あかなめ消滅

 季節は春の3月で、この暖かさならマンションのベランダから早めの花見もできそうな時期の深夜11時。チャンネル登録数が5万人で、ネットの動画配信による広告収入で生計を立てている動画ネームは蝶華蘭。本名は大野春子が動画の編集を終えて、シャワーを浴びようと浴室に行くと、浴室に据え付けてある洗濯機の近くで赤い肌をした全裸の小僧と出くわした。背中まで届くほど髪の毛を伸ばしている。
「誰? 何をしているの?」
 と春子が聞くと
「怪しいものですが悪さをする者ではありません。私は風呂場に出る妖怪あかなめです」
 と小僧が答えた。
「あかなめ?」
 聞いた事がなかったので、春子は手元のスマートフォンで検索した。確かに風呂場に出る風呂のあかを舐める妖怪で、画像検索をしても目の前の小僧とほぼ一致する。
「私のお風呂場の浴槽、そんなにあかがこびりついていたかしら?」
 と春子があかなめに聞くと
「いえ、この家のお風呂はきれいなもので水垢一つありません。しかし、それがあかなめにとっては問題なのです」
「問題?」
「最近は清潔ブームの上に浴槽用洗剤やお風呂掃除グッズが充実しすぎて、どこのご家庭に行ってもあかなめの舐めるあかがお風呂場にないのです。それで仕方なく、洗濯機の洗濯槽の裏側に貯まった水垢を舐めていたのです」
「そうね。今の時代だと、どこのご家庭でもお風呂はほぼ毎日洗うからね・・・・・・」
 と春子はあかなめの現状を聞いて同情した。しかし、同時に動画配信で食べている者の目でもあかなめを観察していた。
(本物の妖怪。これは動画のアクセス数が稼げるわ)
「そうだ! あかなめさん。ネットの動画に出演してみない? 今の時代はネットとSNSの時代よ。動画で妖怪の困っている現状を訴えれば、何か解決策が出るかもしれないわ」
「わ、私がネット動画に出演?」
「そうよ。私の部屋に来て」
 と言って春子は先ほどまで動画の編集を行っていた部屋にあかなめを連れて行った。マンションの1室を動画撮影用のスタジオ兼編集室に改造してあるのだ。パソコンの電源を入れ、動画撮影用カメラをONにして、手元のスマートフォンからSNSアプリで
『今から特別緊急LIVE放送を始めます。30分ほど待っていて下さい』
 とフォロワーにつぶやいた。人気動画配信者だけあって、大野春子のSNSフォロワーは6万人を突破している。
「あかなめさんは動画出演は初めてよね? 原稿を用意していない素人はほぼ上手くしゃべれないの。他に困っている妖怪はいないの? 原稿を今から私が書くわ」
「そうですね。小川が無くなったせいであずきとぎも消えてしまいました。床下換気扇の普及で毛羽毛現(けうけげん)も最近は姿を見かけません。納戸婆(なんどばばあ)は日本の家から納戸が無くなった時点で消滅してしまいました。台所や風呂場の燃料が薪(まき)からガスに変わって煙羅煙羅(えんらえんら)もどこに行ったか分かりません」
「分かったわ。アニメとかマンガだと妖怪はブームなのに、現実は厳しいのね」
 と春子はあかなめと話しながら、印刷する手間も惜しいので大型タブレットに原稿を書いて、PDFファイルに変換した。
「原稿の出来上がり。あかなめさんは手元の原稿を読むだけでいいわ」
 と時間になったので、春子は手早くメイクを整えて、動画用の衣装に着替えてカメラの前に座った。
「どーもー! 蝶華蘭でーす! 今夜は緊急特別LIVE動画としてゲストをお呼びしました。この方です。妖怪、あかなめさんです!」
「ど、どうも。あかなめです」
「皆さんは妖怪をアニメやマンガでは流行だと思っているのかもしれませんが、実際はそうでもないそうなので、その辺を本物の妖怪のあかなめさんに語っていただきます」
「どうも、あかなめです。今、令和時代の妖怪は全滅寸前です。日本人の生活習慣があまりに早く切り替わりすぎたせいで、ついていけない妖怪が続出しているのです」
「なるほど。例えばどのような妖怪が消えてしまったのですか?」
「東京では本所七不思議の一つであった灯無蕎麦(あかりなしそば)は昭和時代にいなくなりました。他にも日本の家の屋根から明かり取りの窓が無くなったので精螻蛄(しょうけら)も消えました。今、生き残っている妖怪は多かれ少なかれ、現代日本に合わせようと努力している妖怪だけなのです」
「そうですよね。私もあかなめさんと出会ったのは浴室の洗濯機の側でしたからね」
「はい。あまりにも洗濯機の裏側に水垢を溜めておくとあかなめが出るぞという方向に路線変換しようと思いまして」
「なるほど、あかなめさんもがんばっているのですね」
「電気と明かりの普及のしすぎで、妖怪の出られる場所は減るばかりでして」
「ところで、あかなめさん。視聴者からコメントが届いていますので読んでみますね。『あかなめさん、可愛い』『アニメでは見たけど実物は初めて見た』『そう言えば家の死んだお爺さんが見たって言うお歯黒べったりも最近は見かけないな』『ぬらりひょんとか一度会ってみたい』なるほど、妖怪に対してけっこう好意的なコメントが多いですね。『わざわざ洗濯槽掃除用の洗剤を買わなくてもあかなめさんが舐めてくれるの? 助かります』『あかなめさん、洗濯機の水垢センサーみたいで役に立つ良い妖怪じゃないの』も届きました」
「や、役に立つ? そ、それは困ります。例外はあっても、基本的に妖怪は怖がられる者であって、妖怪が人の役に立ってはいけないのです。人間の役に立った妖怪は・・・・・・」
 とあかなめが慌てながらコメントをしていると、あかなめの体がだんだん透き通ってきた。
「あれ? 消えかけている? あかなめさん? 大丈夫ですか?」
 と春子が声をかけると
「もうおしまいです。さようなら」
 と言い残して、あかなめはカメラの前から消えてしまった。
「LIVE動画配信中ですが、残念な事にゲストのあかなめさんが消えてしまいました。この動画を視聴中の皆さん。妖怪を目撃したら思い切り怖がって、逃げてあげて下さい。スマートフォンで撮影してSNSにアップして1万いいねが付くだけで妖怪は消えてしまうようです。怖がられる事が妖怪の存在意義なようです」

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