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靴底とアザラシ

うわーーん!みたいなことが何個か重なったんだけどXでバズってるアザラシ幼稚園を見ることでなんとか生き延びました
人間以外の生物を眺めるってやっぱ大事ですね

うわーーん!案件を経ていろいろと考えてみると、私はやっぱり薄情者だなあ。と思う
それは今に始まったことではなく、学生のころからうっすら自覚する瞬間はあって
ただ、それって大人になったらどうにかなるもんだと思っていたところもあって

でもそんなの全然ちがった
大人になったら自動的に字がきれいになるとか達観した考えが身につくとか、そんなこと全くなくて
やっぱ意識しないと改善ってできないわけで
改善って言ってる時点で、現状はよくないって自覚もあるわけで
などなど、絶賛人生の真っ最中なのだった

極論言うと
私は人生をしたくないんですよ
これも学生時代からずっと思っているんですけど

だってめんどくさいからね
私って本当に、面倒なことが嫌いなんだから
なぜなら基本何もしたくないし難しいこと考えたくないから

で、人生をする上で考える必要があるものって、そりゃ、他人の気持ち
誰かの気持ちをいちいち考えないと、現代社会では生きていけない
生きていけないこともないけど、物事が円滑に進まなくなる。と思っている

物事が円滑に、合理的に進まないの、本当に嫌じゃん。
どう考えても。
だから、他人の気持ちを考える必要性があるな。と思うじゃん。
でも他人の気持ちってその人だけのものだから、正直答えなんてもんは本人にしかわからないじゃん。
それも開示する必要が絶対的にあるもんでもないから、結局考える意味あんのか?とか思って、また怠くなってくる
怠くなる、付き合いきれなくなる、飽きる。
ここが薄情だなと思う

だってたぶん、みんなはこんな冷たいこと考えずに生きているのだろうし(超憶測だけど)
ていうかこの考えの人間がこの世の大半を占めている!とか言われても、嫌だし

で、結局私は、薄情な自分が地味に嫌で、その事実に対してひとりで考えてひとりですり減っていくだけなんだけど
もしかして人生って、あるいは私って、靴底?

しかし靴底は犬や猫、アザラシに対しては慈悲深いので、話題のアザラシ幼稚園さんには秒で寄付しました
来世はアザラシを希望します

おわり

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