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開運力で転職を成功に導けるのか!#11

「この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。               <み~さん>

第二章 16回の転職
<ストリップ劇場>


親方は長年、南湖荘の板場を任されてきたと聞いています。まっさんもここで修行をしたらしいのですが親方をはじめ、古くからいる従業員達もあまりまっさんの話題にはふれません。


「どうして、ここで働くようになったの?」と仲居さんやフロントの人に聞かれたことがありました。
「まっさんの紹介でここに来ました」
「そうなの~」とシャットアウトです。


洗い場にチエさんと言うおばあちゃんがいまして、まっさんの話を唯一、楽しそうに話してくれました。まっさんは半端なく暴れん坊だったようです。南湖荘の社員達とは上手くやっていたようですが仕事が終わるいなや周りに友人、仲間達と攣るんで街で喧嘩をして警察沙汰もたびたび起こしていたようです。


真っ直ぐな性格で腕っ節も強く負けず嫌いな彼は仲間に頼まれると嫌とは言えず暴れていたが結婚をしてからは少しは大人しくなったらしい。それが先日会った奥さんでスナックのママをしていました。


ここに来る前に蓼科の70人いるホテルの従業員のマネージャーと喧嘩になり最後は庖丁を持ち出し彼ら追廻し、70人の従業員がホテルの外に逃げ出すと言う大事件を起こしたらしい、原因はマネージャーの不本意な言動からなったらしいがパトカーが何台も駆けつけつける騒動としてみんなにしられている話なのでした。

そのあとに親方がこの南湖荘に引き取ることになったので借りを感じて親方には反抗しなかったそうだ。
「私にはいつも声をかけてくれてし、手伝ってもくれたからやさしかったよ!」とチエさんは話します。廻りから見ると粗暴で傍若無人に見え、元住吉会に入っていて恐れられていましたが、私はそんなふうに思ったことはありませんでした。しかし、諏訪の街に住んでいるとだんだんと彼の恐ろしい裏の顔も見えきました。


板場も私を含め4人でした。親方の下で5年間働いている30歳位の身体の大きい人と入社して1か月目の25歳位の大人しい感じの人と働きました。
仕事はもっぱら鍋洗い、材料の下処理が専門で親方がいる間は庖丁は持たせてくれませんでした。若い先輩が気の毒と思ったのか私の師匠なり庖丁の持ち方、手の添え方などの基本から優しく指導してくれたのです。

親方が8時頃出勤してくるのですがその前の時間が唯一の楽しい時間でした。たまに、親方が早く来たことがあり、私が庖丁を持って胡瓜を切っていたら物凄い剣幕で私を叱りました。
「なにやってんだ!そんなことはまだ早い、洗物だけしてろ!」
「それは、私達が朝食べる胡瓜ですから~」と先輩が仲裁に入ってくれるも余計に親方が激怒して絶対に禁止になりました。

それなので私の仕事は朝食の配膳と味噌汁作りでしたが、味噌汁作りはちえさんの仕事でもあったのでちえさんの補助となりました。そんなつまらない仕事をひと月が経った頃、高校の親友が諏訪で働くことになります。俺の影響もあったかもしれませんが彼もまっさんに影響された男でした。

彼は赤点の教科があり3月の通常の卒業ができず、補習を受けてやっと卒業したのです。以前、彼に私が進学を諦めて諏訪で板前をやると伝えると俺もそうしたいと言うので、諏訪にまっさんに頼みに行ったとき、同時にお願いしたのです。彼は私がいる南湖荘の2倍の大きさの緑水荘で働くこととなっていました。


彼が来るまでは、紋々として過ごしていました。プライベートも減ったくれもないタコ部屋で寝起きし、鍋洗いの毎日でへきへきし鬱憤が最高潮にだった頃だったからです。彼が来る前の発散は旅館の真隣にある旅館組合が経営している「ストリップ劇場」でした。

なんと!ホテルの白衣を着ているとあっさり入れてくれのです。これは先輩から教えてもらったのですが一度目は先輩と行きましたが次の日からは独りで行くことになりました。お金がなかったからタダは嬉しかったのですが踊り子さん達がたいてい梅沢登美男似の女役の姿で踊りだしで始まり一枚一枚脱ぎだし全裸になり、あそこを見せるというものです、一般客は大声だし、野次を飛ばし、喜んでいます。私も当初は楽しんでいましたが、はっきり言って何度も見る物ではないし興奮はしない、とにかく飽きるものでした。


そう、すでに飽きてストリップにはいかなくなっていた矢先に友人が来たわけですから、天から光が射した感じで唯一の救いを感じ嬉しかったのを覚えています。


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