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自分会議2 私は全然大丈夫じゃない

一過性脳虚血発作と思われる症状で退院して3週間が経過しました。

まだ3週間なのか…とビックリするほど、通常運転です。仕事も家庭もビッグイベントが続き、先週はかなりがんばってしまいました。でもずっと気になっていて、やり遂げたかったことばかり。その分、今週はスローペースです。やっとゆっくりいろいろなことを考える時間を取れました。

考えは日々移ろうもので、まだ定まっていません。そして生活と責任があるので、一旦は元の生活に戻りました。でも、このままではダメだな…ということは確信しました。人生の脚本を書き直さなくてはいけないと強く思っています。

なぜこのようなことが起きたのか

医療機関で勤務しているので、自分の状況は割と客観的に判断できているつもりでした。でも原因は、はっきりわかりません。ただストレスや過労は間違いなくあるし、周りからも指摘され、ぐうの音も出ません。

私のストレスと性分

私が抱えているストレスや不安は、一般的に結構大きめなヤツがいくつかありまして、代表的なのが夫と息子が難病というものです。そのほかにも色々ありますが、私は、安定性の低い仕事、親族のサポートの乏しさなど、生まれ育った時代と環境などにより、社会的なストレス耐性のバッファーが薄いのです。

これは他責ではなく、冷静な分析だと思っています。もちろん性格や自助努力の足りなさも大いにあります。でもそれだけでもない。自責と他責、私のしんどさの原因の因数分解はできているんじゃないかな…。むしろこの状況で今まで折れずに、陽気によくやってきたと言ってあげたいかもしれません。ただ、どちらかというと私は大丈夫と思ったり、ストレスを無視する、セルフネグレクト傾向がありますので、その特性が限界を迎えようとしていることは理解できました。

働き方のシフトチェンジ

働き方も変えるべき時のようです。このままコツコツ仕事を増やせばいいというものではないとわかってきました。体力も時間もこれ以上は限界。でも私は大黒柱として家族を支えられるくらいになっておく必要があります。そうでないとずっと不安です。中身を工夫するしかなくなりました。

これまではありがたいことに、多くはありませんが、大した営業はしなくとも、自分が育児をしながらできるだけの量のお仕事は回ってきていたように思います。ただ長年、連携していた地域の医療機関が閉院となることもあり、ここが転機であるとは感じていました。

これまでは人に頼るという発想がなく、まず自分でなんとかしなくてはと思っていました。そして相談が下手で、一度微妙な対応をされると、へこたれてしまい、相談しなければよかった、私が弱音を吐くと相手は迷惑なのだろう…と、また貝を閉じてしまうようなところも…。

実際には、相談する相手の選択が違っていた、これに尽きます。でも弱り目に祟り目。次にまた相談がうまく行かなかったら再起不能な気がして、抱え込んでしましっていました。

ただ昨年くらいから、自分はかなり社会的に困っている人だという認識ができてからは、窮状を人に言えるようになったのです。困っていることを素直に言えるようになると、温かく見守り、手を差し伸べてくれる方がたくさんいることに気づき始めたところでした。

ベクトルと目線をずらしたら見えてきたこと

私は状況対応型の人間で、目標志向型の方をサポートするのが得意だと思ってきました。過去には、秘書業、事務局などで重宝されることが多かったので、それが天職だと感じていて、そういう役割で仕事をしていきたいと思っていたのです。

そして年末あたりから、ちょうど声をかけてくれた方と転職の話も進めていたところでした。でも、相談を重ねるうちに、もしかしたらその方のお仕事を私がサポートするのではなく、私がサポートしてもらう方法もあるのでは…という話になりました。

現在は独立開業していますが、それは計画的なもの、意図的なものではなく、震災直後の育休明けにそうせざるを得なかった…という状況対応によるものです。

全く違う畑のことに挑戦する前に、これまで20年近く携わってきた技能を活かす方法を検討してみようということになりました。私も自分一人でできる範囲は十分に思い知っています。全然違う視点からのサポートが必要です。一人では無理なことも、信頼できる人にサポートしてもらえるならできるかも…と思いました。なぜ今まで思いつかなかったのか不思議なくらいです。

さて、娘というものは、最も身近な存在の女性である母親を、たたき台にして人生設計をするものだと思うのですが、私もご多聞に漏れず、そうされています。とにかく誰よりも私を観察している娘からも言われました。ママはもっとママを大事にしてくれる人と働くべきで、もっと支えを望んでも良いはずだと。

私はこれまで、自分がサポートする人を追っかけるようなところがありましたが、矢印を自分に向け、30度くらい目線をずらしてみたら、ずっとずっと前から安定して私を見てきてくれた人達がいました。「こんな私をサポートしたいと思ってくれる人がいる。」それに気づいただけで、泣きそうなくらい胸が温かくなることが、このところよくあります。

そして気づけば、昔の自分を見るようだと母のように温かいサポートをしてくれる方々、父のように、姉のように気遣ってくれる方々もいました。

私は大丈夫じゃない

とにかく私はもう自分でこれ以上、能力をあげて頑張ることはできないこと、家庭の中での解決は限界だということがわかりました。

私は全然大丈夫じゃなくて、めちゃくちゃサポートが必要な人でした。

ああ、お手上げ、降参!と思ったら急にたくさんのやさしさが降り注いできたような今日この頃です。

特に、息子の病気は、成長期を迎え、胸郭の骨変形が進んでおり、自分の病に悩むようになってきて、これからが大切です。でもいつも淡々と対処できるつもりの私もこの件に関しては、ヘニョヘニョです。かわいい子どもが悩む姿は親として本当に辛い。メンタルサポートが必要です。これまで何度か相談をしては玉砕してきたので、何も期待しないようにしていました。ここへきて、私の職場の上司達がサポートしてくれたり、主治医の先生が代わり新たな展開が見えたり、急に心強い状況になってきました。

望みたいことを望む

目前のことに対処するのに精一杯、でもそれが私の人生であり、これで十分幸せだと言い聞かせて、何も期待しないで生きているようなところがありました。誰に支えてほしいかなんて考えたこともありませんでした。

ちゃんと望みたいことを正直に望んでみる、これもとても大事な気がしています。具体的なことは動きながら考えていきますが、これからは人の力をお借りする、そして私自身もお役に立てる方法を考える、そんな方向を目指したいと思っています。