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似非哲学と自己価値と散歩の功績

とある知人がよく、「蛇って何のために生きているんだろう?」という。

彼がYouTubeで動画をみていると頻繁に猫と蛇が戦っている動画がおすすめに出てくるらしく、それをみて不意に思ったそうだ。

ちょっとした談議のつもりで2人で色々と考察してみたが、

「食物連鎖ってやつかな?」
「じゃあ猫は何のために生きているの?」
などと適当なことを言ったあとで、

「人間って何で生きているんだ?」
という一見哲学的な考えに帰結した。


私は最近、"自分の価値"について考える。

………と言い始めると何か違う話に逸れそうだが、結局のところ「蛇って何のために生きているんだろう?」や「猫は何のために生きているの?」という疑問と本質的には変わらない気がする。

地球全体でどれほどの数の生物が存在しているのかは私には分からないが、人間という生物は思考し、行動し、発展させ、模索して、時代を繋げていくが、時としてそれは自己中心的にも他人に献身的にもなれると思う。




昨日は11月の半ば辺りにしてはとても暖かく、気温も20度を超えていた。

今年は休職している関係で家に引きこもることが多いが、昨日は珍しく外に散歩に出る気分になった。

電車に乗って向かった先は少し大きな公園。

特に目的もなく向かったため、何となくスマホで景色などを写真に収めることにした。

私はいわゆる"フォトジェニック"やら"映え"には疎いものだから、適当にシャッターを切っていたのだが。


そこで私は1匹の猫と出会った。

…………

……………

待って、可愛過ぎない!?



私は家で何かを飼育したことはないのだが、犬や猫は大好きだ。

私はいつも猫の写真を撮る時に、その猫に挨拶をしたり撮影の許可を貰うようにしている。

(無論、「写真撮らせてね!」といっても「にゃ〜」の返事もないことが多いのだが)


昨日も「こんにちは、にゃ〜さん。写真撮っても良いかな?」と挨拶をしてゆっくりと後をついていった。(あれ?何か怪しい人っぽい?)

すると、


「にゃ〜」といってこちらに近づいてきてくれたのだ!!!

可愛い、最高、可愛い!!!



……とこんな感じで猫と日向ぼっこをしていると、時間が経つのも早く感じた上に心がとても癒された。


「猫は何のために生きているの?」という疑問の答えは、もはや「私みたいな奴に癒しを与えるため」で良いのではないか?とさえ思ったくらいだ。

猫には猫の生きる意味があり、蛇には蛇の生きる意味がある。

そして、人間である自分の価値は無理矢理自分で考える必要はない。


………いや、まさか知人の動画のおすすめから不意に思った疑問の話が、ここまで奥が深いような深くないような話に発展するとは自分でも思っていなかったし、

正直のところここまで文章を書いてきた自分でさえ「答えがあるようでなさそうなふわふわした文章を書いているな。」と感じている笑


昨日出会った猫然り、以前出会った猫然り、これから出会う猫然り。

どんな猫を見ても、のんびりしていて…いや、時には狩猟に出たり縄張り争いをしているが…「のんびりしている猫って良いなぁ」「猫になりたいなぁ」と感じるわけだが、それは自分が人間であるが故の"自己中心的な考え"であるのだろうな……と思うわけだ。


まぁ結局今回の記事で何が言いたいのかというと、

猫は可愛いし、癒される!!!

というところに落ち着くのではないだろうか。(かなりふわふわした結論)


冒頭からあんなに何かありそうな固い文章を書いておきながら、結論がこれって…笑

猫だけにもふもふでふわふわな結論で良いのです。

おあとがよろしいようで。(よろしくない)


ではまた次回。

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