こりました。一年ぶりに帰ってきた自分の部屋は全く変わらず居心地の良い空間でした。明け方に「こつこつ」と耳障りな音に気づき目が覚めました。時計を見るとまだ3時半頃でしたので、もう一眠りでもするかとまた寝に入ったのですが5時ごろ自宅の電話なります。

電話は玄関の靴箱の上に置いてあり、電話が「リリリーン」と数回なっても両親は出ないので私が二階から降りて12,13回目の呼び鈴で受話器を取りました。

「もしもし」「お~キンか?」この声を聞いて嫌な気分になった。電話口にいるのは私に車を売ってくれたマッサンの舎弟の山田でした。この男は強い人や上の人にはかなりいい顔をして愛想は良いのだがそれ以外にはかなり威張っていて嫌いな男の一人でした。その男から何で?何か不吉なことを感じました。
「はい」
「山田だ!岡本・・死んだんだ」
私はそれを聞いてもピント来なかったのです。二日前に会って「横浜に帰る」とあいさつに行った時は元気であったからだ。           いつものように「さあ、なめろ」のギャクが飛び出すぐらいしたから、彼が死ぬなんて耳を疑っていました。
「・・・・・」
「自殺だ、今日お通夜があり告別式もあるから来いと兄貴から言われたから連絡したんだ。来るよな!来いよ!じゃや」と言って電話を切られた。  一分程度の電話でした。


私は信じられませんでした。何があったのか?             全然見当もつかないで、それから支度して新宿に向かい特急あずさに乗り換え、見慣れた諏訪の街に着きました。


何故、辞めて横浜に帰ってきたかと言うと田岡が原因でした。      忙しくなってきたので食堂に田岡が働きにきたのです。調理師免許等持ってはいないが私が作れる位な食堂の料理でしたからだれでもよかったのです。彼が働き出したのは12月の始め頃でした。そのあとに旅館業務をする為に夫婦で住み込みで働く人達が採用されました。

年齢は30才位で身長も低くやせ形の顔の輪郭は逆三角形に銀の丸メガネをしていて巻き髪でクルクルしていたかな?まあジョンレノン風の髪形をしていました。そして京大を出ているとか中退したとか言ってインテリぶっている男でした。奥さんと名乗る人はかなり美形で27歳位だと思います。

日昼の間この夫婦が食堂を手伝っていましたし田岡は女好きでこの奥さんに暇があるとチョッカイをだしていました。だんなもインテリ風なものの言い方をするのでだんだんと日にちが経つにつれて田岡と夫婦の中が悪くなっていたようです。

あるとき、田岡が親方にあの京大男が生意気なので絞めようと言うことを相談していました。私は親方が断ればいいなあと思っていましたら、田岡に同調して絞めることになったのを聞きました。絞めるとは「ぼこぼこ」にするってことです。私は何回かそんな光景を見たことがありますがそれは同業というか同じような人間です。しかし今回は一般人でごつい感じでもなく伽鞘でインテリっぽい男です。

こんな男に2人がかりで絞められたら病院行で警察沙汰になるのは判ります。私は彼の事は好き嫌いを問われたらたぶん「嫌い」と言うと思いますが、「ボコボコ」するほどの事は無いと思っていたし、変な優しさからか彼らが絞めるより私がやった方が痛手は少ないはずだと思い、私が彼を絞めますから手を出さないでくださいと二人に言いました。

次の日、親方が彼を板場に呼び出し取るに足らない話から因縁をつけ出しました。彼は「そんな言い掛かりはやめてください」「だから学のない人は困る、物事をわきまえて話してください」などというものですから二人はだんだんと形相が変わり怒ってきたのを私は感じました。

「これはいかん」と思い「お前、ふざけるな!」と言って私が彼に飛び掛り吹っ飛ばしました。彼は床にたおれました。これで収まればと思ったのですが、とんでもないことに「何をするんだ!」と叫びました。親方はそれを聞いてから親方がフライパンの裏側の底ではなく表側のヘリで彼の頭を叩こうしたので<これでたたかれたら、頭が切れる、血がでる>と思った瞬間、私の腕でフライパンを止めた、親方は何をするんだ~と言う目をしました。

「もう、やめて下さい」と私が止めにはいりましたが「引っこんでろ」と彼を板場の入り口の土間に投げ飛ばしました。横になっている彼を2人で蹴り始めたのでもう大変です。止められませんので自然に彼の上に私が被さり私は盾になったのです。「早くどけ!」と親方や田岡が叫ぶもやめようとしません。私もかなりあざが出来るくらい蹴られたのは言うまでもないです。 

正義感からと言えばかっこよいのですがそうではありません。その時はこれ以上やると彼はやばい事になると直観的におもったのでしょう。きっとこの先が漠然と怖くなったのでしょう。彼らは血が上ると警察なんか怖くない人達でしたし、何度か捕まっても弁護士がすぐきて翌日には出てくることが分かったのです。これは有力な力が働いているのかななんて後になって気が付いたものです。

彼らは気が済んだのか「こんど、ちょう垂れたことを言ったら殺すからな」と離れ際に田岡が言い、二人で諏訪に戻ってしまい、その日は戻ってきませんでした。次の日、にな10時になっても夫婦が仕事場に出てこないので離れの寮に行ってみるとすでに荷物はなかった。

若女将に昨日何かあったのと聞かれても「いえ、何もありませんでした」と答えるしかなかったのです。田岡は本当の話のように「なんでも借金取り居場所が見つかったからやばい」と言っていましたので、すごくずるい奴だ改めて思いました。

冬休み時期になるとアルバイトで大学生が来たりして親方にしろ田岡にしろ女学生達を茶化したりして楽しんでい居たので、そうそう問題は起こらなかったのです。そのアルバイトもいなくなり暇な時期の2月が来ました。      その間に田岡と親方が喧嘩をしたことがありました。映画で見るシーンです。罵声が飛び交う、そして庖丁をお互いに持ち、威嚇しているのを目の当たりに見ていると、見ている方が怖いのです。

意外に庖丁が怖くて止められないものです。「やめてください!」「あぶないですよ~!」なんて声も震えるのです。どちらかが引けばいいのですが、このときは田岡が「辞めてやるよ!」と言って済みましたが2.3日経ってまたひょうひょうとした顔で出勤するのです。その時は喧嘩したのがウソのようで仲が良い二人になっていました。

私は前回の件から嫌悪感が先立ち鬱になってきました。休み時間に雪山を無性に走りたくなり夕日を見に行くことが日課になりました。       そんな時から親方を尊敬できない自分がいたのを確認した気がします。  2人から諏訪に飲みに行くのを誘われていましたがことごとく断っていました。あるとき「親方はあいつ最近おかしいんだ」と田岡に言っているのを聞いていました。

そんな矢先に「今日は絶対に飲みに行くからな!用意しとけ!」と2月20日に言われた。この日も最初は拒んでいましたが余りにしつこいので、しょうがないとふてくされていましたが行くことしました。

霧ヶ峰から私が親方の車を運転しました。後ろに、田岡、親方が座り、ふてくされている私に腹が立った親方が「なんだその態度は」と言い出しました。すると田岡もそれにまして普段の態度がなっていないとねちねちと説教をはじめました。私が素直に聞いていないのが分かってか、親方の右足が急に運転中に飛びました。それも頭です。雪道で横はがけです。ハンドルを切り間違えたら落ちるのが分かったいたので慌ててブレーキををかけました。

「お前、分かってないな!」「素直に謝ればいいんだ」とさんざん2人に言われ「行くのがいやなんです。」と頑なになりました。すると今後の事もあるからと家によって話そうと言うことになった。たぶん親方の家で殴られるなと覚悟をしたものです。リビングの長椅子に私は腰をかけ、親方と田岡が正面にすわった。

「なんで、そんなに飲みに行きたくないのか?」と親方に聞かれた。「秋ごろは結構楽しくしていたじゃないか?なんで急に冬から断るようになったんだ」と言われ「すいません」と誤っていたのですが、そこに田岡がまた口を挟んできて「兄弟が優しく話してやってんだ、おまって奴は本当に生意気だ、日馬とは全く違う、最低な男だ、こんな男は・・・・・」と延々言い始め叱れていた。

私は感情を抑えきれず、急に涙が出てきて、大きな声で「お前が嫌いだから行かないんだ!」と言った。田岡に殴られてもいいと思っていたら意外に田岡が急に大人しくなった。「そうか、俺が嫌いでか~」と言って部屋を出て行った。

それから親方との話になりこれまでの思っていたことを全部さらけ出して話した。黙って聞いていた親方が「お前、向いていないな、横浜に帰れ!」と一言われた。親方もたぶん素直でない私が嫌いになってきたのであろう、そう感じた私は「お世話になりました」と言い返した。


自分のマツダ「グランドファミリア」に荷物をいれ、先ず若女将と社長に挨拶し親方と田岡に挨拶をしたが、もう他人だって感じで「おう、おつかれ~」と言われた。ちょっと寂しくもあり、ちょっと嬉しくもあり複雑な気持で諏訪にむかった。

先ず向かったのは岡本さんのマンションで彼はバーテンダ―ですからまだ寝ていました。「どうした?こんなに早く」「実は、今日横浜に帰ることにしました」「え~!どうした?何があった?」それを聞くと本当にびっくりしたようで根掘り葉掘り聞いてきましたので、洗いざらいの話を聞いてもらいました。

すると彼は最後に「帰れていいな~」と言いました。「だったら、東京に帰ればいいじゃん」と言うと彼はにこにこして「帰れるわけないじゃ~ん」と言って悲しそうな顔をしたのです。そしてその後、私は日馬に会いに行き、同じ話をした。彼も寂しそうな顔をしていたが彼には彼の人生があり、私とは別な道を歩き始めた。彼もこの春に隣町の茅野の割烹料理やで働く事になっていたようでした。

つづく


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