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番外編 私の手術、そして本音…

育児や病院関連のこと、仕事に追われて、近年は、正直、自分へのエネルギーなど全然残っておらず、親としての役目を果たす責任感のみで、老後までをカウントダウンして生きるような日々でした。

でも最近、意識を大きく変えたところ。
やりたいことに貪欲にやってやろうと決意。
そして長生きして人生を楽しむぞ!と意欲を取り戻しています。

という訳で、急に仕事の予定がズレて時間が空いたので、映画を観ました。

あちこち泣けるシーンだらけでしたが、主人公が病気の妻を看病するシーンで泣けてしまいました。

うらやましくて…。

振り返ると父や夫の看病、仕事を休んで一生懸命やったと思うんです。私は父が弁膜症とガンを患った際には入院手術に伴い、仕事を休んでかけつけていました。おかげで看病慣れしており、夫の手術にも落ち着いていられました。

ですが、私の時は…

そこまでやってもらうことはないんだろうな…
夫は葬式すらちゃんとしてくれるだろうか…
骨壺をお父さんとお母さんの近くの方がいいでしょって、渡しちゃいそうだな…(ほんとやりかねない)
いいな、たまには私も誰かに全力で守ろうとされたいな…

と思ったら、いつも我慢してるし、自分のことは自分で守るしかないと泣かずに前向きでいるつもりですが、わーんと泣けました。

親子のこと

お恥ずかしながら現実には、今年の正月の帰省時に、親には些細かつ理不尽なことでキレられ、こんな風に育てた覚えはないと、言われています。どれくらい些細なことかと言うと、きっかけはお餅の焼き方です。

ホント些細ですよね。今の我が家ではありえません。子どもたちは、好きなことを好きなように言ってます。

それと比較して、どーんと悲しくなりました。親不孝らしいことはしたことはないし、親のことは看病の時には下の世話もしたことがあるからこそ、そして自分は子どもにそんなことは言わないし、もっとまともな親子の信頼関係を築けている…という自信が持てたからこそ、これ以上がまんはしない…と決意できました。

私をこんな風に育てた覚えはないと言うなら、一体どんな子がほしかったのだろう…。

親も本音ではないのでしょうが、自分が親になったからこそ、それは甘えであり、人としてない…ということがわかりました。

それはこの1回のことではなく、これまでの関係性として、象徴的なことで、私もやっとハッとして親子だから、育ててもらったから…と、これ以上がまんする必要はないのだ…と距離を置く意思を固めたのでした。

自分の手術のこと

そして半年前のこの2月に、私は胆嚢摘出の予定手術をしました。

全身麻酔なので家族の立ち会いが必要でした。
そのため以前から何度も確認して、夫が休みやすい日に手術日を調整していました。
けれども、仕事休めないと2日前に言われました。

あわてて1人で大丈夫かと主治医や看護師さんに確認の電話をしたところ、緊急時に相談できるよう、携帯電話ですぐに出られるようにしてくれればいいとのこと。

実家に頼もうにも遠方な上に、上記の理由で頼めず、1人で手術に向かいました。結局仕事は休めた夫ですが、私も散々調整したし、もう1人で行って1人で帰るから…といいよ…と諦めの境地。家からパジャマで見送られました。

そんなこんなで電車を乗り継ぎ、1人で向かいました。麻酔が目覚めると全身麻酔が合わなかったらしく、強烈な吐き気…とても動けず、術後痛はありながらも、七転八倒しながら一晩中、吐き気と闘いました。

絶食をしているので、吐くものはなく、最後の胆汁と血しか出ません…本当に辛かった…。薬の副作用などで、吐き気のひどい方はこれが何日も続くのかと思ったら、大変なことだな…と思いました。

悲しいかな、入院手術の段取りだけは慣れてわかっていたので、術前にペットボトルの水は何本か買ってあり、カバンも1つにまとめてあったので、看護師さんに術後ロッカーから取り出してベッドに運んでもらいやすくはなっていました。

ただ想定外のひどい吐き気に、ペットボトルから飲める状態ではなく、吸口を病院に借り、看護師さんに入れてもらわないといけませんでした。

何か罰でも当たったのかな、見返りを求めて夫や父の看病をしたわけではないけれど、私はどうしてこういうことになるのかな…と悲しくなりました。

そして1人で大丈夫なようにがんばるしかない、元気でいられるようがんばるしかない…と決意で、悲しさをまた封じ込めました。

でも映画を見て、やっと本音に気づきました。

私も誰かに守られたいな…。
弱っている時は大事にされたいな…。
弱っていなくても大切にされたいな…。
感情のサンドバッグにされたくないな…。
相手は病気の人だから仕方ないとがまんしたくないな…。

満月と台風接近で心が緩んだのかもしれません。
これが私の本音です。

きっとまた明日からも元気に前向きに、頼れるのは自分だけと思って生きるのだと思いますが、ホントは寄っかかり、甘える存在がほしいです。

ラグビーと神様

ちなみに手術の日は、観たいラグビーの試合がありました。

秩父宮でサンウルブズ対チーブス戦があり、前から楽しみにしていました。

結果的に1人で手術を受けるなら、日程調整できて行くことができたのに…。

後々まで残念さを引きずっていました。

でも…神様のごほうびでしょうか…。

後日ではありますが、その日のVIP席のチケットをプレゼントされるという幸運が舞い込みました。

神様ありがとう…。前にも書いていますが、どうも我が家の病気ストーリーの節目にはラグビーがいます。

でもやっぱり本当につらい時に、そばにいて助けてくれる存在は、ほしいです…。