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ひとり旅日記インド5日目後編:風邪が酷くなってきたのに、4時間立ったまま駅で列車を待つ。

2012年12/30インド5日目後半。

宿に果物を置きに戻った。でもやっぱり最後にガンジス川に行きたくなって、人力車で20ルピーで行けた。霧が晴れるとこんな感じなのか。でもなんで自分は勝手に、ガンジス川に行けば何かリセットできるって思ってしまったのだろう。
日本を発つ前に聴いた中学校の卒業記念CD。他クラスの自由曲「川」♪昨日の水はもう今日の水ではないが…今日の水はもう明日の水ではないが…私は旅人 やがて去る旅人…って今の自分かなってしみじみ思ったりしたけど、だからと言って憧れのガンジス川から特に何かを得られた訳ではなく。
そうそう。よく死体が流れてるって話を聴聞くけど、朝日ボートツアーの船頭さんによると、石を死体にくくって沈めてるとのこと。

それじゃ、最後は川沿いを歩こうと思って歩いてたら、地元の少年達に"Hei! Nice hair!!" と言われたのにはウケた。そういや、インド人女性でショートカットは見かけなかったな…
歩くうちに、ガイドブックにあった危険エリア火葬場。雰囲気もなんとなくヤバく、ガイドブックの「火葬する薪代を請求されるトラブル発生」と書いてあったのを思い出した。場所が場所で、ある意味神聖な所なので、観光客は来ない方が良いらしい。何かあっては困るからさり気なく去った。小一時間ガンジス川にいた。

宿に戻るのに人力車20ルピーと確認して乗り込んだ。?? なんか遠回りしてないか?と思ったその時、「途中で降りろ」と言われたから、「はァ?交渉したことは最後までやり遂げろ💢」と言い、宿まで走らせた。40ルピーとかなんとか言い出したが、知らねェよ💢と宿に着くや否や、20ルピーを座席に置いて人力車から飛び降りた。背後で云々言ってたが、知るか!

宿のロビーでこの日記を書いてたら、日本人の女の子2人も自分と一緒の列車でアグラに行くことを知った。我々を駅まで送ってくれる男性インド人送迎ガイドさんが「列車は動いてるが、遅れていて22時発に変更」と教えてくれた。まだまだ時間があるから、自分は午前中に行ったが、IP Mallでお茶しようということになった。「ガイドさん甘いマスクだよね~」だのなんだの話しながら移動。そのガイドさんに、「キミは髪が長い方が良いと思う。ナゼ短くした?」と聞かれたから、「手入れがラクなんで…」と答えた。実際そうだし。彼にも実年齢信じてもらえず(苦笑)。どんだけだよ。この髪型だからか?
彼女達がネットで調べ物したいとの事で、宿に戻った。2人のうちの1人が途中別行動で、ガンジス川上流でヨガの聖地リシュケーシュに自力で行けるかどうか調べ出した。スゴイな!

ガイドさんがそろそろ駅へ…ってことで駅へ。21時。ところが、22時発ではなく、12:00am頃に列車着予定との情報。風邪の影響でいよいよ関節が痛み出したが、階段に座ってお尻冷えてトイレに行きたくなるのも困るから立ってた。あるイミ修行だから…
1:00amやっと列車到着…ってことは当初の予定から7時間遅れ?ガイドさん、この修行4時間の間にナンパに成功って、どういう…宿で合流した彼女達の他に、日本人男性と彼のガイドさんも合流。日本の旅行会社が我々をひとまとめにしたらしい。彼のガイドさん、ロイトさん、がリシュケーシュ行きをアドバイスしていた。ロイトさんは日本人向けの新米観光ガイド。日本語は話せるが、英語的な要素が入った日本語だった。日本人男性が1人インド旅行は不安だからと、日本語話せる現地ガイドさんをオプションでお願いしたらしい。
乗車後、彼のホテルが用意したというお弁当を、ロイトさんと我ら女子3人の計5人で分け合って食べさせてくれた。有難い。米、ウマイ!チキンもウマイ!!しばらくみんなの会話を聞いてたが、風邪の症状で頭もボーッとしてきて、もう限界。座席を寝台にセットしても良いとの事で、3段ベッドになった一番上に寝ることにした。歯は1日磨かなくても大丈夫と薄れ行く意識に言い聞かせた。とにかく寝たかった。

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