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開運力で転職を成功に導けるか!#12

「この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。               <み~さん>

第二章 16回の転職
「自分の城」


七赤金星で誕生数7を持つ私は一人になる場所が無ければストレスがたまり良いパフォーマンスが出せない人でした。そんな私が思いついたのはアパートを借りようと思ったのです。

板場は昼飯が終われば4時まで休憩になります。板前見習いの私は親方と先輩達の食器を洗い電気を消すことで板場から解放されました。通常は自分の部屋に戻って休憩すればいいのですが例の大部屋で先客が寝転んでいるわけです。どうもそこにいても気が休まらないので私はちょくちょくと知人のマンションに出かけました。

この男性は岡本さんと言って30才のゲイのバーテンダーでした。高一の時、蓼科の旅館のバイト先で彼と知り合いました、鼻筋が通って綺麗な顔立ちの人でしたが、小指を立てオネイ言葉て話す 楽しい人でした。彼はその当時池袋に住んでいて何か問題をおこし、蓼科の旅館でバイトを長くしていたらしいのです。楽しく頭の回転が速い人で冗談が上手かったのでバイト連中も彼の事が好きでした。

そんな彼が諏訪にいたのはマッサン宅に挨拶に行ったときに知ります。
「岡本、知ってるだろう、あいつ俺が蓼科を辞めると言ったら俺も辞めますとか言い出したんだ、池袋に帰らないのかと聞くと帰れないと言うんだ、それで内容を聞くとちょっと話が複雑で俺が話をつけに行ったら、諏訪について行くなんて言い出してさ~、それでうちのママの店のバーテンとして働くことになったんだ」と聞かされた。


彼もきっとマッサンの魅力に惹かれた1人なんだなあと勝手に共感していました。そして後日、休憩時間に会いに行きました。当時は携帯もないわけで、住所を聞いて探していきました。諏訪にしては結構立派なマンションでそこの2階の205号室住んでいると聞いていましたのでそこまで来て「いればいいな~」思いながらとブザーを押しました。


「だれ~、なんか用?」1年半ぶりの聞き覚えがある声ともに懐かしさが戻ってきました。ドアを開けて私を見るとタダでさえ大きい目がさらに丸くなりました。
「・・・・きんちゃんじゃないの?、なんで?え~何しに」とドアで急にハグされました。まあゲイと判るのはこの後日からからなんですが・・それまではオネイ言葉を話すちょっと変わった優男としか思っていませんでした。


私は板前になったいきさつを話すと言葉では喜んではくれていましたが、どうも目が笑っていないのが気がかりでした。まあそんなことは一瞬で忘れ、その他のバイトだった人達の現状を教えてくれました。彼はとても寂しかったようでした。目いっぱい諏訪の話を聞かされて休憩時間も終わりに近づいて帰ろうすると「明日も来るんだよ!絶対!」と強く言われました。


それからほぼ毎日休憩時間は彼のマンションにいました。10日後位経ち岡本さんの近くの無料の共同温泉風呂がありそこに入りに行き、そこでアパートを借りたい旨を伝えましたら、なんとも早く、翌日に家賃9000円の4畳半一間で風呂なし共同便所のアパートを見つけてきてくれました。岡本さんといると楽しかったのですが、独りでいないと気が休まらない性格でしたし誰もいない所で包丁の練習をしたかったのです。敷金もなくすぐ使うことが出来るようなになりました、たぶん岡本さんの口添えで貸してくれたのだろうと推測できました。板前見習いを初めて2週間目の出来事でした。


板場では庖丁は持てず、野菜の下処理や洗い物をして、煮物の味付け、魚のさばき方を見る事が主になっていました。私は小さいノートを持ち込んで分からないように砂糖は何グラムかと醤油はお玉何倍かと魚の絵をかいたり、庖丁の入れ方を書いていました。それを休憩時間に自分のアパートに行って違うノートに清書していました。庖丁は3月の終わりに親方が買うのを許してくれて2本買うことにしました。封建社会でしたので庖丁を買うのにも許可が必要な面倒な職場でしたが親方が2本買ってきてくれました。

一本はカツラ剥きに良く使う薄刃庖丁とキャベツを切るための牛刃でした。共に正本と刻印があり値段は安月給の私からするとかなり高価な買い物になりました。もちろん全額は払えませんので分割で親方に払うことになりました。でも、その時はとっても嬉しかった。自分の包丁が目の前で光ってるわけですよ、なんだかもう一人前の板前になったような気がしました。

次の日から自分のアパートに行って大根のかつらむきの練習を始めました。もちろん大根は自分で買ってきたものです。親方は何事も「見て覚えろ!」と言うのが口癖で、実際に「じゃあ、やってみろ」と私がやってみて、うまくできないとひどく怒りました。そんなことが言われるのが嫌で練習をし始めたのです 。

つづく


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