見出し画像

お産は爆発だ!!

ブログはじめます!!と宣言しながら、しばらく空いておりました。

毎日いろんな気持ちを感じながら、目の前のやることに、どう時間を使おうかと思考するあくたれ夏子です。

さてさて、どうしても余韻が冷めやらぬうちに形に残しておきたかったので。

福岡県朝倉市秋月の「とわのね ははのね」というピアノコンサートに10ヶ月の次女と参加しました。

泣いたー。
いろんなもの、心から湧いて出たー。

助産師の今井圭子さんのナビゲートで、受精卵から人間として生まれでてくるまでのお話で自然と涙が溢れてた。

なんだろうな、自分の語彙力のなさに悔しいっ!!ってなるけど、言葉でうまく現せない。

自分の心を形にするとしたら、玉ねぎでさ、玉ねぎの皮1枚1枚剥いでって、中にあるとてつもなく純粋なもの(自分で言うのもなんですが)に触れる感じ。

「ただ、生きてることを喜ぶ」って感じ。

目の前の愛しい、愛くるしい娘が笑ってるのがただただもう嬉しい。って感じ。

書きながら、玉ねぎの真ん中にまた触れてじわっと泣きそうになる。

それから、ピアノの音色の中で、参加者の方を1人1人囲んで、受精卵だった自分が産まれてくるイメージをみんなでするんだけど、「○○ちゃん、待ってたよ」「かわいいねー」「会いたかったよー」「よく来たね」「おめでとう」とかとか、その時湧いてきた言葉を湧いてきた人が自由に発するのね。

他の参加者の方が声をかけられている間、私は来未におっぱいあげながら、ずっと泣いてて、私なんでこんなに胸の奥がうずうずざわざわするんやろーって感じてて。

特に皆さんの「おめでとう」の言葉にずっと反応してた。

で、はたと気づいた!

なんかこのワーク見てて、赤ちゃんが産まれるシーンみたいだと感じてて、私、来未が産まれるとき、こんなふうに迎えたかったんだと気付いた。

いや、正確には気付いてたんだけど、こうやって自分の望んでいたお産のシーンが目の前にあって、私はそれができなかったから、来未のお産のときのことを思い出して、切ないやらびっくりやら落胆やら恐怖やらの感情を思い出したんやな。

お産のときのことは長くなるのでまた書くとして。
え、そこ書かんのかい!!と突っ込まれそうやけど、今日はこの秋月での1日を書きたいのだ。

そのときの感情を味わったら、自分の番がきて、ただただ皆さんの声が嬉しくて心は安堵と感謝に満ちていた。

大人になってから、「産まれてきてくれてありがとう」とか「待ってたよ」とか声掛けられることってあんまりない。

みんな、恥ずかしそうに嬉しそうにその時間を味わっていた。
嗚咽したり、よだれ出したり鼻水出す人もいた。

なんかその姿が「まさにお産やん!!」みたいになって、「わー私ここまでまだ人前で出しきれんわーまだ恥ずかしさがあるわー。あー、でもこんなのすごい人間らしくて気持ちいいわー」と思いながら見ていた。

それでそれで、シェアのとき、みんな涙ながらに語る。「こんなことが今までつらかった」とか「今日のように、親に『おめでとう』とか言われたことなかった」とか「もっともっと、自分をさらけ出して泣きたかった」とか。

みーんな、たまってるもの出したくて、喋りたくて叫びたくて泣きたくて、でもなかなかこういう場所がないと泣けなくて。

そうしたら、不意に「お産は爆発だ!!」ってワードが降ってきた。
なんで爆発かって、私の2度のお産(とその後)を言葉に例えるとそんな感じだったから。

そんで、「お産は爆発だ!!お話会」とかたのしそうやん!!とワクワクした。

お産で泣いたー笑ったー怒ったー、なーんでもくっちゃべる会。んで、なんならもう、途中からお産以外の話が飛び出しちゃってもオッケー!

来年やりまーす!
宣言しちゃった、ドキドキー!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?