群れなせ!シートン学園(1話)感想

 どうやらアニメ版は漫画版とかなり違う部分があるみたいですね? たぶん話が前後したりするだけで、きっと本質的な違いというわけではないと思いますが。いや、どうなんでしょう。

・人間を動物の一種として扱い、ヒトが持つ特徴としての優れた投擲能力を動物と同じ形式を使って紹介する……たつき版けものフレンズかな?

・OPはあまり印象に残っていないです。ンバンバ言ってた?

・食堂の券売機のメニュー「生肉」「草」「虫」「生魚」「葉」「水」……セルフサービスではなく主食に水? ケムリクサの世界かな?

・ランカと再遭遇。しっぽを振って喜びの表現。アニメだと動くものに自然と目が行くので魅力大幅アップですね。

・「いろんな動物とも一緒の群れになれるかもって」……思想。共存の考えをもたらすのはランカ。彼女にその発想を与えたきっかけこそジンですが、この娘が精神的には作品の主人公に近いように感じます。

・動物嫌いだが、動物に詳しいジン。こういうアンチのほうが詳しいっていうことよくありますよね。嫌いだからこそ回避手段を探したり、緊急避難の方法を身に着ける過程で対象の得意なことや魅力の情報も頭に入ってしまったり。動物に興味が無いのとは異なり、好き嫌いというプラスでもマイナスでも動物への関心は絶対値として備わるために、潜在的には動物好き主人公に近いものがあります。もちろん第一印象は悪いですが。

・ヒロインと過去にあったことを覚えてる系主人公。珍しいですね。

・アイキャッチの動物。名前と動画のみで少し物足りない印象。

・クロエのやりすぎをヒトミが止めに入るシーン。善良な人格と示しているのか、動物の群れのルールに内政干渉しているのか判断が付きにくい。

>ヒトミ「重そうだし、少しくらいは自分で持ってあげれば」

 クロエが詰め寄るとき、絶対に「あなたも隣の雄に重たい荷物持たせてるようですけど?」って言うと思って見てました。いや、ジンはへーきへーきと言ってはいたんですけどね。第三者から見たら同じに見えるのではないかと。男女差こそあるものの。

・ちょっと気になるセリフの前後入れ替え。原作とセリフの並びを変えたことで印象がかなり違いますね。
>ホントはジンと群れになりたかったけど

原作版:(ジンはウソつきじゃないよ)~ジンに仲間ができたなら~ホントはジンと群れに~シマウマ怒る~「そんなつもりは」

アニメ:(群れの順位付けの話題)~ホントはジンと群れに~シマウマの怒り(一回目)~ジンに仲間ができたなら~シマウマ怒り(二回目)~「違うそういうわけじゃ」

 漫画版の流れでは、ランカが望む他の種族を含む群れという理想を前提として「人間とも仲良くしたかったけれど、ジンに他の理想があるなら」という意味に解釈されると思います。愚痴の理由はジンがよそで群れを作って自分とは仲良くできないことが中心になっていて、シマウマの思い違いである「滑り止めですの!?」が本当に誤解であるとわかりやすい。ランカは馬と人間に優劣を定めてはいなかった。自分がボスになりたい気持ちはあったけれど。

 一方で、アニメ版はこの部分がわかりにくかったですね。「ぬぁんですって」と先に反応されることもあり「ホントはジンと群れになりたかった」が文脈を無視してセンテンス単位で解釈されてしまいがちになる。扱いの悪さからの愚痴としてランカが「馬と比べて、ジンと群れになるほうがよかった」と言っているように初見では感じてしまいました。その後にクロエさんから追及された時にランカは弁解しますが、単純に「今の群れが辛いのかも?」と感じる時間が長いんです。狼らしく群れのリーダーと部下たちを根拠に言っているであろう、新入りは下働きもやらされる生活の肯定。強がりなのか狼の常識なのか。そこに少しでも幸せがあるのか、ないのか。一話の時点ではランカのことも、この作品の野生ルールを適用する程度もよく知らないため判断が難しい。

・主人公がクロエ(シマウマ)を「馬よりシマウマに近い」と指摘するシーン。主人公が言い負かして終わりにしなかったのがよかったです。漫画版では心の声で「コンプレックスが転じて今の性格になった可能性」をジンが推測しているけれど、アニメではそちらの代わりに取り巻きが発する「クロエ様」「私たちは気にしませんよ」とフォローする声に尺が割かれる。これがあるために主人公が真実を暴いたことに罪悪感を持ったりジンがクロエに同情するのとは別の、もっとクロエに直接的な救いがある。私は彼女が「蔑ろにされなかったのだ」と強く感じました。簡単に手のひらがえしをする取り巻きではなかったことが、嬉しかった。彼女たちの群れの中に多様性を許容する態度だったから。自分たちの好んだものを簡単に嫌いになったりしなかったから。

・「違う動物同士で仲良くなるなんて無理なんだよ」

 少し前の場面でこんなジンの台詞がありました。シマウマ達のこの関係性は反証になるんじゃないでしょうか。ロバの近縁種と言われても拒絶しなかったウマ娘二人なら、奇しくもジンの言った種族差を、わずかでも乗り越えている。人間とどんな動物がパートーナーとして歴史がどうこうと言わなくても、身近に垣根を超えた実例がいる。そういう意味でもシマウマが仲間から否定されなかった展開はとてもよいものです。

>作者コメント:次回はシマウマ娘クロエのおまけ漫画です。本編でも再登場する予定です。

 山下先生がわざわざこう記載されていることからわかるように、きっと今回悪役だったクロエには時間をかけて掘り下げがあるのでしょう。連載当時の時点で読者に対してクロエについてのフォローが不足していることは自覚があったのだと思います。まず主役たちを確立するために後回しにせざるを得なかった動物がいると。おそらくアニメ第一話ではこうした補足抜きの条件かつ「第一話だけ見た場合の動物キャラの扱い」を優先して脚本を作っているのだと思います。ジンが内心でフォローする部分がカットされたせいで主人公キャラへの好感度は下がるものの、使い捨てのゲストキャラかもしれない悪女役動物へのフォローが今回の話の内にある。もしこちらを後回しにされると動物は「間様人」のためのかませ犬で動物軽視だと受け取られかねない。動物ファーストはよい判断だと思います。

・ランカのためではないクロエへの介入。原作とはエピソードを前後させたために一番大きな変化があったのはこの箇所で間違いないでしょう。アニメではジンがランカとまだ絆を深めていない状態です。そのため「ランカのためのジンの言葉」がカットされたのですね。結果としてジンがランカのためというよりも単なる義憤や、もっと言えば動物憎しで行動しているように見える。この場面の意味の違い……というより全体の構成変更については、私が漫画よりも先にアニメを見たためにバイアスがかかっているかもしれませんが、アニメが好み。でも両方に違った良さがあると思います。(ジンがまだ、シマウマに罪悪感を感じたり、理解を示す、彼女にも同情するといったことをする下地ができていない。そのためすこし不自然なくらいに無言。その妙な空隙はリアルタイムで見ている時にも感じましたし、原作に触れて、やはりここは再構築で違和感が出てしまった部分だと思いました。アニメ版の数少ない欠点ですね)

 この場面に限定して比較する場合、ジンに好感が持てるのは漫画版です(漫画版はその代わりに売り言葉に買い言葉的なそれ以前のサゲ展開のせいでジンへの不満が蓄積していますが)。ランカの望みをかなえてくれる存在であることを強調しているし、何よりランカの方を見た言動をとっている。攻撃より守ることを考えているのが明示的だった。

 アニメ版ではそこがジンの動物嫌いを見せる場として使われており、カタルシスのある場面と直接比較してしまえば差は歴然。とはいえ、これはそのシークエンスが持つ役割を作品内で配置換えする意図があることを考慮するべきだと思います。原作2話におけるジンは評価を下げてから上げる。ただし、この手法は二話分あるから見せ場が二回あるべきというものであって、アニメ一話にその二回のアップダウンをいれられると、ジンの態度の急変についていけなくなる。

 ジンががランカを受け入れる展開を先延ばししたのにはもう一つ理由が考えられます。というより、おそらくこちらが本題。アニメの尺という都合などではないもっと根本的な変更点。それを感じたのはクマ3との揉め事のシーンです。ジンの介入理由が原作とは「大きく」違います。動物同士の争いから変化しており、人間が被害者にいるという、ランカや動物への感情とは無関係にジンにとって関わる理由があった(実際の挙動もヒトミを逃がすことを優先しており、ランカの心配は後回しでした)。原作で幼い頃の思い出はクマ襲撃の直前のためジンが駆けつける理由になるだろうと読者の心理を誘導していますが、アニメでは前半パートにあるためエピソード間の距離が遠い。とはいえ、ジンが最近思い出したその話を今も「視聴者が」どれだけ覚えているかを基準にして、ジンが助けようとして当然の人間を被害者に加えるように脚本を変更したわけではないでしょう。盤向けエピソードを前半に配置してしまったせいで後半を不自然に変えるはめになる構成なんて普通の脚本家ならありえません。だからこう考えられるのです。幼い頃の自分の行動について感銘を受けたランカの話ぶり。シマウマとのエピソードで、暴君のような厚かましさと思いきや本当は他人の幸せを決して邪魔しないようにするランカの優しさを知った。ランカよりはるかに強い集団に対して、彼女が他人のために必死で立ち向かう姿を見た。これで三度です。(ついでに言えば、人間の群れが無事を喜びあうのを見ても自分の活躍を主張せず、ひっそり身を引こうとする奥ゆかしさも発揮しているのも)。これだけの迂回をしてきたのは、チョロインならぬ「チョロイ主人公」と万が一にも言われないようにしたかったのではないでしょうか?

 ヒロインが主人公を好きになる過程はよく重視されて語られるのに対して、主人公がヒロインを好きになる過程は軽視されることが多いです。ヒロインを嫌う理由がない主人公ならそれでも構いません。しかし、本作品の主人公は動物嫌い。ヒロインへの愛着について作者は意識するし、読者や視聴者だって動物を嫌わない理由を注視する。だから、許される限りのリソースを使って、嫌いな気持ちを残したままでもその嫌悪より好きな気持ちが上回るまでジンがランカを受け入れる展開を遅らせられるだけ遅らせたのではないかと。ただし、溜めて起爆して終わりではなく、主人公がランカを受け入れるのを先延ばしにしたことには副産物もあると思います。アニメ版はランカをジンに思想的な柱を与えるのみならず、物語上でも第二の主役(あるいは第一主人公)として強調されているように感じます。

 クマ3VSジン&ランカは、原作では攻撃で吹き飛ばされるのがジンのみであったのに対して、アニメ版では「二人まとめて」であるのが片方を特別扱いせずにダブル主人公を示唆している感じがあります。原作1・2話を本編一話にする構成の影響もあるとは思いますが「ジンをペロペロ」と「ヒトミをペロペロ」がアニメでは同じ回に収まっているんですよね。先か後かの違いはあれども、同じ話の中にある。そして原作で事故でだった「ヒトミとのペロペロ」もアニメではランカの明確な意思を伴う、群れへの歓迎行為です。ジンがヒトミと群れになれたという考えの他に、ヒトミがジンと群れになれたともランカは考えている。それぞれの幸福を二人まとめてではなく、互いの視点から評価している。まるでヒトミはランカにとってもヒロインであるかのように、事故で仕方なくというコメディ展開じゃない、大切な仲間のひとりとして見つめている。

・ジンは原作よりかっこ悪いだけなのか?

 原作では見回りをしていた教竜という外部の力によって偶発的に危難が取り除かれる。それに対してアニメでは「ヒトミが先生を呼んでくれたおかげ」という解決です。役立たずのランカと的確に動けたヒトミとの対比が強調されていた(※ランカはヒトミを逃がすときに「先生を呼んで」などの連携をとっていない。ヒトミの自発的な行動なんです)。

 ヒトミに感謝するジン。ランカは寂しげに去ろうとする。この展開は某アニメのイヌを思い出してトラウマが刺激されましたが、鬱展開は回避。立ち去ろうとするランカの行動でようやく声をかけるきっかけを掴むのは、彼に動物嫌いが染みついている感じがしますね。無関心ならともかく、動物嫌いならこれくらいでもいいんです。かっこ悪さがいい。原作とどちらがいいかは好みが分かれると思いますが。


~感想に組み込めなかった良かった点など~

「ヒヒーン」を笑い声として意識的に使う芸の細かさ(原作準拠)。いや、初回は気づかないままスルーして、原作を見ている時に鳴き声ワンワンだぞってコレかーコンプレックスからの行動ここにもあったかーと気づいたんですけど。

・ランカのよだれ(汚いもの扱い)

犬の唾液が危険なのは知識として知っていても、汚く見えない。たぶん雑菌なんて寺野先生が絶滅させてくれてるからキレイだよ。

・しっぽをふる(高速)

かわいい。

かわいい。

・「ねぇねぇねぇねぇねぇ。嬉しくないの? 群れになれるんだよ?」

 原作ではボスの威厳にこだわっているような振る舞いだったけれど、アニメ版では自分の幸せと相手の幸せのギャップに戸惑っている印象がとても強い。木野日菜さんの演技もいいですね。価値観の相違を経験したことで色々と悩み、シマウマに語るまでの間にランカは成長したんでしょうね。

・制裁を受けるランカの悲鳴

殺ハム出てる。

・ED曲……すごい。大狼プリンセス、好き。

アニメイト&ゲーマーズ限定で2020年2月21日発売。

・次回予告……どこか殺傷ハムスターっぽさを感じる。

・群馬サファリパーク シートン学園。群馬サファリパーク シートン学園。

次回も楽しみって書こうとしたんですけど、この新キャラってコアラなんですか? 嫌な予感がするんですけど……もしかしてソウナンですか? よだれの雑菌を汚いという(深く考えなければ人間の唾液に近い気分でごまかせる)程度の不衛生で終わって欲しいのですが。


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