不憫萌えの心理について

振り返ると、幼少期は明るく活発な性格でいつも周りの友達を笑かす様な賑やかな少年でした。
転機は中学生になって訪れました。
当時相変わらずのひょうきんキャラだった自分はある意味「目立つ」存在だったのでしょう。中2の時、担任の先生に目を付けられて、事ある毎に理不尽な対応を受けました。

例えば、クラスの席替えの時、まずクラス全員で班長を選出して、その後先生と班長達だけ集まって、順番に私は誰が欲しい、じゃあ私は誰が欲しい、っていうドラフト会議的な感じで班員を選択していくという方式でした。自分も班長に立候補してそこに参加したわけなんですが、みんなそれぞれ自分と仲の良い友達を率先して取っていくわけです。
で、自分の番が回ってきて、仲の良い友達を選択した時に先生が「お前ら授業中話すからダメ」との理由で別の人にしろと言われ、そんな事を繰り返し、他の班は仲良しが集まっているにも関わらず、自分の班だけほぼ面識のないメンツが集まる、言い方は悪いけど「残り物の寄せ集め」の班が出来上がったわけです。

当時自分はあんな性格だけど、根は真面目なので授業中ふざけたり隣の人と話したりなんてことはなかったんですよ。
成績も中2の時期は例えば50点満点の5教科合計点が220点位は取ってたし、言ったらまぁまぁ上位の成績だったわけですよ。
実績あって結果も出してるのに「話すからダメ」って、「あぁこの先生全く生徒の事見てないんだな」って感じてショックでした。
(というかそれは言い訳でただ自分の事嫌いなので嫌がらせしてやろうと思っただけなのかもしれないけど...)

で、これで班分け決まり!となった時に、「思ってたのと全然違うわぁ」と自分がぽつりと愚痴ったのを聞いて先生がブチ切れて「じゃあ全部無しで良いわ」って言って帰ってしまったわけですよ。
で、翌日、ホームルームで先生から席替え中止の旨説明があって「思い通りいかなかったって文句いう人がいたので」って、こちらの選択に自由が無かったことには何も触れず、先生側の勝手な良い分だけ説明して、まぁ誰とは言わないけどね、犯人は自分たちで探してね的な感じでクラス全員までこちらを敵に回そうという魂胆見え見えな態度に強い不信感を抱きました。

そんなある日、決定的な事件が起きました。
クラスにちょっと変わったコがいてまぁこの頃の年頃だと周りからイジられたりするわけですよ。
で、案の定。
当時なんだかんだ自分が「目立って」たんでしょうね。
ある日、担任に呼び出され、自分がそのコを「イジメ」たという事で、こちらの言い分も聞かず長時間職員室の前の廊下で正座させられたという出来事がありました。
何か知らんけど、どうやらそのコが、自分を名指しで「いじめられた」と担任に言ったらしいんですよね。
なぜ?自分、だけ??

今までは単純に「担任は嫌な奴」だけだったのが、この日を境に人間というものに対して誰も信じられなくなってしまったわけです。
自分は何をすることも許されないのか、って絶望に似た感覚に陥りました。

この事がトラウマになって、いまだに人と適当な距離間で接することができないんです。
一歩引いて接するというか、相手のテリトリーに踏み込めないというか。
だからよく人に興味がないんじゃないかって思われがちなんだけど、でも、それは興味がないんじゃなくて、トラウマの記憶が蘇ってきて「意図的に興味を持たない様にしてしまう」というのが正解なんだと思う。
なので人と話すにしても、こちらからの話題が上手く振れず話をすぐに切り上げてしまうという感じになってしまう。

だから、向こうから来てくれる人とはまぁまぁ仲良くはなれても、こちらから人に近寄っていくというのがどうしてもトラウマがフラッシュバックしてしまって一歩踏み出せないという大変不器用な人間になり果ててしまったわけです。

とまぁ、ガンガン活発に行くタイプだった時期から人間不信に陥って、陰キャ生活になるまで一通り経験して、だからこそ気づく点というか思うトコもあるわけで。

ここでようやく本題に入るわけですが、不憫萌えについて。
上で長々と書いたように、思春期のトラウマから、明るく賑やかな場所が苦手になってしまった自分は、例えばクラス内で端っこの席でいつもポツンとしている様な人に目がいく様になったわけです。

クラス内で目立たなくて、いつも一人でいるいわゆる「The モブキャラ」なコでも、そのコの人生はそのコが主役の物語があって、普段表情も明るい感じではなくても嬉しいことがあったら笑顔になるだろうし、バッグにつけているマスコットだったりも、自分で可愛いなと思って買ってお気に入りでつけているのかな、とか。どんな感情でバッグにつけてたのかなとか。
普段浮かない表情しててもキャラクターは満面の笑顔だったり。そのコントラストがより興味を引くというか。
陽キャが人生勝ち組みたいな感じが世の中にあるけど、陰キャは陰キャなりにささやかに自分の幸せはちゃんと持っていてそれにすがって一生懸命生きてるんだ、って、自分と重ねてみてしまう感覚があります。

それって、自分は今となっては陰キャだけど、死に切っていない根本に眠っている元々の「人を楽しませたい」という陽キャな一面があるからこその
自分特有の着眼点なのかもしれないなって思う。
純粋な陽キャは陰キャは目に入らないだろうし哀れとすら思うかもしれないし、陰キャはそもそも周りの人なんて見ないだろうし。

そんなこんなでアイドル現場に行っても思う事は同じで、例えば特典会とかでメンバーと2ショットチェキを撮る機会があるんだけど、誰と誰と撮りたい人はこの列、誰と誰と撮りたい人はこの列、みたいに1列に複数メンバーがいて指名された子が入れ替えで撮影する形になっている事が多く、指名された子が撮影している間はそれ以外の子は後ろで待機するんですが、例えば人気の子と組みになると、片方の子は自分が呼ばれるまで後ろでずっとポツンと待機していることになったりするんですよ。

なんというか、そんな時に一瞬見せる無の表情というか、その姿、表情に惹かれてしまう所がどこかあるんですよね。その表情に惹かれるというのはその表情を笑顔にしてあげたいという感覚ね。
その表情は営業スマイルの様に無理に作ったわけではない「その子そのものの素の表情」なんだよね。

自分はなんだかんだトラウマの影響が大きく、重度の人間不信な関係で、こと対人関係において「人柄」がとても気にします。
アイドルに対しても推しの選定条件として「歌声」や「見た目」なんかよく重視されるけど、自分はそれよりも「人柄」を見ています。
ライブやイベント、歌っている時や台本に沿って話している時(=作られたキャラ)以外の、ほんの瞬間、刹那に見せる「素」の姿。そういった所に目がいきがちなのです。

というのがあって、割と目立たない様な人が自分の目には目立って見えて、その姿を自分と重ねて何かしらの共感を得て勝手に親近感を覚えてしまうという事が多いのです。

人気が無いから独り占めできるぞ...とか、不憫萌えを理解できない人から見たらそういう感じに目に映るのかもしれない。
「哀れ」とかそういう感覚でそこへ声をかけている、とか思われるのかもしれない。
でも実際のところは「共感・親近感」の様な、自分に似た部分に対し「なんか嬉しい」というプラスの感情だし、むしろそんな感情を抱かせてくれたその子に「感謝」すら持って接しているのです。

というお話。

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