#16 自分を型にはめたほうが個性は出やすい

11月8日(土)

金曜日に東映の高橋剣さんと「京都ヒストリカ国際映画祭」について、ちょっと対談をしてきました。ちょっとといっても気づいたら3時間以上経っていて、そのあともレコーダーはオフにして、近所の居酒屋さんでさらに2時間以上話をしました。楽しかったです。これはENJOY KYOTOのWebのほうでコンテンツになると思いますのでよかったらぜひ。 

 京都ヒストリカ国際映画祭では、パトリス・ルコント自身が来場して新作「暮れ合い」が上映されます。それから「るろうに剣心」の全作がしかも英語字幕付きで上映されるという意欲的な取り組みもあります。ENJOY KYOTOとしては京都在住の外国人の方にぜひこの映画祭に参加してもらいたいと思っているので、こういう日本の人気映画の英語字幕上映はすごくいいなあと思っています。もちろんそういった素晴らしい作品をたくさん見られることも楽しみなんですが、ぼくはそれらをさておいて、とくに楽しみにしているのが「トワイライト・フォレスト」という作品です。

なんでも上映作品を選考する審査会でも賛否両論を巻き起こした問題作だそうで「否」の人はもう許せないレベルの否定の仕方をされたようです。でもぼくはそういう話を聞くとどうしても見たくなっちゃうんですよねえ。映画にも音楽にも、それからどんな芸術にも、あるいは学問や仕事だって、基本的なフォーマットというか型があります。その型どおりにやってみることがまずは大事だと思います。そして、でも型どおりにやろうとしてもどうしてもそこからはみ出してしまう部分が出てくる。それがおそらく「個性」と呼ばれるもの、つまり「その人」。 

で、これは経験則なのですが、はみ出ることばかりを考えてやろうとしても、じつはうまくいきっこありません。型どおりにやろうと自分を型にはめてみてこそ、個性はあふれ出てしまうものです。これは書における「臨書」だったり、茶道の「お作法」だったりもそうなんじゃないかな。型は守ろうとすればするほど、個性が出やすいんです。だからおそらく「トワイライト・フォレスト」という映画はそのはみ出した部分がちょっと(というかだいぶ)多い作品なんですね。おそらく監督自身は自分がはみ出てると思ってないんじゃないかな。ゴダールだって自分はオーソドックスな物語を作っているんだと語っていましたから。奇をてらうつもりじゃなくクソまじめに作ったら奇妙な作品になってた。しかも本人は奇妙だと思ってない。こういう作品がたぶんいちばんおもしろいんです。

そういえば奥田民生さんがいまの若いアーティストの音楽について「みんないい曲書いてますよね。でも悪い曲も書いた方がいい」という言い方をしていて、なんかそれも同じことなのかなと思いました。

それではみなさん今日もお元気で。I hope you enjoy Kyoto!

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