2021年7月12日 ななちゃんとの別れの日

17年間共にしたチワワのななちゃんが虹の橋を渡っていった。

2021年7月12日のことだった。

その時は、急にやってきた。

それまでの思い出話はまた別で記録することにして、今回は、ななちゃんと過ごした最後の一週間を記録してみた。

7月5日(月):

ななちゃんが嘔吐した。病院に連れていくか悩んだが、昔から吐くことが多かったので、少し様子を見ることにした。ぐったりしていたが、そっと見守った。

7月6日(火):

朝、まだぐったりしていた。様子がおかしいと感じながら、仕事をすることを優先した。仕事(テレワーク)の合間にも様子を見に行くが、全然、動かない。夕方、病院に連れて行った。血糖値が通常100以上のはずが40台とのこと。緊急入院となった。その時初めて、このまま死んでしまうかもしれないという気持ちがよぎったが、まさかねと思った。先生に1日の検査入院を勧められ、そのまま入院をすることにした。

7月7日(水):

退院予定だったので病院に迎えに行った。獣医から検査結果がよくないという話をされた。もしかすると点滴を続けるとよくなるかもしれないのこと。数日間の入院を勧められた。しかし、母親も7月9日から2か月の長期入院することになっていたので、もしかするともう母親とななちゃんが二度と会えなくなるかもと頭をよぎった。そのため、母親に合わせたいので連れて帰ろうかと思うと先生に相談した。先生からは、お見舞いもできるので、入院を勧めるとのことだった。私は、その時、ななちゃんに元気になるだろうと楽観的に考え、入院を続けることを決めた。

この日のななちゃんはぐったりしていて、一度も、私の呼びかけに答えることはなかった。でも、すこし、寝返りを打ったりなど筋肉を使っていることは感じ取れた。

また会えると思っているため、5分くらい撫でて、帰宅した。

7月8日(木):

母親がななちゃんのお見舞いにいった。この日は、獣医の休診日のため、昼間しかお見舞いは行けず私は仕事があったため、母親のみが会いに行った。ななちゃんは、まだ、うごかなかったと言っていた。

7月9日(金):

朝から母親が自分の入院のため家を出かけて行った。朝、見送った後、仕事をして、夕方、ななちゃんのお見舞いに行った。そうすると、いつも、かなり並ぶ獣医であったが、緊急で呼ばれ、このままお家に帰って大丈夫なので退院だといわれた。点滴をして元気になったという。しかし、目は開けず、ぐったりしている。自力で立ち上がれないため、食事もとれない様子であった。そのため、注射器でご飯をあげることになった。夜、家に連れて帰り、元気になると信じ、いつも通り、ななちゃんのゲージに入れて寝かしておいた。

7月10日(土):

ななちゃんの寝ている場所が変わっていた。動いたんだと安心した。でも、相変わらず、私が見ているところでは動かない。この時からおそらく私は何かを感じたようで、私はななちゃんから目を離さないようにした。仕事があったが、家からオンラインで出席し、常に自分の横にななちゃんを寝かせていた。お水やご飯を頻繁に与えて、元気になれと言い続けた。夜、病院に点滴をしに行った。ご飯を食べれば元気になるといわれた。それを信じて無理やり食事を注射器で上げ続けた。その日の夜から、一緒に寝ることにした。

7月11日(日):

朝、10時ごろななちゃんが全身けいれんを2回ほどした。泡も吹いた。獣医に急いで連れていき点滴をし痙攣止めももらった。尿も自分でできなくなっており、先生が手で出してくれた。首もだらんとして、意識があるようには見えなかった。でも、一生懸命、息をしていた。この日は、母親の病院に妹親子(2歳と3歳の子供と妹の3人)とお見舞いに行った。病院の中に犬は入れない。また、母親もコロナのため病院外に一歩も出れない。そのため、ガラス越しに母親とななちゃんには再開した。

そのあと、公園に行き、妹親子と一緒に遊んだ。ななちゃんは意識はなかったが、私の目からは幸せそうにみえた。

その日の夜から、ななちゃんの息が、特徴的な息の仕方になった。これをチェーンストークス呼吸というそうだ。もうそろそろだと感じ始めた。隣で手をつないで寝た。

7月12日(月):

朝からこのままななちゃんはどのように息が止まるのかと不安になってきた。もう、おそらくダメだろうとわかっているものの、死ぬ瞬間が想像できなかった。

仕事は休んだ。 

ななちゃんをずっと見ていると涙が止まらなくなった。動物病院に連れて行き、緊急で診察してもらった。楽に死ねるようにと尿を出してもらった。もう、自分では尿も出せなくなっていた。 目を自力でつぶることができず、目が乾燥するとつらいそうなので、目薬を差して目を閉じるといいと教えてもらった。少しでも楽になるようにと点滴もしてもらった。

そのあと、約1時間、ずっとななちゃんをさすっていたが、ふと気を許して携帯を1分ほど見てしまった。はっと気が付いたとき、ななちゃんの息が止まっていた。

何度か確かめたが、心臓の動きも感じられなかった。

ななちゃんを抱きしめてみた。ななちゃんの顔がすごくすごく落ち着いて、 やさしい顔になっていた。あんなに苦しそうに息をしていたのが気のせいのようだった。

ななちゃんは17年前の7月に家にやってきた。私が知り合いからもらったのだが、その時、私がしっかり育てるという約束で飼った。本当にかわいかった。でも、子犬の時は、あまり面倒を見なかった記憶がある。いうことを聞かない時に叩いたりもした。一日、暗い部屋に置いたままにして、外に出さない時もあった。

17年も生きれて往生したね。幸せだったねと言われるために、その時の記憶が思い出され、苦しく感じた。もっとちゃんとかわいがっていれば、あの暗い部屋に一人ぼっちにしなければと後悔した。

7月5日、吐いた時になぜ病院に連れて行かなかったのかと後悔もした。

1週間、ななちゃんは必死に息をして生きてくれた。しかし、毎日、点滴に連れていかれ、ほぼ無理やり生かされていたななちゃんは幸せだったのだろうかとも考えた。

「死」というものは、言葉で聞いてもしっくりこない。すごく遠いことのように感じる。無意識にわざと考えず、遠く感じるようにしてしまっている気もする。

最近、「いつか来る死」という本を読んだ。病を患っている患者さんや家族が、死を間際にしていても、「死に方」について考えるのではなく、病気を治すために入院し退院後の予定を立てているということがあるそうだ。病院の中で死ぬのは、本当に望んでいる死に場所、死に方なのかと疑問を呈していた。

今回、私もななちゃんは元気になってほしいという願望から、ななちゃんが望むだろう死に方を考えなかった。そして、私の生きてほしいという思いで、生かすために無理やり食事を与えて点滴をした。また、普段から「死」を意識しながらななちゃんに接していれば、後悔の残る接し方や死に方をさせなかったのではないかと思う。

ただ、「死」、「死に方」について意識するというのはどういうことなのだろう。あまりに考えないようにしていたのでしっくり答えがすぐには見つからなかった。

でも、今は、自分がどう感じて、どう考えるかを常に意識し、どのように生きていきたいのかを考えること、そして、自分の時間・人生には必ず終わりが来ることを心にとどめて日々過ごすことなのかなと思う。そのためにも、今からいつ来るかわからない死を眺めて考えるのではなく、どのように死にたいか、死までどのように生きたいのかの順番に考えるようにするべきだと思った。

自分の感じること、自分が考えること、をより深めるためにも、知識、感性を伸ばしていく生活を大切にしていこうと心に決めた。

この経験を克服して以来、色々なことに興味を持ち、精力的に取り組めるようになった。自分の気持ちを意識すると、人の気持ちにも深く共感でき、優しくなれた気もする。

ななちゃん、本当に長い間一緒にいてくれて、ありがとう。

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#PS2022



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