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梅若会別会能

去年11月半ばの日曜日、梅若会別会能へ行って来ました。東中野の梅若能楽会館も、慣れたら遠く感じません。清々しい場所です。室町時代から続く舞台芸術が、現代まで様々な困難を乗り越えて途切れていないことに改めてことの重大さを感じる今年です。
大変な努力が影にあり、今回の舞台上演となったのだと思います。

能楽、狂言が披露され、たっぷりと楽しみました。忙しかった仕事を辞めてから、バレエ、オペラ、ストレートプレイ、クラシックコンサート、様々楽しむ機会を作って来ましたが、他の芸術の楽しみ方がわかって来ると、ちんぷんかんぷんだった能楽も、少し理解出きるように思います。そもそも、理解するのじゃなく、楽しいと感じることができたら、それが目的なんだから素直に楽しめばそれで良いと考えています。どうでしょう?
そういう考えだからいつまでも初心者なのですが、初心者にも楽しい時間でした。気をつけていれば台詞もある程度わかるし、装束は素晴らしいし、所作も興味深い。
幕がないから謡の方や鼓、後見の方が出てきて、全ての人が下がるまで全て見えます。所作が面白い。また、終了後のカーテンコールがないのが特長です。子どもの時にカーテンコールに違和感を感じていたので、カーテンコール無しの方が物語に入り込んだままの気持ちで帰路につけると思います。
また、謡や鼓、笛、太鼓の方も舞台に見えるのは、オーケストラピットに隠れてしまうバレエやオペラとは逆の考え方。演出家がいないというのも、どうなっているのかと思うところですね。興味深いです。

個人的には、鼓や笛、太鼓の音色が好きで華やかながらも哀愁のあるのが良いです。曲はちっとも覚えられないけど、自国のものでありながら、一種のエキゾチックなところも好き。リズムも独特。お金と時間があったら鼓をやってみたいと、夢のように憧れて目の中にハートマークが入ります。
昨日は、融の、後シテのところが一番気に入りました。貴公子、源融の霊が月の光の中で優雅に舞い踊るのです。無念や悔しさ、寂しさを胸に、それを晴らすように華やかに、か細げに、儚い美しさです。
想像力を必要とするところが敷居が高いことになるかもしれないけど、コロナ禍を乗り越えていただき、世界に誇る古典芸能を絶やさずにいて欲しいと、強く思います。