内村鑑三の思想が韓国の教会に必要だと思う

 韓国は日本と違ってキリスト教がすごく広がっている国である。国民の30%以上がイエスを信じている。

 しかし西欧で起きている現象のように韓国の教会も派閥で分かれているし聖書のことばより教会拡張に気を使っている。また牧師の権力化も問題になっている。

 若い人々はこんなキリスト教に失望して教会から離れている。

 それでも変化しようとしない、韓国教会はもう既存の勢力でも十分だと思っているようだ。実際まだ国民の30%が信じているから力はまだ強いのだ。変化しなくても今の牧師さんは権力と名誉を十分に活用できるんだ。

 悲しいのはその下の信者だ。もちろん彼らは満足している。心の平和を得ているから私のような人の非難を無視する。キリスト教の信者は牧師の言葉をもっと聖書より優先している。または一部の聖書の部分だけが真理のように信じている。牧師がまるでイエスのように勘違いしているのだ。牧師を非難したらかえって非難の対象になるのだ。

 信者の意識が成長するしか仕方がないが年を取った人が多くて変化は難しい。

 結局次の世代の若い牧師候補が古い伝統をなくすのが方法だ。ルター、カルヴァンの宗教改革が必要だ。そんな改革の主な教えが今日紹介する日本のキリスト教思想家内村鑑三である。

 日本はキリスト教が広がっていないのにそんな国からの教えは必要ないと主張するかも知れないが日本の場合天皇の制度による特別な環境でキリスト教の限界があったので信者の数ではなく内村の思想だけを見る必要がある。彼も実際思想家としては日本でも評価が高い。

 内村の弟子が韓国の民主運動家ハム・錫憲である。

 内村の一番大事な思想は無教会主義である。必ず教会に集まって礼拝をする必要ないということである。恩恵は教会の中だけにあるのではないと主張している。聖書があってイエスの教えを従うならどこにも恩恵はあるということである。もちろん今の教会を否定していることではない。教会も恩恵の場所として絶対だめだということではない。形式が重要ではないということである。だから家でも会社でもどこでも聖書の教えの実践は出来るし恩恵も存在する。

 今の教会は超豪華な教会を建築して自慢している。内容より形式を重要視している、内村先生の教えから見るとハッキリ問題あることである。

 今の教会はユダヤ教(イエスを信じてない、彼等だけが選民だと信じる)とは根本に違うなのにユダヤ教の形式に拘っている。

 無教会主義も完璧ななことでない。内村さんの思想に頼る人々が集まってまた派閥が生じたからだ。誰かリーダーが必要なのはたしかである。その変わり内村先生みたいに時代のブームに乗るのではなく世の中とは違ってもイエスの教えを実践できる勇気が必要である。内村先生は軍国主義の時、戦争を批判した少ない愛国者だった。彼の影響を受けた人が矢内原忠雄である。

 若い牧師さん、今の牧師さんとは違う道を選んでください。そんな面で内村鑑三さんは本当に勉強になりますからぜひ彼の思想を検討して下さい。

 次は技術と合わせて哲学とか宗教が必要な時代になったという主題で話します。

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