見出し画像

開運力で転職を成功に導けるのか!#26


「この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。               <み~さん>


運命的に見ると*自己分析~ピナクル3の時期でした。

私は29歳まで3のピナクルの作用を受けていたのです。この数字を持っている人はどうも日常的に「これやりたーいなあ!」とか常に興味が湧いてきます。子供っぽい部分が多いのが特徴です。だから実際に物事をコツコツと続けることに苦手なんです。そして自由でいたいと思う気持ちが強いので逆に不自由を感じやすいのです。管理され、辛い、そんな経験を得て自分が自由な存在であることを確認することなんです。21.22才は特にそんな気が強かったように思えたものです。

第三章

<何が何でも海外>


私は愛読書となった「就職情報」からダンキンドーナツの会社に応募しました。ダンキンドーナツはセゾングループの株式会社ディー・アンド・シーが店舗展開をしていました。この会社が後に私が働いて倒産する吉野家と合併するのです。不思議な縁を感じまします。

後発のダスキンが手掛けるミスタードーナツに敗れ、後にダンキンドーナツは日本撤退になるのですが、そんなごたごたしていた時期に入社しました。書類も前回と同じように書いて送り、書類選考も通り面接を受けて入社しました。

ここはドーナツ大学があるのですが普通はそこでドナーツの作り方を1か月間かけて習得して卒業をすると支店に配属となるのでした。私が応募した時期は、人員が不足していたらしくドーナツ大学へは行かず直接店舗に配属になりました。

配属の場所は横浜の日吉になりました。そこは直営店ではなくフランチャイズの店でした。つまり私は出向扱いになっていたのです。この会社の本業は建設業で儲かっていたのでこの店が赤字でも運営ができたということでした。

そしてさらに運がよかったのはとても暇な店の上、店長が超適当な人物で自由満載の会社でした。初日に私が行くと

「待ってたんだよ!いつ来るかいつ来るかってさ~」と大歓迎されたのです。こんなに大歓迎されたのは当然はじめてでいい気分になっていました。「じゃあドーナツを全種類を作って!」と急に言われました。

「え~私は作れませんが~・・」

「え~習って無いの?」

「はい、何も、研修を受けていません、昨日面接して本日からここに行くように言われたのですが・・」                     たぶん、ドーナツを作れる人を頼んでいたのでしょうが人材不足でとりあえず私を送り込んだのかなと思いました。

28歳の仲井店長は怪訝そうな顔になったのだが気分を取り直して

「じゃ~これから教えるから」と言って教えてくれました。

3日間位、店長が付き添って教えてくれたので一応、ドーナツらしくなってきた。

4日目になると突然「あとは任すから、お願い!」と言ってどこかに行ってしまいました。残った私はその日から女子高生、女子大学生のバイトに店舗の事を教えてもらう日々が続きました。2週間もするとだいぶ慣れてきてスムーズに運ぶようになっていました。

店長は土日は店舗に居ましたが、平日になると店長は相変わらず朝に顔を出してそしてどこかに行ってしまっていました。一か月ほど経ち信用されたはじめたのか「俺、美容師になるんだ、だから毎日学校に通学しているんだ、でも会社の人には内緒だから、絶対に言うなよ!」口止めされました。

私は店長の会社から連絡が来ると上手くごまかしていたので安心したのでしょう。そしてこの会社は寮があり店長に薦めら引越しすることになりました。

店長は自己中でご都合主義なので私が料理が出来ると知って毎日作らせるようにしたのです。そんなことでいつの間にかとても仲が良くなっていました。その上店長は卓球が好きでした。ショッピングセンター内にダンキンドーナツがあったため、ショッピングセンターの福利厚生施設も使え、そこに卓球台がありました。そこで夕方に店長が学校から戻って来ると卓球をするようになりました。たまにバイトが呼びにくるこはありましたがほとんどここで汗を流していた記憶があります。

店はアルバイトに任せ卓球三昧な毎日を送ることになっていました。ほとんど縛られるものがなかった毎日でしたから満足はしていましたが唯一満足できなかったのは給与でした。給与は10万が届くか届かないかって感じでした。楽で楽しい会社でしたが一生働くべき場所ではないと感じていましのでいずれは店長を見習ってもう一度学校に通うかななんて思っていました。

その為には授業料代を稼ぐ必要があり、21時より朝の1時までバーのウエイターをし始めたのです。そうすると昼間の仕事に支障が出てくるのは当然のことです。実に眠たいのです。1時で終わればいいのですが3時まで働くとなると辛いのです。

だんだんと昼間は寮に戻り寝てしまう事も増え本業の仕事がおろそかになっていた頃に、突然に店長から言われます。

「俺,辞めるから・・・・なんか通ってるのがバレたわけではないけど美容の実習でここに来られないからさ~」なんて言って去っていきます。

配属されて7か月目の12月頃でした。店長がいなくなったので私が店長代理でやることになったのですが、そんなに甘くはありません。本社から通達が来ます。1か月後に店舗の売上が悪くフランチャイズの親会社が手放すことになり店を閉めるようになるので直営の店で働くようにと言うものでした。

その数日後、本社から調査員が来ました。私にドーナツを作ってみろと言うのです。7か月も作っているので自身があったので作って見せたのですが調査員2人は私の作ったドーナツを見て「これ何グラム?」と聞かれた。

私は黙っていると「60g!、これ全部だめだな~」私は初めて60gで作らないと行けないなんて聞かされたのです。つまり店長は私に適当に教え、わたしは適当に作ったドーナツを売っていたことになります。

多分、調査員にから見るとすべて不合格なドーナツなんでしょう。   「これじゃあ、使い物にならないから、もう一度ドーナツ大学で研修してもらうようになるな~」

「私は行っていませんけど~」というと彼らは目を真ん丸に大きくしてお互いに見合ってあきれた様子でした。

私にとっても大きなショックでした。そして通達を無視して私はこの店を辞める事にしました。すでにバイト代を貯めており、専門学校に行くことを決めていて合格通知はったから迷いはなかったのでした。

1か月後に辞めるのか今辞めるのかの違いだけだったのです。私が選んだ学校は当時、代々木にあった東京観光専門学校でした。          そして拘束があまりなく、自由だった時間を使って調理師免許も取得したのもこの頃でした。この調理師免許が後から役に立つことになるとは思いもしませんでした。

つづく



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?