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開運力で転職を成功に導けるのか!#15

「この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。               <み~さん>

第二章 16回の転職


<負け犬>


ふと、俺このままでいいのかな?と思っていたのが秋に入った9月の頃です。親方は相変わらず洗い場の仕事しかさせてくれませんでした。日馬は私と違って天ぷらを揚げたとかお客様の料理を作っていると聞かされると余計に落ち込んだものです。

唯一の救いは先輩が何もさせない親方に変わって親方が出勤する前の2時間に出汁巻玉子、胡瓜の千切り、お客様に出す朝食の献立を少しやらせて貰ッたことぐらいです。

「さあ、なめろ!」の口癖の岡本さんに相談すると「ちょっと、ひどいな~、辞めさせたいと思ってるんじゃないの~」なんて言うので辞めた方がいいのかなあと思ってきてました。親方の行いを良くとればみっちりと板前として仕込むための親心の考えとも思えるし、しかし悪く考えると、本当は必要がなかった板場であったのにマッサンからの申し出で断りきれなかったのでいずれ辞めさせそうしたかもしれないのです。今思うと想像できる。岡本さんは私の話を聞いて気の毒に思ったのか最近のいきさつをマッサン話したようでした。

最近はお酒の誘いも頻繁には来なくなっていた時期でしたので突然のマッサンからの「自宅に来るように」と言われたので「何かな?」と思ってました。そしてマッサン宅に向かい、すぐさま言われたのは「霧ヶ峰で働くか?俺の下だと良い腕にはならいけどな~」。

有難い、なんと優しい言葉と感激したものです。当然、現状に嫌気をさしていたわけですから「是非、お願いします」と言った。しかしこれがとんでもない方向に・・・・・死に結びつくことになるとは思っていなかった。


南湖荘に16時頃、戻るとすでにマッサンから連絡が来ていおり全ての手続きは取られいたようだった。親方が「松木の所で頑張って働くように! もう今日は何もしなくていいから、支度して明日経ちなさい。」と言われた。ちょうど猪木とモハメッドアリとの対戦が昼間のTVで放映されロビーのTVに全社員が集まって見ていた日でもありました。


霧ヶ峰の大作ホテルはマッサンと平井さんの二人で調理場を仕切っていました。手が足りている状態でしたので本当は必要としていなかったしホテル自体も忙しくわなかったのです、ただホテルの社長と若奥さんとは2年前よりここでバイトをしていたことがあるので特別嫌な顔をされることもなく向かえてくれました。

とりあえずマッサンの下で働く事になったのですが、平井さんはその関係で食堂に移ることになりました。それが不満に思ったのか半月後に出身の松本に帰ってしまったのです。暇で仕事がつまらなかったか私が来て辞める口実でき渡りに船だったこもしれません。紅葉の秋を迎えて土日は比較的忙しかったのですが平日は2,3組の予約しかなく、雪が積もり目の前にゲレンデでスキーをする人達が増える時期を待っている状態でした。

まっさんはあまり料理を教えてくれませんでした。2,3組だとだいたい「すき焼き」をメインにしてしまうので凝った料理はしませんでした。しかし鯉料理は出していたので洗いの刺身、甘煮、鯉こ等の料理は覚えることができました。

鯉は死んでしまったものは刺身、洗いに仕えませんので生きたままおろすのです。だから気絶させるのです。どうやって気絶されるかといえば出刃庖丁の峰で30~40センチの鯉の頭をぶっ叩くのです。加減してやると気絶しないので思いっきり叩かないと捌くときに意識が戻ると暴れて自分の手を汚すことになりやすいので手加減はしないんです。はじめはちょっと怖くて気後れしてしまいましたが、すぐになれるものでした。

そんな暇な毎日が続いているとマッサンの友人や後輩が訪問することが多くなってくるものです。その時からちょっとこれ以上マッサンに深入りするとやばくんると以前から感じていたことがさらに増してくるのです。

8月にまだ南湖荘で勤めている時、マッサンと平井さんが諏訪に炉端焼きの居酒屋に飲みに来ていて私もそこに参加していました。一時間位楽しくやっていましたら私たちのテーブルの横にガラが悪い2人が座りました。後から知るのですがその二人は隣の町のやくざだったのです。一人はサブと言ってムショ帰りの人物で別名「鉄砲のサブ」と呼ばれていていたようです。

そのサブが「おう、松木じゃないか!、なんで舎弟とここにいるんだ~」と突っかかってくるのです、マッサンは当初、軽くかわしていましたが鉄砲のサブどんどんエスカレートしてくるので「いい加減にしろ、殺すぞ!」なんていうものですから「外へ出ろ!」と怒鳴りあいが始まりました。

私たちも嫌々ですが外に出て行くことになりました。平井さんは色白で歌舞伎の玉三郎似の感じでしたし、私も見るからに強そうにもありませんので戦力にはならないはずです。そして、そもそも板前で舎弟ではありません。だから渋々というか、やばいな~喧嘩を止めなければならないのか?とか思っていたわけです。

2人いた1人が「事務所に連絡をしに行く」と言い、この場を離れました。この頃は携帯が無いのでどこかで電話を掛けにいったのです。これは大事!になると私は察しました。

鉄砲のサブは2メート位離れた位置にいてマッサンの右に私左に平井さん立っていました。まあこうなったら3人対1人ならどうにかなるかななんて甘い考えもち、臨戦態勢となりました。しかしその直後、そんな気持ちもどこ吹く風で萎えてしまいます。

サブが上着を脱ぎ裸になるとそこに刺青が現れました。見事に手首まで入っています。映画で見たことはありましたが実際見事に背中まで入っているのは初めてでしたからです。

マッサンが一言「飛べ!」と私と平井さんに言ったようです。たぶんこれは「行け!」っていう事だろうは察して、その気になって行かなければと思った矢先、鉄砲のサブが低い声で気合を入れ呟きます。「小僧!」と。

それを聞いた私はその一言の凄味で「蛇に睨まれたカエル」となり足が上がらない状態、恐怖を感じたのです。これでは埒があかないと見たまっさんは両手を広げ私達を抑えて前に出ました。その時に「すぐ逃げろ、奴らの応援がくる!」と言い残し、取っ組み合いが始まった。

私と平井さんはその場を兎に角離れないといけないと思い繁華街から駅に向かうことにしたら、先程のもう一人の男が寿司屋で電話を借りて話していることが分かったので駅に向かうか別の道を行くか迷っていたらマッサンが追い付いてきた。かなり仲間を集めているかもしれないので反対の方に逃げろろ言われた。まっさんも近くの見せに入り連絡を誰かに連絡をしたようだ。私と平井さんはその場所でマッサンと別れ、一目散に山にむかったのです。

繁華街の裏は山があり湖岸から南湖荘に向かえば10分位で着くものでしたが、岡谷のやくざに待ち伏せさせられて働く場所を見つけられたら大変なことになる可能性を感じ、私たちはあえて山の方に逃げたのです。山の奥へ奥へ行き南湖荘に戻ったのは明け方でした。

恐る恐る、あたりをキョロキョロして駅に向かい、私は旅館へ、平井さんは朝一番のバスで霧ヶ峰に向かったのでした。後から聞くとサブの上の人とマッサンが所属していた上の人との話し合いで事なきことになったらしい。その時、まっさんがある右翼団体の事務所の一員だったことが分かったのです。


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