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開運力で転職を成功に導けるのか!#4

「この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。

母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。   苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。」  <み~さん>


第一章 独りで生きて行く

<立運9歳はまだ人間になっていない>


立運は御存知だろうか?

人にはそれぞれ人間になる時期が違う。幼少の頃は手がかかります。言葉が少し話せるようになったとしても怪獣のような行動で親が困ってしまう状況は子供を持った人は体験しているはずです。

しかし中には妙に大人びた雰囲気のある幼児や母親の胎内にいる時の事を覚えている子もいる。かたや小学生になっても怪獣のような聞き分けのない子供もいます。

立運は0歳から9歳まである。私は9歳で10歳になるまでは怪獣だったことになるのです。

私は2歳時に大きな病気をしたらしいです。覚えてはいないのですが後から聞いたら脱水症状で死ぬ直前までいったらしいのです。         私が覚えがある大きな病気というか怪我が2度ありました。

1つ目は5歳の時に脱腸になったことです。当時の横浜高島屋の屋上は遊園地でした。幼児や子供が遊べる乗り物がたくさんありました。

理由は判りませんが父と2人で行くことになったのです。当然、怪獣の私は乗りまくったそうです。特に乗ったのは今は見かけなのですが、メリーゴーランドの馬が1頭だけある機械でその馬が上下前後に動くき2,3分乗れるものでしたが、それを十数回も父にねだり、乗ったのです。

帰宅中に肩車が好きな私は父の肩にのりはしゃいでいましたが、突如、股に痛みが走り泣き出しました。たいそう痛がっていて悲鳴を上げていた私なので、父は一目散と家路に走ったそうです。

泣き止まない私の痛がっている部位を母が見たら大事な袋が物凄く腫れ上がっていたそうです。そこからもう大変です!夫婦喧嘩がはじまったらしいが、大変なこと気づき、いったん中止し病院に行き手当をしてもらい事なきを得たのです。もうちょっとほっといていたら手術になるところでした。


もう一つは、母がパートでスーパーの惣菜部で働いていた時の事です。  幼稚園から帰りそのスーパーに立ち寄り、母と一緒にかえるのが日課だった私はいつものように立ち寄りました。

私には座る場所が決まっていましたのでいつものように座った途端、お尻から熱いものがかかってきました。それは中華鍋に揚げ終わった油が入っており、それをかぶってしまったのです。

驚きは私より母やその周りの女性たちでした、母がおろおろしていた時に年配の方が官油を下半身に塗り応急措置を取ってくれたおかげで右足の袋萩の一部分だけ水ぶくれになり火傷の後は残りましたが助かりました。

母は入退院を繰り返していた頃、小学校入学しても怪獣の部分はまだあり、落ち着きがなく成績は悪かったです。とくにうるさくて授業を邪魔をすると言うことで廊下に立たされることは3年生まで続きました。

殆ど毎日が立たされた思い出があります。これでは成績悪いのは当然かもしれません。

特に三年生の時は一日中立たされたことが何度かあったのを覚えています。
それが10歳になるとそれがなくなったのは私自身びっくりすることでした。

つづく


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