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開運力で転職を成功に導けるのか!#24

「この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。               <み~さん>

第二章 16回の転職
<重婚罪>


私が千葉にいる頃、我が家では大問題が起きておりました。娘、息子が親の元を離れてようやく一段落のだったはずですが、ある事件が勃発するのです。姉の夫、つまり私の義理の兄になります。私とは17歳も離れていましたので兄というか親戚のおじさんって感じでした。

たまにしか会わないので私に気を使ってか、会った時は大人の遊びだったビリヤードに行ってやり方を教えてくれたりしました。彼は姉と結婚する時とんでもない嘘をついて一緒になったそうです。そのことで両親とは、特に父とは仲が悪く父からは悪口しか聞いていません。

なぜ、そうなったかというと彼は函館に妻子がいて、そこから逃げて横浜にいたのです。当初、「青柳」の店は韓国籍の別のオーナーがいたようです。その人が韓国に帰らねばならなくなり譲りうけたようでした。棚からぼた餅って感じでタダ同然で貰ったようでした。

その頃、姉は寿司屋の職人と付き合ってのですが、職人の妻になるより店のオーナーの妻になった方が幸せになるとおもったのでしょうか?     一回り年上の彼と結婚を決め、婚姻届を区役所に出しに行ったら受理されず、理由を聞くと重婚していたのだ。重婚は犯罪です。

当然結婚は反対で破棄すると思っていた両親でしたが言葉が出なくなったのです。それは姉が妊娠していたからでした。義兄が姉に説明したのは「5年以上別居しているので離婚は成立する」

しかし、この手の話は結婚する前に言うのが筋で正直ではない人物で詐欺師だ、その上に逃げていたとなると責任のかけらもない感じだ。顔つきは虫も殺せないような目がクリンとしていわゆるハンサムなのでしょうがそんな風に生きてきた奴なのだ。

一旦は別れる決心をしたが生まれてくる子のために姉は函館まで行って決着をつけてきたらしい。そんな怪しい義兄が私が横浜にいない時に何回か父の家を担保にお金を借りたいと頼んで来たらしい、当然、父は断るのだがそのあとに姉夫婦は赤ちゃんを連れて夜逃げをするのです。         なんで夜逃げまでするかといえば、大借金をしていたのです。


「ブウォ~ブウォ~」と家の前に車が止まった。そのあと「ドンドン」とドアを叩く音がしたので継母が玄関のドア開けると2人のガラの悪い男が立っていた。
「なんですか?」と尋ねると。
「ここは、国本の嫁の実家だな、国本が夜逃げしたんだよ」
「え~!、お父さん」を呼びに行き父と母が対応をした。
「いやね、国本に金を貸したんよ、800万円ほど、それで逃げたんでは俺も困るんだよ」
「それは、国本家の問題でうちとは関係ない、帰って下さい」と一度は突っぱね父は早々部屋にもどってしまった。

払え、払わないと言う話を継母が対応していたが突然その二人は帰ってったのだ。継母は脅えからか「800万はないけど300万ならある」とつい言ってしまったのだ。じゃあ、それを用意してくれて行って立ち去ったようだ、期限は3日後だ。

その話は私が千葉の串揚げのんたで就業中に電話で聞き、すぐさま横浜に戻った。すでにショックなのか父は寝込んでいた。先ず、夜逃げをした理由を継母から私が聞いた。なんでも、義兄は青柳の二階で商店街のオーナーを含めギャンブル好きな人達を集めルーレット賭博をやっていたようなんです。

当然、やくざも来ていると思います。一時は儲かっていたようですが結局は1億円の借金地獄に落ちることになって逃げる羽目になったのです。


「名刺渡されたのよ」名刺を見ると名前だけドーンと書いてある、それも筆書きで書かれた名前の印刷でした。そこには石川と書かれていて見るからに普通でない任侠的な感じがした。

私はこの手男達を何度かみている、最初は結構礼儀正しい感じがするのですが、こちらが弱みを見せるといなや襲ってくるのです。もし、証文もない口から出た借金を毅然として継母が断っていたらお金を払わずに済んだかもしれない。

しかし、払うと約束をしてしまったなら絶対取り立てに来るのがやくざです。それを拒めばそれを正当化するのが奴らです。だからそんな免疫のある私が両親に代わって対応しました。私はあるものを用意しました。小型のSONYのテープレコーダーです。私と石川のやりとを録音して証拠を取るためでした。


当日、白いキャデラックに乗り白いスーツをで我が家に来た石川は若い私が対応するとみると、ちょっと唖然をしたのを覚えている。居間に通して長方形の座卓があり玄関の近くに座った。


「300万用意しました。ですがその前に、姉が借金をしたという証文もないので払いたくはないが、母が誠意で払うと言ったので払います。それでこれっきり催促をしないと言う念書を書い手頂きたい」と話した。

すると私が用意した白い紙にペンですらすらと書き始めて私に見せた。すんなり書いてくた。もっと凄まれるのかと思っていたがいささか拍子抜けでした。もちろんテープは録音していました。

帰る際に彼はわ私にお辞儀をするのだが、やくざがする90度にまげてする最敬礼のやつです。この時が一番恐ろしかったでした。300万は痛かったがこれで一見落着かとおもったらとんでもない、もっと恐ろしいことになりました。

石川が金を得たと知った他の仲間が脅せば金が入るとばかりに1週間ほど空いてからやくざが押し寄せてきます、夜中に車でクラクションならし大声叫ぶ、近所迷惑を始める、玄関先で脅すとかで一番は電話での脅しらしい。継母から大変なことになっていると聞いたの一月ほどたってからでした。

私は父と警察署に言ってどうにか対処してもらおうと行きましたら、けんもほろろに断られました。「借金だろ、払わなければならないよ」と言うばかり、「なんか傷害でも起こったら相談に乗るよ」なんて刑事は親身にはなってくれません。そこでやくざ一番嫌いなのは法律だと思い、知人の弁護士を紹介してもらいます。その時に念書と録音テープを渡しました。

弁護士は簡単に「名刺をもらって下さい、あとはこちらで何とかします」と言いましたので、やくざの名刺を複数枚もらって弁護士に渡しました。するとピタッと電話もクルマ詣でもなくなったのです。それ以降は何度かですが同じような感じでやくざから連絡が連絡があったようですが、「総て弁護士が対応する」と言うとそれっきりになったようです。

しかし、その心労からか父はくも膜下出血で倒れます。一命は取り留めたものの後遺症でたぶん半身不随になると親戚達は思っていたようですが、悪運が強いのか大事な血管は切れずにいたので、徐々にその傾向はなくなりリハビリをして健常者に戻りました。

1年後に姉から継母に連絡が来て、そしてこの出来事を話したそうです。すると「そいつらに借金していないし、払う事なかったのに・・・騙されちゃいけない」なんて言う、その上に「今、困ってるんだ20万どうにかしてくれない」とお金の無心をしてきたのだ。その後も継母だけに連絡をとり何回も無心をしていたことが継母が亡くなってから父から聞くことになったのは私は相当ショックでした。

姉が国本と出会わなければ、我が家はこんな羽目にはならなかった。当然姉にも責任はあるのだが運命はどこでどうなるか分からないなあと痛感した時期でもあり、神はこれを予期して私を諏訪に行かせたのか?試練ばかりあたえるなあ~なんて思っていた。

*○暴対策(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)は1992年(平成4年)3月1日に施行されたのでそれ以前の話です。


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