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芸術鑑賞の難しさ

伝わらなかった人、
汲み取れなかった人

私の大好きなアーティストがあるツイートをした。ファンからたくさんのコメントが来る。いくつかのコメントに返信をしながら彼は

「そうなんだけど、そうなんだけど…」

と言葉を詰まらせていた。
私は、(これはどうしたことだろう。)と驚いた。彼が言うには、「意図したこととは違う方向に捉えられた」らしい。

彼は歌詞を書く人で、SNSを始めたのは最近のことだった。彼が紡ぐ言葉と奏でるメロディに魅せられる人は、その世界観からか“信者”のような振る舞いをする。私もそのうちの1人なんだろうが、何周も何周もこねくり回した性格のおかげで、いつでも何でも賛同!貴方が正しい!貴方の言葉で全てが救われる!!という状態にならぬままファン15年目を迎えようとしている。自分なりの、彼の言葉との距離感、タイミングの取り方だ。


月並みだが、本当に言葉は難しい。
彼のツイートのように、考えて考えて発信した言葉だからって必ず自分の意図に沿った解釈をされるとは限らないし、遠くから見た目だけで発した言葉は半分くらいはきっと伝わってないんだとも思う。周りの空気、周りの時間、周りの音、そういうものが重なって言葉が出てくるんだから、そりゃあそうかな。と納得する。

もともと彼が書く文章は、大抵メロディーに乗って歌として私たちのもとに届いていた。そういうものの解釈は作り手にとっての正解がもちろんあるんだろうけど、聞き手の私たちには100点満点の解釈は求められていなかった。「歌は届いた瞬間から聞き手のものになる」みたいなことを誰かが言っていた。彼だったか、他のアーティストだったかは正直覚えてない。つまり、作品を作る人はみな似たようなことを言っていた。
私もそう思う。かの有名な桃太郎だって、読み手によっていろんな解釈が世の中にはあるんだろうなと容易に想像できるし、作り手の意図しないドレミにも、意味を持たせたいのが聞き手でしょう?


意味を理解しなければ、という気持ち

私はミュージカルCATSが好きなんだけど、これは本当に好き嫌いが分かれる作品だな。(話の変え方がド下手で申し訳ない。いずれうまく出来るようになるでしょう。今日はお付き合いください。)私がCATSを好きなのは、完全に両親と(特に特に)姉の影響である。経緯は割愛するが、猫たちの名前や毛色、風貌や役割なんかをこと細かく頭に入れているほどCATSが好きだ。中学2年生の夏、部活から汗だくで帰宅した高校2年生の姉と一緒に来る日も来る日も毎日2回はブロードウェイ版のCATSを観ていた。ここのシーンのあの子のこの表現がいい、とかあーだこーだ言いながら。

CATSを見たことがある人なら分かると思うんだけど、あれには主人公とか長々としたストーリーがない。説明して!と言われたら「永遠の命を手に入れることができる唯一の猫が選ばれる、年に一度の舞踏会の夜の話」くらいにしか説明できない。(え、もっとちゃんと説明できるだろ?うーん、言葉は難しいな…。だって登場猫を羅列してって言われてグリザベラをトップバッターに持ってくる?貴方なら誰を一番にする?)

そんな舞台を見て「なんかよく分かんなかった、難しかった」といって浸からない人たちがいる。あー勿体無い!と額に手を当てると同時に、まぁそうかあ…といってしまう自分がいる。1から100まで説明できない物語だっていいじゃない。と思うんだけど、これはCATSという作品に対する依怙贔屓の気持ちからくるというのも否めない。私だって支離滅裂でヘンテコな物語は好かない。

それを両親に伝えると「人は理解できないものを避ける。何にでも意味を持たせようとする。」と言われた。妙に納得した。頭の中のいくつかのモヤモヤがスルスル〜ッと解けて巻かれていく。CATSのボビン完成。


言葉を伝える速度

話が脱線しまくってしまい、CATSのボビンが完成したところから彼の話に戻すことができるか不安だがとりあえず無理やり書く。

彼の混乱が何からきたのかな〜というと、曲に乗せていた歌詞と、SNSで発信した文章の伝わる速度の差だと考えている。


初めて聞いた時は理解できなかったりうまく刺さらなかった曲が、月日が経ってある日突然歌詞がスラスラと頭に入ってきてゾクッとすることがある。自分と自分の周りの空気、時間、音とかそういうものが曲とマッチするんだろうな。だからよく分かんないのに急いで理解しようとすると、この歌詞ってなんなん…いったいなんのことを言ってるんだ?というモヤモヤを無理やり言葉で表現しようとして、うまくいかない。うまく自分とハマってなければ言葉にしなければ良いし、その時の解釈を言葉にしても何も問題はなかった。自分だけのタイミングで、ふと気付く時がくる。正解はない。急がなくても良かった。

ところが、SNSとなると違う。急がないといけない。しかも彼に至っては、SNSを始めたことがラストライブのMCになっちゃうくらいの衝撃だった。彼が書く文章を読める!という喜びはファンにしか分からないだろうけど、ツイートした瞬間に自分の携帯に通知が来るように設定してる人は少なくないんじゃないかしら。(へへ、あたしも。)

反応するタイミングは今しかない。
今日の彼のツイートに、数年後の季節外れの夏に返信したってしょうがないんだよお〜!
だから急いじゃう。何言ってんだ?となっても、我先にと“いいね!”をして「分かるよ〜、その通りだね!」みたいな反応をとりあえずしたい!と思ってしまう。これはもう仕方ないな。ファンには彼を二度と見失いたくない恐怖感もあるのだ。

彼とファン、ちょっと急ぎすぎちゃったな。

こんな話をしていると、いやいやさっきのCATSの話はなんだよ、今なんの話を読んでるんだっけ?ただの信者の話じゃん。となると思うんだけど、ここからは解釈の話。


意味を理解しなければ、という圧力

作品を見た時、聞いた時に、これはこういう情景を表していて、作者はこう伝えたいんだ。とどうしても勘ぐってしまうことがある。
私は作品に触れるとき、ある圧力を常に感じていた。

「意味を理解出来ないとだめ」

美術館で絵を見ながら「…はい?」と思ったり「おおお〜これは…!」と思ったり絵の隣に説明文がないと「オロオロ、これは何?」と焦ったり。これはさっき書いた歌についても一緒だった。正解の解釈をしないと!と身構えてしまう。
こんなに大好きなアーティストの新曲なのに、うまく刺さらないよう、理解できないよう、みんな泣ける、とか救われました、とか言ってるのに…えーん。これが理解できないってファンとしてどうなの…と焦る私。

そんな私も、思春期に出会った音楽と月日が経ち大人になってから(ずーっと聴き続けていたけど)再会してやっと和解するといった経験を幾度も重ねて、理解できない恐怖から解放された。

わけのわからない作品を毛嫌いすることも減った。いずれ分かるだろう、よく分かんないけど好き、を受け入れられるようになった。そうなると、芸術鑑賞が楽になった。好きなCATSみたいに、自分が思うままに鑑賞すれば良かった。

作品への理解は急がなくていい。


距離感と、タイミングの取り方

だから(だから?)、SNSの詩的な言葉にすぐに「分かります!◯◯ですよね!」という反応をする必要はないと思っている。素早く賛同したい気持ちは分かるんだけど、なんでもかんでも「理解しています。」と伝えることが聞き手に求められていることではないんじゃないか。

これは彼とファンの関係だけに言えるのかもしれないけど、届いていることが素早く伝わればいいのでは。彼も、発信と同時にダイレクトに自分の意図と違う意見が届いて驚いたんだろう。歌とツイートでは届くのにかかる時間に差があって、素早く意味を理解して賛同することだけが彼と繋がれる手段ではない。


まとめ

何言いたいのかよく分からないまま書き始めてしまって少し後悔してますが、違う意図で伝わっていくことを恐れて欲しくないな、いつでも健やかでいて欲しいな、という謎の愛情で書いています。反応の速いSNSにめげずに発信し続けてくれたらいいなあと思いました。

支離滅裂だけど終わります。
駄文乱文で申し訳ない。
私はAqua Timezが大好きです。







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