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あれも!?日本初がいっぱいの長崎

こんにちは。初めてのnote 投稿です。拙い文章ですが、是非最後まで!

今回は、「長崎が日本初のもの」について紹介したいと思います。今回このテーマを選ぶ前、10月のアタマくらいからずっと何について書くか悩んでいました。私は地元の長崎がとても好きなので、「長崎の魅力を伝えたい!」と思っていたのですが、ここで問題が…

伝えたい魅力が多すぎて絞り込めない…

はい、いきなり詰んでしまいました笑 しかし!ここである出来事が。ある日、テレビをボーっといつものように見ていると福岡在住以外の方はご存知ないと思いますが、「福岡くん」というローカル番組があっていました。その中で、「福岡発祥多すぎ問題」というのがあっており、

「いやいや…発祥の数なら長崎のほうが絶対多い!」

と、勝手に競争心に火をつけ、「今回はこれだ!」とこのテーマに決めました。

1. 西洋との出会い

皆さんご存知の通り、江戸時代の日本は鎖国をしており、西洋とのつながりを持てた街は長崎だけでした。

しかし、長崎が南蛮貿易の中心地となったのは鎖国が完成する70年ほど前の1570年です。そしてこの頃の長崎は全国でも稀なポルトガル人と日本人が雑居する多様性豊かな自治都市となりました。このような中でポルトガル人は西洋文化をいち早く長崎の人々に伝えていきました。

この時期に伝わった代表的なものはなんと、天ぷら!「それ和食じゃね?」と思った方もいらっしゃると思いますが、実はこれはもともとポルトガル料理。テンポーラと呼ばれるキリスト教の行事のときに食べる料理が長崎に伝わり、衣に味がついたフリッターの様な「長崎天ぷら」というものにアレンジされ、それが全国へと伝わり現在の天ぷらが完成した、と言われています。

この他にも、タバコ栽培ジャガイモトウモロコシスイカカボチャ、これら全部、安土桃山時代の長崎から全国へと広まっていきました!この時点で福岡と結構いい勝負なんですがまだまだ続きます…

2. 江戸時代

江戸時代になると鎖国が完成し、貿易相手はポルトガルからオランダへと移り変わっていきます。そしてオランダ人は出島に隔離され、外国人との関わりは激減します。しかしそれでも出島を出入りした丸山遊郭の遊女、オランダ通詞、荷卸のアルバイトとして雇われた一般人などを通じて異国のものは少しずつですが、日本へと広まっていきました。ここからは多すぎるのでダイジェストで…

飲食物…コーヒー、ビール、ビスケット、チョコレート、   トマト、パセリ、キャベツ、イチゴ、玉ねぎ、アスパラガス、クレソン、にんじん、イチジク、西洋料理

スポーツ…バドミントン、ビリヤード

動物…ラクダ、ダチョウ、七面鳥

植物…クローバー、カーネーション、ダリア、マリーゴールド、ヒマワリ

楽器…ピアノ

芸術…油絵、銅版画

学問…天文学、物理学、化学、生物学、地学、医学… (科学全般)

工業…ペンキ   

その他…洋室

と、このようにオランダから伝わったものだけでも、数え切れないくらいあります!

そして、長崎に新しいものをもたらしたのは西洋人だけではありません。中国人もたくさんのものをもたらしています!これも多いのでダイジェストで…笑

飲食物…茶碗蒸し、レンコン、インゲンマメ、ビワ、ザボン、からすみ、ちゃんこ鍋、ごま豆腐

宗教…黄檗宗

その他…じゃんけん、けん玉、石橋

この他には伝来は別の場所だけど初の国産、という意味では、眼鏡金平糖なども長崎発祥です。どれも馴染み深いものばかりですね。

3. 幕末〜明治

幕末になると日本は開港し、長崎には外国人居留地が整備され、オランダだけでなく、イギリス、フランス、ロシアなど欧州各国から最先端のものがもたらされたました。これも、かなり多いのでまとめて書きます。

乗り物…鉄道、熱気球、ヨット

近代技術…鉄橋、アスファルト、国際電信、近代活版印刷術

学問…近代医学校、英語学校

スポーツ…ボウリング

飲食物…缶詰、ハム、ソーセージ、パスタ炭酸飲料

その他…英字新聞、化学石鹸、近代病院西洋料理店

この中でも特に国際電信は長崎〜ウラジオストクが開通したことにより、長崎は日本で唯一ロンドンパリなどといったヨーロッパの大都市と即座につながることができました。当時の岩倉使節団がニューヨークから送った文章はわずか5時間で長崎に届いた一方、ニューヨークと比べて長崎からずっと近い東京に届くには3日もかかったという逸話も残っています。

その後、横浜や神戸の台頭により、長崎の重要性は相対的に低くなっていきますが…それでも映画館電話カフェなどは長崎が九州初でした!

4. 終わりに…

今回の記事で長崎に大量の日本初があることをお分かりいただけたでしょうか?これだけ日本初が多い長崎は住んでいて毎日が驚きの連続でさぞかし面白い町だったことでしょう。

しかし、今の長崎は若者の人口流出ワースト1位。仕事がないなど、様々な理由はあるようですが、若い人が住んでいて"つまらない"というのも理由の1つだそうです。

ただ、そこで「終わり」では面白くないし、何も問題は解決しません。確かにネットが普及した現在、もはや港町としての長崎のアドバンテージは無くなりました。しかし、何かを"生み出す"ことはできます。新しいビジネス、技術、食べ物、遊び、スポーツなどなど。ささいなことでも何でも構いません。そんな長崎発祥が毎日生まれれば、長崎は間違いなく、ふたたびクリエイティブで面白い町になるに違いありません!そしてそれが全国に広まれば長崎はもう一度日本の「先進都市」として返り咲くことができると思います。

もちろん、長崎でなくともそれぞれの好きな町や故郷でやればその町が盛り上がります。どうでしょう、みなさんも何か自分の好きな場所で"発祥"を作ってみませんか?

参考
https://www.pref.nagasaki.jp/koho/kids/kotohajime.html

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