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タイ国のシンボルとなったナーガ神

西暦2024年、仏暦2567年の今年は辰年。

 現在日本では、干支は1月1日に切り替わるイメージがありますが、タイでは黄道十二宮の最初の宮である牡羊宮に太陽が移動する日、すなわちソンクラーンを起点とする旧暦にしたがい、干支もソンクラーンから交代します。
 中国発祥とされる十二支は、時や方位を示す単位として、アジアの多くの社会で使われています。他の地域ではブタが司るとされる事が多い十二番目が日本の場合はイノシシになっているなど、それぞれに微妙に違いはあるのですが、概ね同じ十二の動物が親しまれています。なかでも辰年の龍は、唯一の架空の動物。家畜など人間の生活に身近な動物に混ざっているのは、考えてみると奇妙ですが、古来から中国で龍は他の動物と変わらないほどの現実味を持って人々に認知されていたためとされます。動物学や考古学の分野では実在していた大型のワニ、マチカネワニにまつわる伝承が、龍伝説のもとになったとの説もあり(青木 2001)、中国や日本で描かれた龍のイメージはワニのような長い口が特徴です。

 タイでは、辰年、ピーマローング(piimaroong/ปีมะโรง)を司る動物の姿として、中国式の龍が描かれることもありますが、インド神話に起源を持つ蛇神の「ナーガ」が登場することが多いです。ナーガは釈迦が悟りを開く際に降り続く雨から釈迦を守ったといわれ、仏法の守護神として仏教にも取り入れられています。

瞑想をする仏陀を、蛇の王が傘となり雨風から守ったという説話に基づく姿の仏像。仏陀が座禅を組む台座はナーガのトグロで、傘は複数の頭です。インドの仏教芸術ではナーガはコブラそのものの姿で表現されているものも多いです。ナーガに守られる仏陀坐像は、曜日の守護仏像のなかでは土曜日を司る仏像になっています。


タイ語では、「ナーク(naak/นาค)」、メスの場合は「ナーキー(naakhii/นาคี)」と呼ばれ、また「大蛇」と称されることもあり、ワニのイメージとは異なり、むしろ蛇に似た姿です。体は細長く鱗に覆われており、脚がないところはまさに蛇ですが、トサカやタテガミのような装飾があったり、多頭で描かれることも。タイ北部のランナー文化圏では、マカラ(摩伽羅魚)とセットで寺院の装飾に用いられているのがよく見られます(参考:Ya-Liang Chang 2021)

寺院の屋根や階段の装飾でもよく見られるナーガ。ランナー文化圏では、マカラ(摩伽羅魚)に吐き出される姿が定番。ナーガには脚はありませんが、マカラの脚が表現されている物が多いです。

 古典文学の中にも登場するナーガですが、タイの人々にとっては現在においても川や自然に宿る神としてある種のリアリティを持つ存在でもあります。聖なる大河、メコン川にはナーガが住まうとされており、その信仰を象徴しているのが、ノーンカーイ県で観測される「バンファイ・パヤナーク(ナーガ神の火の玉)」と呼ばれる現象。タイ東北部のノーンカーイ県は、ラオスとの国境になっているメコン川に接しており、そのメコン川の水面から年に一度、陰暦11月の満月の夜にだけ、ピンク色の光の玉が音もなく上空に向かって飛び出すという謎の現象が観察されます。この光の正体については、人為的なものなのか、自然現象なのかも含め未解明の謎に包まれているのですが、ナーガ信仰と結びつけ超自然的な現象だとも解釈されており、多くの人がこの現象を見るために集まるのです。陰暦11月の満月は、仏教行事のひとつ、出安居(オーク・パンサー)と呼ばれ僧侶が3ヶ月間の厳しい修行期間を終える日でもあります。禁酒日にあたり、タイ全土で仏教行事が行われるこの日、火の玉の出現を待つ大勢の観光客が訪れるメコン川沿いでは、たくさんの市場が立ち、花火が打ち上げられたり、ボートレースが開催されるなど、盛大なお祭りのような賑いに。この日を題材とした『メコン フルムーンパーティ(15 ค่ำเดือน 11) 』(2002)という映画もあり、火の玉の謎をめぐる人々の姿が描かれています。

ワット・サマーン・ラッタナーラーム にあるナーガ巨像。全身を1枚の写真に収めることができないサイズ感。


 タイ内閣は2022年11月1日、ナーガをタイ王国の公式のシンボルに指定するという提案を承認しました。タイの国を象徴する動物といえば、象が知られていますが、そこにナーガが加わることになりました。タイでは誰もが実物の姿を知っている象に対して、幻獣であるナーガは時代や地域によっても異なる描かれ方があります。ナーガを公式シンボルに指定するに際し、標準となるナーガのイメージをタイ芸術局(National Culture Commission)が作成することが決まっているそうです(Thairath 2022)。

報道によると、タイにおける伝統的なナーガには4つの種族に分けられるとのこと。

ウィルーパック(วิรูปักษ์)族:最も力があり権威も高いとされる。身体の色は黄金色。
エラパタ(เอราปถ)族:修行をした個体は人に変身したり頭の数を増やすことができるといわれる。主に緑色。
チャッパヤプタ(ฉัพพยาปุตตะ)族:深い森などに住まい神秘的な生態を持つ。虹色に輝く鱗を持つとされる。
ガンハーコータマ(กัณหาโคตมะ)族:地下世界で宝物を守っているという伝説のある黒色の一族。

 この分類法はあくまでも一例で、それぞれに下位分類があったり、どれにも当てはまらないナーガもいたりと、詳細になると分類方法も数え切れません。卵生のもの、胎生のもの、親の汗から生まれるものなど、種族によって繁殖方法も異なっていたりと、ナーガには様々な種類があると考えられており、すべてのヘビはナーガの親戚という考え方もあります。

 2024年4月現在、そのイメージ図は未だに発表されていませんが、国が基準を提示するということになるので、そのことが今後、各地に見られるナーガ像のバリエーションや幻獣の表現に影響をもたらすのか、気になるところです。 

1911年以来、タイの王室および政府の象徴として用いられているのは、翼を広げたガルダ(プラ・クルット/พระครุฑ)。ガルーダとナーガは対立するものとされ、ガルダがナーガを退治している場面を描いた像もあったりします。


ナーガを退治するガルーダをモチーフとした装飾。王室、政府のエンブレムにある聖獣が国の象徴に指定された聖獣を踏みつけている姿、と見てしまうとちょっと複雑ですが、国章のガルダ像はこれよりも翼が大きく描かれ、ヴィシュヌ神のヴァーハナ(神の乗り物)となった姿とされます。


参考文献】
青木 良輔 2001『ワニと龍: 恐竜になれなかった動物の話』 (平凡社新書 91) 新書
Chang, Ya-Liang 2021 ”An Investigation of Naga Art in Buddhist Temples of Mueang Chiang Mai District, Thailand” <https://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=3759516>
Thairath 2022年11月1日 “กำหนดให้ “นาค” เป็นเอกลักษณ์ประจำชาติ ประเภทสัตว์ในตำนาน ดันเป็น Soft Power”<https://www.thairath.co.th/news/politic/2541596>

謝辞:
この記事は第16回「未来を強くする子育てプロジェクト」の研究支援を受けた研究の成果を含んでいます。記して感謝申し上げます。

2024年5月発行『JTECS 日・タイパートナーシップ 第180号』掲載


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