#3 京都の簾屋さんの店先でワシントンに住む女性と出会う確率について

10月24日(金)

先日とある取材をしようと、とある老舗の簾屋さんに向かいました。お店についてすこし時間が早かったのでお店の前でほかのスタッフの到着を待っていると、外国人観光客とみえるおそらく60代から70代くらいの品のいい白人女性がやってきて、その簾のお店のなかを熱心に覗き込んでいます。なかでは職人さんが一所懸命、竹を編んで簾づくりに勤しんでいました。

しばしあって、ぼくの方から声をかけてみました。「You like it?」とぼく。「Yes! It’s so beautiful」と彼女。拙い英語のやりとりがいくつかあって、どうも彼女はあの作業の風景を写真に撮りたいらしい、ということがわかりました。ぼくはこのあとどうせこのお店に取材に伺う予定なので、遠慮なく「ガラガラ」と扉を開けるとお店の人に今日の取材の者であるとの自己紹介をしたあと、彼女の意向を伝えました。お店の方からは快く承諾していただき、彼女はすこし興奮した様子でいくつか写真をカメラに収めたあと、お店の人びととぼくに深々とお辞儀をし「アリガトウゴザイマシタ」と日本語で挨拶をして帰っていきました。

おそらく彼女はホテルに帰った後(あるいは帰国後)、夫だか友人だかにその写真を見せながら、こんな偶然でこんな人に出会ってそれでこの写真を撮らせてもらったのよ、と自慢することでしょう。自分だけに訪れた幸運な出来事として。実際こうした小さな偶然が引き起こす小さなドラマこそ旅の醍醐味であるし、より深い記憶として心に刻まれることになるんですよね。ぼくがそのドラマのよき登場人物として描かれることを願うばかりです。

取材を終えて帰り道をとぼとぼと歩きながら、ワシントンから来た彼女とぼくがあの小さな老舗簾店の店先で出会う確率は果たしてどのくらいのものなんだろうと想像してみるんです。彼女はこれまでどのような人生を送ってきたのだろう?身なりの良い上品な女性だから、きっと若いころは多くの男性から愛の告白受けたのだろう。どんな仕事をしていた人なんだろう?結婚はしたのだろうか?子どもたちは?どういった経緯で日本のこの京都にくることになったんだろう?

あらためて、旅という舞台の、それも外国からやってくる旅人たちへの、ガイド役としての役割の一端を、自分が担っているということへの喜びと責任感が、ふつふつとわきあがってくるのでした。出会いは一瞬だけど、思い出は一生ものだからね。

それではみなさん今日もお元気で。I hope you enjoy Kyoto!

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