23歳のメモ

引っ越しに向けて荷物を整理していたら、6年前に在籍していた会社の研修パンフレットが出てきた。いくらか落書きがしてあって、それが良くできていたのでずっと取っておいていたと記憶していたが、どうやら違ったようだ。最後のメモページにこんなことが書かれていた(以下、少々長いです)。

「グローバリズム」という言葉が過去のものになりつつある。英国のEU離脱、米国のトランプ大統領誕生など、「グローバリズム」の反動、「ナショナリズム」への回帰が世界中で連鎖的に発生しているからである。近年顕になった我が国の韓国・中国との不和も「グローバリズム」の歪みによるものと思えてならない。我々は我々自身が洗練された思考を勝ち取るより先に、理想の「形」を追い求めすぎたのかもしれない。いつの時代もそうであった。過去のどのような過ちも、その時々においては誰かの理想であった。
「勝ち組」「負け組」という言葉がついこの間まで当たり前のように使われていた。「持てる国」「持たざる国」と重なって聞こえる言葉である。「新自由主義」は「新帝国主義」であるともいえる。「新自由主義」は資本主義の暴走を誘発した。それは人々の怒りや失望を生み、それが「回帰」を生んだのだ。
「新自由主義」は間違いであった。私はそれを、他の誰かに指摘されるまで気付かなかった。いや、正しくは、何らかの「不満」「違和感」という形でそれを感じていたのかもしれない。しかし、それを自覚するには、私はあまりに時代を信頼し、時代に甘えていたのである。
「新自由主義」の失敗がわれわに与えた課題は大きいかもしれない。私は、ともすれば「ニヒリズム」を容認しがちだ。私は「競争」が嫌いだし、時代の変化の中で誰かに「勝つ」ということを追求したいと思わない。人が生きるということは、個々にそれぞれの「幸せな生き方」を追求することだと思っている。そのために誰かの人生を搾取する必要はない。「競争」は必要ないのである。人は生まれ、そこから何にでもなることができるが、私は私にしかなれない。「ナンバーワンでなくオンリーワン」。あまりに使い古された言葉だが、人生は相対ではなく絶対。誰かと比べ、誰かに勝ってどうこうではないはずだ。
有意義な話を聴いて、しかし私はそれを仕事へのやる気につなげられるかどうか、少し自信がない。私は仕事をただ仕事として、淡々とこなすことに充実感を感じる。これは決して悲観的、後ろ向きなわけではない。あまりに協調性がない私にとっては、仕事をただこなすこと自体が一つの到達点だ。そこにそれ以上の命題を自分に課すことができる気がしない。この仕事は私にとってあくまで仕事であり、運命や宿命、使命ではない。それを求められた瞬間、私はいつも迷う。私はこの会社にいて良い人間なのだろうか。この会社の志に見合わないのではないか。何より私は決定的な目標から、自分を誤魔化しているのではないだろうか。
「新自由主義」の失敗について、私はそれを危機とは思わない。過去の歴史において幾度も繰り返されてきたことの一つである。それも取るに足らない、人間の不完全さがまた一つ明らかになったという、そのようなことだ。ただ、私はこれを興味深いと思った。「興味深い」とは、ときに冷酷な言葉だ。どこかでおもしろがっていて、自分のこととして身に引き当てた危機感がないように思う。まさにそれが「ニヒリズム」に通じるものではないかと思う。何より私はそういう社会の変化、「回帰」とは違う場所で生きているという気がしている。どこか常に現実感がない。自分のすべきことが政治や経済から独立した「架空のカルチャー」であるように思えてならない。
他人と向き合うことは、その人自身が成熟した人間である必要があるように思う。他人に尽くすということならなおさらだ。私はそれをする気がない。まだそれ程に若いということかもしれない。極論だが、私は「誰かのために働く」というのは嘘だと思っている。誰しも他人のために働いているのではない。自分のために働くのだ。自分の生きたい道を歩む。
私にはまだ迷いがある。私がすべきことは努力だ。私がやりたい、生きたい道を歩むための努力、それをまずやらなければ。そこから自信を持たないと。それをやらなくてはならない。それをやらなくてはならないのだ。主体的に生きよ、主体的に生きよ。

当時、私は大学卒業後に就職せず、学生時代からアルバイトをしていた学習塾で契約社員として働いていた。元来自分がやる気にならないことはしたくない正確。就職活動も周りと同じようにしようと思えなかった。それならもう少し今やっていることを続けたい、そう思ったのだった。
かといって塾講師が自分に向いているとは思わなかった。私が在籍してた学習塾は、とにかく理想を語る会社だった。特に定期的に行われる研修は、その内容のほとんどはセミナーの受講のようなもので、技術や仕組みよりもまずは理想を掲げ、熱意を持つことを社員に求める会社だった。私はときにそれに心動かされつつ、一方で苦しくもあった。
要するに、私は自分が何をしたいかよくわからないまま、惰性のように塾講師の仕事を続けていたのだ。研修の場で心に象られるのは会社への尊敬と、周りへの負い目だった。

このメモのときの講演内容を、私は全く覚えていないが、指導する生徒たちが今後どのような社会で生きていくか、そしてどのように勝ち抜いていけるかについて語られたような覚えがある。そのときの何か取り残されたような気持ちと、それでもただ卑屈なだけではなく、何かしら違う生き方を模索しなければならないという決意のようなものを、このメモに書き記した覚えがある。
いかんせん講演内容を覚えていないので、今読み返してよくわからない部分も多いが、今の自分が共感できる部分もある。「過去のどのような過ちも、その時々においては誰かの理想であった」「人生は相対ではなく絶対」「仕事は私にとってあくまで仕事であり、運命や宿命、使命ではない」。

「主体的に生きよ」は、この会社の代表がよく言っていた言葉だ。私はここに、自分の目指す生き方が間違いでないことを見出した気がしている(しかし、今現在も到底何かの正解を得たような実感もないのだが)。この研修の半年後に、私はこの会社を辞め、今の仕事に就くことになる。私は今も仕事は仕事として淡々と、しかし小さな自信を積み重ねながら、どう生きるかを模索しているわけである。

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