VTuberにガチ恋するオタクについての考察

最近VTuberに可能性を感じたガチ恋勢による怪文書(赤スパ)が人気を博している。スパチャを投げる理由はさまざまだが、私はそこに活動支援よりも「可能性」を感じているが故のように感じる。ここでの可能性とは、バーチャルで出会った人物とリアルでの対面やそこから発展して交際や結婚を意識することである。

VTuber配信を見ているとアバターのキャラクターやタレント性ではなく、中の人にガチ恋するファン(こじらせオタク)が散見され、興味深いので彼ら彼女らについての個人的な考察を述べる。そしてこれは妄想である。

この文書ではVTuberに限って書いているが、似たようなことはVTuberのみならずASMR配信者、アイドルや声優などにも当てはまると思われるので適宜読み換えていただければ幸いである。

なぜVTuberに可能性を感じるのか

私でシコるのは構わないけど私との可能性は感じないでほしい
御伽ねこむ(2015)

ひとつめの理由はVTuberと繋がる精神的な距離が近いからである。三次元のアイドルと違いVTuberとはインターネットを介して物理的な距離を感じず繋がれる。YouTubeを開いて数回マウスをクリックしたり画面をタップしたりすれば彼ら彼女らと双方向コミュニケーションがとれる空間がそこにはある。

人間はその人に会った時間よりも回数で親密さを感じると言われている。三次元のアイドルとは年に何回も会えるかわからないし、遠方のライブ会場やイベント会場に赴いて会えたとしてもほとんどの場合そのコミュニケーションの方法は互いに一方通行である。一方のVTuberはかなりの頻度で会えるし、ユーザ参加型の配信によってVTuberのキャラクター性とコミュニティを皆で作り上げていく楽しさもある。さらにはスパチャによるファン個人の認知もしてくれる。

ふたつめはこれは個人勢に限定されるがVTuberが個人だからである。人気があり知名度が高いアイドルは手に届かない存在として恋愛対象として諦めがつきやすいが、企業コンテンツではなく個人事業主として活動する個人勢は自分に近しい存在として親しみを覚えやすく、恋愛対象としても映りやすい。わかりやすく言えば近所に住む気になるお兄さん・お姉さんなのである。

こじらせオタクの誕生

VTuber界隈でのこじらせオタクといえば、しばしば怪文書を伴う赤いスーパーチャット(10,000円以上の投げ銭)の存在が話題にあがるが、必ずしも赤スパを投げるファンだけがこじらせオタクというわけではない。ここに私が考えたなりのこじらせオタクの特徴を挙げる。

活動支援ではなく、認知や承認欲求といった見返りを求める。

最初は新規ファンということもあり認知されることによる喜びも大きいが、次第に認知への欲求と独占欲が膨らんでいく。VTuberからのちょっとしたお返事程度では満足できなくなり、自分に振り向いてもらうためにより高額のスパチャを送るようになる。人によっては自分の生計を顧みずクレジットカードの限度額までスパチャをする場合や、コミュニティで問題行動を起こしてVTuber本人にBANされても別アカウントでスパチャを続けるといった行動も見られる。

お店の常連が増長していく現象と同じで、最初期からのファンであるから、長い期間配信に参加しているから、スパチャ額や回数が多いからといった理由であたかも自分が優れたファンであると錯覚し、優遇されて然るべきだと考える。自分がVTuberに対して意見することもあるが、それは善意によるものなので受け入れてもらえないと自分を否定された気分になり、不安や不満を募らせていく。

認知を得るためには金銭的な支援だけにとどまらない。その結果、中にはチ○ポ騎士団の一員になってしまうものもいて、ときにはVTuberを全肯定して理解あることを囁き、ときにはVTuberを慰めて苦痛を共にし、ときには炎上したVTuberを守るための剣となり代理戦争をする。頼んでもなく勝手に。

VTuberが○○をしてくれたから自分に好意がある/VTuberに○○をしたから優遇してくれる、ということはない。数ある行動のうち、たまたま自分が望む行動をとってくれただけであり、それはファン全員に向けたものである。こじらせオタクがスパチャを投げて認知してもらえたとしてもこじらせオタクのアバター(インターネット上の人格)に対する認知であり、こじらせオタクの中の人(リアルの人格)までは認知していない。

配信で生計を立てているVTuberからすれば配信は慈善活動ではなくスパチャが得られなければ死活問題になる。人ひとりが出せるスパチャには経済的な限度がある上、そう遠くない未来に飽きられるおそれもあるので、少数に依存するよりは多数から集めたほうが効率もいいし、未来に渡って得られる金額も大きい。急に支援者が0になるリスクも低減できるし広告収入も期待できる。そのため多額のスパチャくれる少数のファンよりも少額のスパチャをくれる大勢のファンを獲得する方が重要である。誰かを特別優遇するよりも全員に公平なサービスで裾野を広げるほうが得なのである。

中の人に可能性を感じてしまう。

最初はVTuberにタレント性を感じていたはずが、いつの間にかタレントとしてのVTuberと中の人が同じキャラクター性を持っていると思い込み始める。コスプレで例えると、セクシーなキャラクターのコスプレをしているから中の人もエロいことが好きといった短絡的な思考である。

そしてVTuberに中の人を見いだして恋してしまう。その行き着く先が愛の怪文書ないしプロポーズである(しかしこれは至極当たり前で、インターネット上ではほかに直接的な愛の表現方法がないのも影響している)。特に前世の自撮り写真が広く知れ渡っていたり、顔出しせずとも本人の写真が公開されたりすると意識がそちらに引っ張られてしまい、見えない・足りない部分を最良ケースで脳内補間して理想のパートナー像を作り上げてしまうので、恋に落ちないわけがない。

しばしば中の人の私生活に対して都合の良い解釈もしてしまう。よくあるのが公言していない限りお付き合いしているパートナーがいないといったもので、公言しない→パートナーがいない→自分にも可能性があるというところまで連想する。さらに発展して認知や支援を続けることで連絡先を聞けたり、デートに行けたり、あわよくば結婚できたりするといった考えに繋がっていく。

人を好きになることは誰にも否定できない。しかし自分が相手に好意を持ったからといって相手が自分に好意を持つとは限らないことを知っておく必要がある。そんなことはない、自分は推しに認知されていてなんども交流したことがあるから特別なんだと思うかもしれないが、それは特に男性にありがちな勘違いで、認知や交流があるからといって恋愛的な好意を持つこととは別である。LIKEとLOVEの混同である。

愛ゆえに苦しみ憎しみ始める。

愛のこもったメッセージやスパチャによる認知もそのうち限界を迎える。認知への欲求は際限なく膨れ上がるが、VTuber側はファンを公平に扱うので認知の頻度は変わらず欲求と認知のバランスが崩れる。

すると一転こじらせオタクは愛が認めてもらえなかったという錯覚に陥り、自分を受け入れてくれない礼儀知らずと感じるが、同時に愛してもいるので、はたからみれば奇妙な行動を取り始める。自分がいかにVTuberを愛してその愛の被害者になったかを語ったり、配信の中でお気持ちという名の怪文書を投稿したり、人格批判や行動批判を撒き散らしたり、それでもスパチャを続けて承認欲求の炎に焼かれ続けたりする。

みんなはただのガチ恋勢だが、自分だけはみんなと違って特別、と思ったりもするが、そんなことはなくただの勘違いである。

こじらせオタクのガチ恋行動原理

こじらせオタクが発生してしまうのは、現代のオタクにとって一番手軽な恋愛の形だからである。

とにかくコストが安くピュアな恋愛

最近では本気で恋愛しようと思えば学校、職場やイベントだけでなく、婚活・街コン・マッチングアプリといったあらゆる恋愛の道具は揃っている。しかしこれらは少なからずお金も時間もかかる上、相手に自分を好きになってもらうためにお金以外の努力や運も必要になってくる。一方でVTuberとの恋愛はまだ見ぬ相手を探す必要がなく、すでに用意されている中から自分と合いそうな人を選ぶだけでよい。インターネット上で交流できるのでスマホやパソコンがあれば場所を選ばないし自分の顔を晒す必要もない。むしろ顔ではなく性格や精神で繋がる真実の恋ができると思い込んでいる節すらある。

しかし可能性はない

自分との交友関係や仕事関係の中にVTuberがいれば話は別だが基本的に可能性はない。YouTube LiveやTwitterで表面上の接点しかなくプライベートな連絡先を知らない人間と可能性があるのだろうか?残念なことに認知からの結婚には大きな隔たりがあり、インターネット上の繋がりでは中の人のリテラシーがしっかりしている限り、物理的に会えないので必然的に結婚に結びつかない。

VTuberから見ればガチ恋勢のひとりひとりはメッセージやスパチャをくれる単なるファンに過ぎないし、認知と呼ぶ概念もファンからのメッセージに対して営業的なお礼を述べただけであり、結婚どころか会うことすら考えていない。アイドル性のあるVTuberからしたらファンとプライベートで会ったり、交際するのは不利益がついて回る。

交際という形で特定のファンを優遇していることが明らかになれば不平等感を与えてファンや収益の減少を招くし、破局した際には自分の個人情報を暴露(リベンジ)される危険性もある。会うだけだとしても素性の知れない人間に顔バレのリスクを抱えるほどの理由はない。それに中の人のリアルではこじらせオタクよりも人間的に信頼できる善いパートナー候補がたくさんいる可能性だってある。

リアル恋愛へのおそれ

友達だから まだ手つないじゃだめだよ
谷脇えみ(2004)

そもそもパートナーを見つけるのであれば、VTuberは実際には顔も中身もわからないし、競争相手となるファンが多すぎる。万が一中の人と繋がれたとしても自分に対して好意を持ってくれるかもわからないし、地理的要因その他が障害になることも考えられる。さらに交際できたとしても依然パートナーはVTuberを続けているわけで、自分以外のガチ恋勢に対して嫉妬しない心の余裕はこじらせオタクにあるのだろうか?

それよりも地域、趣味や嗜好を絞って出会える婚活・街コン・マッチングアプリを利用するか、友人・知人からの紹介で自分に合う人を見つけたほうがよほど恋愛の成功確率が高いように思える。スパチャによる認知獲得から始める恋愛よりも可能性があるお金の使い方ができるし、少なくともデート中は相手を独占できる。

だがリアルで恋愛すると失敗はつきものである。気になった人にすでにパートナーがいるなど自分の努力に関係なく失敗する可能性があるし、告白すれば成功か失敗の二択、おそらく後者を直接突きつけられる現実に耐えられない。リアルの人間関係も少なからずギスギスする。その点VTuberへの恋愛は失敗しても身を引くだけで簡単に関係を絶てるし、証拠を消したければアカウントを削除して転生すればよい。さらに今のVTuberが飽和した時代では自分の新しい恋愛対象となりうるバーチャル恋人候補はあちこちにいるのだ。

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