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長崎の旧町名復活を!!

こんにちは!皆さんはいかがお過ごしでしょうか?コロナも大変なことになってますね…自粛で外出できず、退屈していらっしゃる方も多いと思いますが今回の記事を少しでも暇つぶしにでもしていただけると幸いです!

というわけで、タイトルにもある通り今回のテーマは
長崎の旧町名です!もともと旧町名について何らかのカタチでいつかは持論を発信したいなーとは思っていたのですが、今回偶然にも大学の講義のレポート課題の課題図書にちょうど金沢の旧町名復活が出てきたので、ふと思い出して書こうと思いました。文としては結構めちゃくちゃになると思いますが…笑 まあ、とりあえず読んでください!

早速なんですが、今回私は長崎の町名に多い
2種類のタイプに注目しました。それは、

①町に移住してきた人の故郷の地名由来
②町に多く住んでいた職人の職業由来

①地名由来

まず、①についてですが、長崎というのは移民の町なので基本的に古来からその土地に住んでいる人というのはいませんでした。なので当然地名も無いわけで長崎へ移住してきた人達は同じ出身地で集まり、長崎の地を開拓して町をつくり、故郷の名前を町名にするということから始めました。ちなみに長崎で最初に開かれた6町のうち、5町もこの方法でつけられました。(これについては今度詳しくご紹介します)

現在の町名でいうと、五島町、今博多町、樺島町、古川町、筑後町などがあります。

②職業由来

次に②についてですが、長崎というのは移民の町でもあると同時に商人の町でもありました。そのため、様々な職業の人達がうまく共生するために職業によって町を分けました。

これは現在の町名でいうと、油屋町、万屋町、銀屋町、桶屋町、麹屋町、八百屋町、鍛冶屋町、船大工町、新大工町などがあります。

最後の3つの町名についてはグーグルマップなんかを見ていただければわかると思いますが、旧長崎市街(くんちの踊町の地域)の端にあります。これは、これらの職業は火を使って危険だったり、広い土地が必要な職業であるため、市街地郊外に造られたためです。

3. 失われてしまった町名

ここまで様々な町名をご紹介してきましたが、どれも長崎らしい歴史を十分に語っています。その点において町名はある意味建築物と同じ「歴史的資産」と呼べるのではないでしょうか?

しかし、長崎の町名というのは戦後の住所表記というもので数多くの地名が失われてしまいました。戦後に失われてしまった長崎の町名としては①に当てはまる例だと次のようなものがあります。

豊後町、榎津町、新高麗町、外浦町、大村町、平戸町

豊後は大分、榎津は福岡、新高麗は朝鮮半島など、様々な地域から人々が移住してきたことがよく分かります。

②も多くのものがあります。

磨屋町、本紙屋町、酒屋町、紺屋町、袋町、今篭町

このような町が失われてしまいました。これらも商人の町らしく、様々な職業名が並んでいます。

この他にもなくなった町は多く、戦後の住所表記は長崎らしい町名というものを破壊してしまったのです…

4. 旧町名復活

しかし、こんな中、長崎では逆のことも起きています。つまり、失われた町を復活させる旧町名復活です。もともと旧町名復活というのは最初の方でも言いましたが、金沢市が全国で初めて行いました。(詳しいことはここに書いてありますが、どうやらまだ続いているようです!)

そして金沢市に続いて全国で二番目に旧町名復活が、長崎で行われました。その町というのが、銀屋町、東古川町です。この2つの町は復活へ向けて様々な取り組みを行い、2007年に復活を果たしています。(詳しい取り組みについてはここに書いてあります。)

これら2つの町名は先にあげた①と②の特徴をしっかりと反映した町名となっています。そして、これらの町名は今でも町の人たちに愛されています。

そして、「歴史資産」という面だけでなく、旧町名が長崎の人から愛されているものであるということがあることからわかります。それは…

長崎くんち

です。くんちバカならすぐにピンとくると思いますが…笑長崎くんちの踊町はその多くが旧町名のまま出場しています。ピンと来ない方のために例をあげます。

新橋町…阿蘭陀万歳   小川町…唐子獅子踊
東濱町…竜宮船     紺屋町…本踊
西濱町…龍船      今篭町…本踊

試しに、これらの町名をグーグルマップで検索してみて下さい。おそらく存在しないと思います。というか、存在しません笑しかし、これらの町は全て自治会も存在しており、活動しています。さらに今篭町は町名は復活していませんが、平成21年になんと57年ぶりに踊町として復活しています!ここまで愛されている旧町名なのに、住所には存在しないという矛盾。これはやはりおかしいことではないでしょうか?

5. おわりに…

このように旧町名復活について語ってきましたが、旧町名復活にはものすごい手間とコストがかかります。そして復活したからといってお金になるわけでもありません。

ただ、長崎の歴史を語る歴史資産、長崎の町の人々の愛着これら2つのものとして旧町名を見たとき、私は守る価値があるものだと思っています。

そして幸いにも町名というものは建造物と違い、保全に気を使わなくても余程のことがない限りは永遠に残り続けます。そのため、歴史資産を様々な理由で保全できていない長崎だからこそ、せめて町名というカタチで長崎の歴史を守っていくべきではないでしょうか?

拙い文ですが、最後まで読んでいただき、ありがとうございます!意見などございましたら、ツイッターなどでコメントをいただけるとありがたいです!

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