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身勝手な「私の願望」

 タイトルにあるとおり、これから書くことはただ私が勝手に思っただけのきわめて身勝手な願望でしかない。その願望とは「そろそろシンガー、もしくはアーティスト森七菜がまた見たい」というものだ。

 もちろん、七菜さんの気持ち次第なのはわかっているし、かなわなくても文句などいえるはずもない、ただただ身勝手な願望である。それでも文章として書いてしまうくらいには、その願望がつのっている。

 大分と東京で行われた七菜さんのライブ「㐂」、私は大分の一般発売をなんとかもぎ取り、参加した。
 特にあの当時の彼女は決して楽な状況でもなかったし、いろいろ思うこともある日々をすごしていたはずだ。その中でも、自分が今できること、やりたいこと、やれること、言いたいこと、表したいことを、決してハッピーだけではない、その時の彼女自身と向き合って出てきた曲たち、グッズたち、全部に彼女の並々ならぬ思いを感じ、触れて、気づいたらライブの大半、彼女のことが愛おしすぎて泣いていた。すごい力がある人だと感じながらも、インスタントラーメンに感動できたり、突然同じ目線に立ったコメント返信があったりと、「近さ」も感じる。そんな「ともだち」のような彼女は、そのライブの時から見ると、またひとつ大人になった。

 その今の彼女からは、どんな歌が、詩が、表現が出てくるのだろう。触れてみたいと思ってきているわがままな自分がいる。
 そして、こうも思うのだ。「㐂」の時は、彼女がアーティストさんにお話をして作ってもらった曲を歌っているのだけど、特に今の彼女なら、自らの言葉で詞が、自らの感性で曲をつむげるんじゃないかと。
 そんな彼女の内面から出てくるものを聴けるなら聴きたいなあなんて、ほんとに勝手に思っている。ごめんね、でも、思うだけならタダだよね?

今のあなたからは、どんな「うた」が出てくるんだろう。

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