なんすかツングースカ

※当記事はゲームアプリ『Fate/Grand Order』期間限定イベント《非霊長生存圏 ツングースカ・サンクチュアリ》の感想記事です。ネタバレとネガティブな感想が多い記事になりますので、苦手な方は読まないことをお勧めします。

この感想はあくまで私の感想なので、今回のシナリオを読んで「面白かった!」と思う人はその感想を大切にしてください。これは私の感想です(平たく言うと私のことは放っておいてください)
もし「あれを面白かったとかマジ?w」みたいな奴がいたとしたら、そいつはひとの心がわからない奴なのでブロックしよう。わかり合えないから。

・『蚊帳の外』感

私はツングースカを「コヤンスカヤとカルデアの最終決戦シナリオ」と思っていたからこそ肩透かしを食らったんだと思う。

今回のシナリオは、私にしてみれば「コヤンスカヤとニキチッチ」「妲己と太公望」の話だった。
私は「プレイヤーとして4年もの間コヤンスカヤと関わってきたのだから、此処で盛大に決着を付けたい!」と思っていたけれど、シナリオはそうではなかった。新規実装された太公望とニキチッチが前面に押し出されていて、「カルデアVSコヤンスカヤ(ビーストⅣ)」という雰囲気がほぼなかった。

終わり方はとても良かった。今まで異聞帯を切除し(殺し)てきたカルデアだからこそ、今回「『殺し合い』をしなくても終えられる」という選択が出たのはひとつの救いだったと思う。
コヤンもカルデアも「どちらかが死に絶えるまで」を覚悟していただろうから、第三者である太公望が和解(というか不可侵)の選択肢を出したのも良かった(まあ太公望は過去の妲己の一件もあるから、あの計画は太公望のエゴでもあるんですけど、それもクソデカ感情オタクとしては「ええな」と思った)

だからこそ悲しかった。というか、切なかった。
こういう終わり方だったら余計、双方で「力を出し切った!」と思えるくらいに闘ってから終わりにしたかった。
だってもう会えないんだもの。カルデアにちょっかいかけてたタマモヴィッチ・コヤンスカヤには会えなくなるんだもの。
最後になるなら、限界ぎりぎりになるコヤンスカヤを見たかったよ。河原で殴り合いしたかったよ。

シナリオ内でコヤンが「弱っている」と言われても、私はそうは見えなかった。物足りなかった。
本当に弱ってるのか?立絵は変わらず、ぴんぴんしているように見える。令呪を二角切ったとはいえ、ブラックバレルではなくマシュのバンカーボルトがトドメで、本当にそれで終わったのか?
最後に主人公に放った攻撃はニキチッチが庇ってくれた。けど、それだけ。ニキチッチの怪我も、結局はマシュの持っていた薬で治った。完治、凄いね。
太公望の案でコヤンスカヤは宇宙に打ち上げられることになった。それで終わった。
太公望の妲己へのクソデカ感情と、「実はニキチッチはコヤンスカヤの名付け親で、生まれたばかりのコヤンを一時期育てていた」という情報が最後に披露されて、終わった。

これ、一体誰の物語なんすかね。

・知らない奴ら、なぜ今

「どうして太公望とニキチッチを此処で実装したんだろう」というのが正直な感想だ。
「実装するな!」って言うんじゃない。正しく言うなら「実装するならもっと早くに実装してくれよ」だ。

太公望はコヤンスカヤのことを(上司に騙されて)妲己だと思い、そしてニキチッチはコヤンスカヤと縁あってこのツングースカに召喚されたわけなんだけど(いや太公望の退去の台詞的にまだなんか別の理由があるのか?)
なんというか、個人的には君たちもっと早くに実装しててもらいたかったな。もしくは、実装されなくてももっと早くにストーリーに出てきてほしかったな。

こっちはね、正直言って「ぽかーん」なんよ。特にニキチッチ。
イベントにいきなり実装されたサーヴァントが、あの短いシナリオで「実はコヤンスカヤと関係のあるサーヴァントでした!」って情報出されても、「いきなりなんでそんな?」としかならんのよ。情報の後出しは情緒も余韻もないのよ。

ニキチッチ、ツングースカのシナリオの、最後の最後で「実は…」ってしてきたから「なんやそれ!?」ってビビった。「ママみがある」って台詞が伏線だったの?
いや、コヤンスカヤの名づけの話が中盤で出てきて「ロシアだし……まさかなあ……」程度には思ってたけど、ニキチッチ、道中でコヤンスカヤに対してなんか思うところがあるような描写あったか?コヤンスカヤに対してなにかしらの感情を持っている素振り、有ったか?
どうしてそういう事早く言わないの?匂わせてよ頼むから、こっちはノイズの多い描写で何が伏線なんだかわからないんだから。
シナリオの序盤で「俺には会わなきゃならん奴がいてな」くらい言ってくれれば「嗚呼、コヤンスカヤとなんかあるのかな」くらいには察するよ。
なんだったらLB1で登場してくれよ。「とあるサーヴァントの気配を感じてな」みたいな感じで現れてくれたら、私は今こんなに混乱してないんだよ。なんで今なんだ。

太公望も、実はコヤンスカヤとなにも関係ないサーヴァントなのに召喚されてて「何故」となってしまった。なぜなぜなぜ。
まあ彼に関しては上司や抑止力に「妲己の気配がするで~(嘘)」されたので半分被害者なわけですが。
「生前妲己に出来なかったことを(似てはいるが妲己ではない)コヤンスカヤにやって満足する」という太公望を見せられて、私はどんな気持ちになればいいの?
いや、太公望は必要な戦力だったよ。神仙というFate界のチートキャラだからこそ、このツングースカをクリアできたと言っても過言ではないと思うよ。凄い、強い、偉い。

太公望もニキチッチも悪いキャラじゃないんだ。寧ろ好きな造形なんだ。
けど、なんだろう。凄く虚無というか、シナリオ内での描き方のせいか「なんでお前等なんだ」という気持ちが湧いてきちゃって止まらない。
なんでお前等なんだ。
なんで、コヤンスカヤと並び立つものがカルデアではなくお前たちなんだ。

プレイヤーである私は別に、凄く凄くコヤンを愛しているわけでも、逆に憎いわけでもない。けど『悪女で良い女』なキャラクターであるコヤンスカヤはとても魅力的で、各異聞帯にコヤンスカヤが出てくるとテンションが上がるくらいには好きだった。
カルデアと関わると「こいつらをどう引っ掻き回してやろうかな」という悪趣味さ全開になるコヤンスカヤ、猛烈に好きだった。
ゴルドルフや主人公と会話をするコヤンスカヤ、滅茶苦茶好きだった。
四年、シナリオに出てくるコヤンスカヤを愛でた。
爆裂に愛していたわけでも、熱烈に嫌悪していたわけでもないけど、好きだった。

好きだったから、カルデアがコヤンスカヤと決着をつけるだろうツングースカシナリオを楽しみにしていた。
「どんな会話を交わすんだろうか」とか、ちょっとわくわくしていた。
けど、蓋を開けてみれば、ツングースカシナリオのメインは「カルデアとコヤンスカヤ」ではなかった。
なんでやねん。なんで新規実装の――言い方は悪いが、ぽっと出の英霊がコヤンスカヤとめっちゃ関わり深いみたいな感じ出しとんねん。太公望、生前の因縁も実はないの?え?マジで?実はニキチッチが関わり深いの?なんでやねん。

負けた。ぽっと出の英霊に負けた。
「負けた」という感情が正しいのかはわからないけど、妙な敗北感があった。
シナリオにカルデアはいたけれど、これは「カルデアとコヤンスカヤ」の物語ではなかった。
これは「太公望と妲己」「ニキチッチとコヤンスカヤ」の物語だった。私はそう思う。

・これが最後なのか

「期待してた話じゃなかった」というのがこの虚無感の理由のひとつではあるけど、これが全てではない。
シナリオが全体的に読み辛かった。体言止めに、同じ言葉の繰り返し、「…」や「―」の多様、謎の溜め、説明台詞に、伊吹童子の体形変化の演出……いろいろ重なって、「くどいな~~」という感想になった。
あと「はい」や「(頷く)」と言った短い言動もすべて細かく描写してるから尺が長い。画面をタップして次に進むというスマホゲームのシナリオだとこの描写は何度も画面タップしなきゃならんくて怠いんじゃ。「次は何が書かれてるのだろう」というドキドキが無い。画面をひたすらタップする作業、苦行。

「それ、書かんといけなかったか?書かないと次に進めないのか?」ってシーンが沢山あって画面タップがツラかった。なんの伏線でもない、日常パートにしては冗長ななんもないシーンの連続は本当に虚無だった。
バク(四不相)にニンジンあげる所や、ニキチッチの竜がスケベである話、ゴッフの水を飲むシーン、「ここいる?」ってシーンが沢山あって個人的には物語に集中できなかった(真面目なシーンにギャグが挟まると萎えるオタクの感想)

太公望の台詞が所々「ああ、書き手が「これ面白いだろう」と思って書いてる台詞だ」と思った。「キリッ!(キリッ!)」とか「ガッチャ!」とか。
ね~~~~~~~雰囲気さ~~~~~~~。
その台詞がこのシーンに合うと思って書いたんだとしたら、やっぱり私このライターさんと合わないわ。(ネット)スラングを使えばいつでもどこでも面白いわけじゃないんだよなあ。
太公望が「キリッ!」とか言い出した時は「ふざけてんのか?命かかってんのやぞ?」って思ったし、「ガッチャ!」とか言ってた時には「どうして今まで普通に喋ってたのに突然スラングを?そういうキャラだったっけ?」ってストーリーに入り込んでいた意識が引きはがされた感覚だった。
何故命の掛け合いの最中にそういうのブチ込むかね。せっかく芽生えかけてた没入感死んだわ。
命のやり取りもないギャグシナリオで使ってたらなんも思わんかったし、「ああ、太公望も黒髭と同じようにスラング使う系か」で終わった。しかしこれはギャグシナリオではないのである。だから腹が立つ、哀しいね。

終盤のコヤンスカヤが宇宙に打ち上げられる直前に、ニキチッチが放った「ありがとうは?」も「今そういうの良いから」になった。
あのくだり、多分ニキチッチの『親』成分を出そうとしたのだろうけど、ぶっちゃけ「そろそろクライマックスやで!」ってシーンでやるのは普通にテンポ悪い。やるならもっと別の場所でやってほしかった。話の腰がバキバキに折れる(ここでコヤンが謝ってたらもっと切れてた。キャラ解釈的に)
本当に、お願いだから「実はニキチッチは~」っていうのがやりたいなら、もっと情報を小出しにしておいてくれよ。
コヤンスカヤにニキチッチが「久しいな」とか声かけるとか、逆にコヤンが「あら、あなた……」ってニキチッチになにか思うところがあるみたいな描写を入れるとか……最後に一気に情報出さないでくれよ……。
「ここいる?」なシーンの多さも相まってノイズが酷いよ……。

私にとってツングースカは、タマモヴィッチ・コヤンスカヤとのお別れのシナリオだから、楽しく読みたかった。
お互い死力を尽くして戦いたかった。「これ以上ない」と思えるくらいのシナリオを読みたかった。

太公望やニキチッチのファンには申し訳ないけど、私は新規に実装されたサーヴァントは思い入れが薄いから、こんな気持ちになってしまう。
もしこの二人が、もっと前から実装されていたら(もしくはストーリーに出たら)話は違っていたんだろうけど。

・公式のシナリオで納得したい

なんというか、自分を納得させたくてツイッター内を巡ったけど、他人の「実はこうだったんじゃないか?」みたいな考察を読んでもむなしいだけだった。
私は他人の書いた考察を読むのは好きだが、結局のところ、公式と関係ない人間の発する『考察』は『その読み手がそう受け取った。そう推理した』という話で、答えがどうなのかは公式しか知らない。
ぶっちゃけ考察は答えじゃない。当たり前。「なるほど」と納得がいくものもあれば、「それは突飛すぎる」というものもある。書いてて(読んでて)楽しいが、その考察に責任能力とか無いし「私はそう考えました」っていう一種の感想文なわけで。
公式の文章を読んで「そうか、だからあのとき彼は~」みたいな、自分の中で消化したいんだ、私は(仮に公式が「誰かが考察してくれるでしょ」って感じで投げっぱなしジャーマンなシナリオを書いたら、それは「読者に甘えるな!」ってキレる案件だよ)
公式だけで納得したい。公式のシナリオだけ読んで満足したい。それって悪い事?
「この人の考察ではこう書いてあったよ!!」とか言われても「でもそれは非公式二次創作みたいなものだし……公式の発表では無いし」としか思えんのよ。
考察は考察だから楽しいの。私の中で考察は、「あなたはそう考えたんですね」と読むのが楽しいのであって、公式のシナリオの補強に使うものではないの。私の中では。

・もしも願いがかなうなら

今回はシナリオライター(の文章)と私の相性がすこぶる悪かったために起きた事故みたいなものだと思うんだけど、多分それだけじゃない。
シナリオが短すぎた。多分イベント期間が短いから、それに合わせてシナリオもコンパクトにまとめなきゃいけなかったんだと思う。
でも、無理だよ。コヤンスカヤは四年かけて(強調)色んな伏線とか情報を出してるんだよ?それを十日程度しかやらない短いイベントでどうまとめろって言うのさ。
もっと時間をかけて、シナリオのボリュームを増やして書いてほしかったな。
というかさ、リンボや村正に比べると本当に短いのよ。
リンボも村正も、ボリュームのある文章で退場(幕引き)が描かれてたんですけど、なんでコヤンスカヤは十日しかやらない期間限定イベントでやったんですかね?コヤンが『異星の神』の使徒じゃないから?なんなん?

ツングースカが期間限定イベントじゃなければ、シナリオはもっとボリュームがあったんだろうか。もうちょっと長い期間で、しっかりとした量の文章でツングースカが読みたい。でももうツングースカは出されてしまったので、それはかなわない。哀しい。
これ、期間限定イベントだからこの程度の怒りで済んでる節ある。これでこのシナリオが常設に追加されたら「常設に追加されるくらいだったらもうちょっとちゃんとシナリオ書いてくれます!?少なくともサ終まで残るんだぞ!!」ってキレるぞ、私は。

本当に、どうしてこのシナリオなんだろう。どうしてこんな終わり方なんだろう。
私は基本出されたシナリオが個人的にツボに入らなくても別にキレないんだけど、此処まで「おかしくね?」ってなったのはRequiemコラボ以来だよ(Requiemでもここまでキレた記憶ない)
なんで今年最後に読むシナリオがこれなんだ。私はもうちょっとお別れを楽しみたかったよ、コヤンスカヤ。

回収されてない伏線はエピローグで回収されるんだろうか。
というかエピローグどうなるんだろう。『血の大晦日』が再来しそうで怖いんだが。

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