見出し画像

オーブンからrice cake !!

作 人間六度(2016年ごろ)
絵 あじたま
 


 毎年クリスマスの日、セントホワイトの子供たちならば、例外なく、いちごの乗った甘いケーキを食べることができる。その至福と言ったら、ジンジャーブレッドマンが大挙して押し寄せたところで、まったく太刀打ちできるものではなく、その中でもシスター・マニエルとシスター・ドナが大切そうに運んでくる、満月のようにまん丸でそして爆弾のようにズンと重い真っ白なショートケーキは、子供たちの間で瞬く間に奪い合いとなり、平時にはあらゆる争いごとを良しとしない、まるで共産主義者のような態度で男の子たちのやんちゃを諦観(ていかん)する女の子たちでさえ、このケーキの登場には、なすすべもなく垂涎(すいぜん)して欲望をむき出しにするのであった。
 甘くて、丸くて、そして、何よりも、真っ白なのだ。
 しかし本当のところ、この超然的なまでに真っ白なケーキを焼いているのが、ブラザー・ウッドという小男であって、先ほどの女性二人は単にニコニコしながら銀のトレーに載ったケーキを運んできているだけなのだということを、知る者は多くなかった。
「あれは、見た目ほど、美味しくなかったわ」
 そんなことを言うのは、変わり者のメリー・ジェーンくらいである。
「そうよ、みんな、騒ぎすぎだったのよ。クリスマスだからって。甘いケーキが食べられるからって。でもね、普通クリスマスっていうものは、ジンジャービスケットを食べるものなのよ。それが普通なの。いい? セントホワイトが異常だったの。あそこは、やっぱりおかしかったのよ」
 メリー・ジェーンは、ちらちらと壁の方に視線を逃がしながら、我慢しきれずにそのように述べた。
 4年前は寒かった。ジェーンは話しながらそう思ったけど、でもそれは、よくよく考えてみれば当たり前のことなのだ。
 だって今自分がいる場所は経度35度に位置する大都会の一戸建ての暖かいリビングダイニングで、4年前は白い山と青い川が永遠に続く田舎の街の小屋みたいな場所だ。つくづく、人というものの一生は分からない。とか、ジェーンが言っても、普通は誰も見向きもしないのだけど、これは特別な日の話、特別な物語。だから特別なことが起こるというのは、そういう意味では、割と『普通』なのかもしれない。幸か不幸か、いや間違いなく不幸ではないけど、彼女はとにかくそのおかしな白い髭の男、いや女なのか、それともどちらでもないのか、ともかく赤い服を身にまとったそいつと出会い、そして結果的に、棚からぼた餅を見つけるような願ってもない経験をする。
“ジングルベル、どうせ鳴らすなら、うるさいくらいに鳴らすのが良い、オアノット、それをしないのであれば、鐘などない方が良い。”
 それは違うと彼女が気づくまでの、これはそんな些細なお話だ。
 
 
 『アイダホ』という名前は、一説によれば、古くはアパッチの人々の言葉によるものとされる。その言葉は三つの部分に分解して理解することができ、1つ目は“Ee”これは降りてくるという動作、2つめ“dah”これは太陽と山という意味、そして三つ目は“how“これが感嘆を意味している。つまり、『アイダホ』を訳すと、『やべえぞ、太陽が山から降りてくる』ということになる。
 確かに夜更かしていると、日の出が迫って来るような恐怖を感じることがある。それは努力しても避けられぬことで、このまま朝日が昇ってしまったら、明日が始まったら、果たしてちゃんと生きていけるだろうか、そんなことさえ考える。
 メリー・ジェーンは、朝食を摂る時には主にそのようなことを考えていた。隣の椅子に座る白人の男の子が神に祈る時、彼女は自分がまたこうして、昨日と変わらない今日を迎えられたことへの感謝と、今日をまともに過ごせるかという不安を抱き、手を合わせる。けれどそれは十字架を切っているのではなく、ただ手を合わせているのであった。
 シスター・リジー・スプリングなどのとくに保守的な人間をのぞいて、もうそのことに目くじらをたてる大人たちは少なかった。でも、この男は少々特殊だった。
「ジェーン、ちゃんとやるんだ」
 子供たちからドリフト・ウッドと呼ばれていた。乾燥気味の浅黒い肌としぼんだ目、そして貴腐ぶどうみたいなドレッドヘアの、まさに流木のような外見をした小男だった。何をもって特殊だったかと言うと、女性比率が圧倒的に高い仕事場における男性であった、というわけではなく、白人比率が圧倒的に高い社会における人種的マイノリティであった、という点だ。
 そしてまたメリー・ジェーンも、周囲で白く青い目をした子供たちが騒ぐなかで、ただ一人黄色い肌と黒い目をした子供なのであった。
「ジェーン、」
「私はちゃんとやっているわ。これはガッショウよ。いい、祈っている相手が違うの」
 信仰の自由よ! などと反論するジェーンは、彼から目をそらしたまま、勝手に食事を始めてしまった。ウッドはそれ以上追求しなかったが、彼以上にジェーンを厄介がったのは、むしろ子供たちの方だった。
「今度はどこの神様に祈っているんだ? ブッダか? ホトケか?」
 それはジェーンにとってひどく馬鹿げた質問だった。なぜなら、祈る相手に名前がないから彼女は合掌しているのだ。
「そうね」
「ははは、やっぱりな。それとカンノンと、ボサツもだろ」
 どっちも、神ではない。しかし十歳にもなると、彼女はもう、かつてのようにムキになって必死で調べたサンスクリットの古典の知識を披露することもなくなっていた。ジェーンは、しんしんと冷える窓の外の景色と、同じくらいに冷たいため息を一つこぼすだけで、そのことがまた、彼女よりも幼い、しかし彼女よりも数で勝る、だから彼女よりも強い、白い肌の子供たちの心をいらつかせてしまったのかもしれない。
 
 
「もうすぐクリスマスだな。みんなは何をお願いするんだ?」
 セントホワイトは、しゃべるイヌがキャラクターの通信会社と、全米ポテト協会の寄付のおかげでものに不自由することはなかったが、お世辞にも贅沢な食卓を囲んでいたという記憶はない。そんな中で一体どこから、どのようにカロリーをかき集めたのか知らないが、寮で一番体の大きかったトール・クリフトフは、その態度も大きかった。そして彼は、そうやって皆に質問するていで実は要求をしていたのだーーまるでこの国の外交姿勢そのものだ。というのも、セントホワイトは貧しくはないにせよ、裕福な家庭とは決定的に違う。求めたからといって、何だって買い与えられることはないのだ。いや、仮に子供たちが本当にクリスマスのプレゼントを運んでくるのが赤い服に身を包んだ白いひげの老人だと信じていたとしても、全員分のお願いを聞いてもらうことがどれほど困難なことかを、子供たちは知っている。なのでトールは戦略的に誰よりも早くその話題を切り出したのである。
「ぼくは、プレイステーションがいいと思うんだ。なんたって、画質が良い。このテレビにつないで、みんなで鮮やかに、銃をぶっ放そう」
 彼は、とにかく、コールオブデューティーがやってみたかった。
「待てよ、ソニーなんてよせ。今時、ソニーはダメだよ」
「じゃあ何が良いっていうんだよ」
「ニンテンドウの方がクールだ」
 このような議論に関しては、賛否がわかれるであろうが、少なくともこの会話が行われた6年後、つまり2020年頃時点では、ニンテンドウがこの世界を支配している。
 それはさておき、女の子たちにとって、これはあまり良い流れとは言えなかった。なにせこのままでは、年に一度訪れる、重要で限られたわがままのチャンスが、なんだかよくわからない日本製家電の代金に泡と消えてしまう。そんなものよりも、今必要なのは、この青い目とブロンドの髪、そして白い肌に似合うお洒落な服などだろう! と、女の子たちの正当防衛が始まった。
「じゃあジェーンは何がいいわけ? ねえ」
 それは三八度線から飛んできた流れ弾のように、ジェーンの頭にぶち当たった。いや、しかし、本当は狙われたのかもしれないと、今では思う。おそらくジェーンはその時よほど嫌そうな顔をしていたのだろう。何かを受け取ることに対して、何故そんなに奔放であれるのかと、ジェーンは男の子側につくこともなく、また女の子側につくこともなく、ただ彼らを等しく下に見ていたのだ。
 もしくは、どうしてもその『まっ白い輪』に入れないことに、何か納得のいく理由が欲しかっただけか。
「私はなんでもいい」
「ジェーン、今なんて言った? 何でもいい、ですって? じゃああなたは、クリスマスのその夜から、男子たちが居間に居座って、ずうっとゾンビに向かって手裏剣を投げるのを見ているのが、楽しいっていうの?」
 現実問題として、ジダイゲキの再放送が見られなくなるとしたら、それはジェーンにとって悲しいことであるに違いないが、彼女のこわばったプライドは、この場で女の子たちに加勢することを頑なに許さない。女の子は、はなから答えなど待っていなかったという顔をして、ジェーンの前から去ったあと、またみんなの輪に戻っていってお喋りを続けた。
「プレゼントなんて、私はいらない」
 ジェーンがこぼしたその言葉を聞いていたのは、暖炉にくべるブナの薪だけだった。
 そしてその夜、ジェスとマーティンという男の子二人が、新しい苗字を得て、少し困惑気味な笑顔をして、寮を去って行った。
 
 
 その日が訪れることを、子供ならば誰でも心待ちにしている。ではユダヤ教徒に子供はいないのか? そういうことではない。ならばこう言いかえよう。訪れることを望むべき日というものは、どんな子供も持っている。いや、持っているべきだ。
 メリー・ジェーンには、しかし、誰もが望んでいる明日が、つまりクリスマスという日が、もう目の前まで迫っていることがさほど嬉しいということがなかった。興奮で寝付けないなんてよくある話だが、彼女の場合は違う。いつも通りのこととして寝付けないのである。
 彼女はそっと目を開けると、二段ベッドの上の方から垂れ下がっている不揃いな靴下に一度は視界を奪われるが、それを振り払って闇へ這い出した。寮は午後九時に消灯だ。そうは言われても、実際皆が寝静まるのは十時を過ぎた頃である。
 そして現在は、11時44分。十歳の子供たちにとって、この闇は、すなわち、悪だ。
 そんな中、ジェーンは何かに導かれるように廊下を歩いていた。真夜中に一人で部屋から出ることは子供にとっては宇宙を旅することに他ならないが、さながらその時のジェーンは太陽系に迷い込んだ宇宙船か、はたまた地球を横切る流星か、何かこの世のものならざる引力によっておびき出され、そしてその足は宛てもないまま居間へと向いた。
 誰かに呼ばれた気がしたのは、巧妙な嘘だった。この世界が彼女についた、孤独という名前の嘘。何もない、けど何かあるかもしれない、そんな気持ちが何度彼女を裏切ってきたことか。誰かが自分の名前を呼んでくれたんじゃないか、そんな錯覚が何度彼女を突き放してきたことか。
 でも、この一度、ここ一度だけは、特別なことが起こった。
 確かに、彼女は、彼女のことを必要とする何者かに呼ばれたのだ。
「開けてくれ、入れない。開けてくれ」
 それは真っ赤な服を着て、真っ白な髭を生やして、とても大きな袋状のものを背負った、
「開けて」
「何者!?」
 宇宙飛行士だ。
 
 
 パンケーキのようにふくよかなそのスーツはコカ・コーラのパッケージよりも赤く、帽子の先端にくっついた綿毛のような部分は、夜風に流されふらふらと空を泳いでいる。遠くから見たら、暖かそうな服に身を包んだ髭の老人だ。でも、よく見ると、例えば髭のように見えていた部分はスーツそのものにくっついているし、帽子の下に埋もれて影になっているところをいくら覗き込んでも、顔が見えない。顔の代わりに、まるっこい透明なキャノピーのようなものがそこに嵌め込まれており、月光を反射して怪しく輝いていた。
 そして何より、非常に微妙に傾きながら、窓の外に浮遊している。
 まるで宇宙空間を漂っているみたいに。
 ジェーンは驚きのあまり声を上げたが、驚きの方向性が自分でもよくわからなかったため、その声はそれほど大きなものにならなかった。結果としてジェーンは、割と冷静に窓の外に居る何者かの声をもう一度耳に受けた。開けてくれ、と何度も繰り返していることが分かる。
 ジェーンは窓を開けた。するとオーブンから取り出される焼きたてのパンのように、一度窓枠につっかえたあと、その宇宙飛行士はリビングへの小さな第一歩の着陸を果たした。
 これがもっと地に足のついた話であったならば、いや、文字通り地面に足がついていたならば、逆に彼女もこうも容易く窓を開けたりはしなかっただろう。
「何て暑いんだ。体が溶けてしまうかと思ったよ」
 そんな分厚い服を着ていて、しかも今夜は吹雪だ。それなのに暑いというのは、冗談のつもりなのだろうか。
「あれ、室内の方が暑いぞ・・・どうなっているんだ」
「あたりまえじゃない。外はマイナス十度よ? 部屋の方がまだ暖かいわ」
 それでも、この時期は、室内であっても氷点下を下回ることは珍しくない。
「ホメオスタティックフィールドのおかげで、スーツの内部は暖かいのだよ。いや・・・君たちの感覚からしたら、冷たい、のか。それでも全生命の中ではPPの恒常体温は高い方さ」
 ジェーンは、こう考えた。
 目の前で、ごく自然に話す謎の存在は、何を言っているのかよく分からない。しかし窓の外に浮いていたわけだし、今、スーツという言葉も使った。ジェーンにとって重要だったのは、その他の言葉が理解できないことよりも、この謎の存在がまず第一に話が通じ、第二に特に害がなさそうであるということだった。その他の謎については、面倒なので無視することにした。
「何をしにきたの?」
「バッテリーの交換だ。うねりの多い時代は、遡行するために燃費を食うから困る」
 PPは落ち着いた調子でそうつらつらと述べる。ジェーンの頭の中では様々な映像が入り乱れた。想像と創造の意味が混じってしまうくらい、彼女は頭をひねったけど、このサンタクロースが宇宙人であるならソリに乗っている様は想像し難く、逆にこの宇宙人がサンタクロースであるなら、やはり宇宙船に乗っているところも想像し難い。
 なんてどっち付かず格好をしているんだ、と怒りさえ感じる。
「それにしてもこの星の大気は分厚い。前来た時よりも分厚くなった。おかげで、宇宙船の先端が焦げてしまったよ」
 惑星の外側を膜のように覆っている大気の成分は、年々減少しているらしい。
 ちなみに、燃えているからトナカイの鼻は赤かったーーのだと彼女が知るのは、ずっと後のことである。
 
 
 バッテリーの交換のために何が必要なのか。何故この場所にやってきたのか。それを言う前に、この宇宙飛行士はおそらく少しでもジェーンの警戒を解きたかったのだろう。聞いてもいないのに、ぎこちない身振りで自分の出生を少し語った。
 しかし全て語ると長くなるので、二人の奇妙な会話のもっとも奇妙な部分を少しだけ切り抜いてみることにする。
「つまり、誰かの希望を叶えることは、同時に誰かの希望を奪うことでもある。我々は何でも与えてきた。望まれたものを、なんだって。そうだな、ある惑星に、意思を持ったじゃがいもが住んでいたが」
「ちょっとストップ。待って。お願い。それは例えなの? それとも本当に、トイ・ストーリーのミスターポテトヘッドみたいなのが、実在するっていうの?」
「意思を持ったじゃがいもが住んでいたが、彼らは知恵を望んだ。だから彼らの体に馴染む集積回路をプレゼントした。すると千年もしないうちに、彼らには、手足が生えて周りの国々を、侵略し始めた」
「話がぶっ飛びすぎているわ」
 おおむね、このような不毛なことが繰り返された。
 しかし、なんでも願いを叶える、などと、そんな都合のいい存在ならば、そこらじゅうから引っ張りだこになるはずだ。いつだって、誰だって何かを願っているのだから。そんな時、行き先を選ぶことに、困ることはないのか? ジェーンのその素朴な疑問に、宇宙飛行士は素直には答えなかった。代わりに一冊の古びた手帳を懐から取り出して「これが我々のヨルを照らすノーチカルスターだ」と答える。そこには、自分がこれから行くべき場所が常に記されているのだと言う。
 そのある種の信仰は、今思えばこの宇宙飛行士が持つ、最も人間らしい部分だったのかもしれない。
 そして気づけば、一時間とそこらの時間、二者は話し込んでいた。ジェーンは他人と話すことに飢えていたし、この宇宙飛行士もまた、そもそもおしゃべりな気質であったようだ。ただ眠ることから逃げ、真夜中にこうして語らう子供を、大人が許すわけにはいかないのだ。どんなに合理的な言い訳をしたところで、宇宙のどこであったとしても、変わらぬ掟なのだろう。
「ジェーン、何をしているんだ」
 樫の木の丸太にガラスを併せたランタンを持って、その大人は姿を現した。
「ウッド、これは違うの。これは・・・」
「誰と話しているんだ?」
 誰なのだろう。そういえば自分の話している相手は、一体何者なのだろうか。そのことについて真面目に向き合った瞬間、自分がひどく愚かなことをしていたように思えてくる。
「そういえば、あなた、何者よ」
 ジェーンがそう聞くと、あっけにとられるほど簡単に、返事はなされた。
「我々はPPと呼ばれている」
「ピー、ピー?」
 サンタクロースじゃないのか。
「プリミティブ・プレゼンター。我々は『最初に全てを贈った』種族」
「誰に、何を、贈ったのよ」
「誰にでも、何でも、贈ったんだよ」
 要するに、相手を選ばず所構わずプレゼントを贈ってきた、大盤振る舞いのサンタクロースという解釈でいいのだろうか。しかしPPの口からサンタクロースという言葉は出ていない。
 もっとも、考えてもみたら、仮にサンタクロースが実在したとして、では人がサンタと呼んでいるあの老人が、自分のことをサンタだよ、と白状するかと問われれば、そんな簡単に素性を明かすやつも、それはそれで信用できないのではないか。想像の十割の姿で現れた想像上の存在に、どれほどの説得力があるというのか。
 このくらい、馬鹿らしいくらい、謎深い方が、かえって落ち着くのではなかろうか?
 少なくともジェーンはそう思っていた。ウッドに、どのように見えていたかは分からないが。
 しかし落ち着いていたからこそ、ジェーンはいい気分はしなかった。PPの姿が、この場に現れるにはあまりに都合がよすぎたせいで、彼女はその時起こっていたはずの奇跡を、奇跡と感じることができなかったのだ。だってこれがもし奇跡なら、そして事実なら。メリー・ジェーンがサンタクロースに出会うほど恵まれているならーー
 一体、どこの誰に、何を願うのが、正解だったというのだ。
「ジェーン、君のいいところは、銃を向けるよりも先に話を聞くところだ。それはぼくの誇りだ。でも気づかなきゃいけないのは、もっと自分を大切にしなきゃいけないということだよ」
 ウッドがまたいつもの説教口調で言った。彼特有の、ゆっくりとした雪崩のような説法だ。
 不審者としての根拠を備えすぎたこのPPと名乗る宇宙飛行士は、というか宇宙人は、ジェーンより常識を備えているがために、ジェーンより自分を警戒しているウッドの方に首を向けた。
 意識を向けられたと察したウッドはこう続ける。
「あなたが何者であろうと、セントホワイトに無断で入って良いということにはならない。あなたが妙な真似をするようなら、ぼくは躊躇(ちゅうちょ)なく、ぼくだけが隠し場所を知っている散弾銃を取り出して、引き金を引くだろう」
 ウッドがやると言ったなら、彼は本当にそれをやる。けれどジェーンはウッドが、人を傷つけるところを見たことがなかった。
「それをわかった上で、あなたの話を聞きますよ」
「それは違う、話を聞くべきはまず君たちだ。私は最初に全てを贈るもの(P・P)。まずは君たちの望みを叶えよう」
 PPはバッテリーの交換のために地上にやってきて、その見返りに、人間の望みをなんだって叶えるのだ。
 
 
 セントホワイトにやってきて三ヶ月くらいしたある日、ジェーンはディナーの席で変わった食べ物を目の当たりにする。米とエビや野菜などを黒い紙で巻いたものを、マヨネーズにつけて食べるのである。周りの子供たちは、それをスシ、とか、ワショク、とか言って喜んだ。
 しかし彼女は、それを一口食べた時、この味付けは何かが間違っていると感じた。それはただ本当にそう感じただけであり、彼女の遺伝子に何か味覚的な記憶が刻み込まれていたという大それた話でもないのだが、事実彼女はそう感じたことで、自分のルーツに疑問を抱くようになる。そういえば自分の目の色は、髪の色は、肌の色は、何故他の子供たちと違うのだろう。5歳の少女がその事実に向き合い、理解し、そして乗り越えるためには、大きな苦労と犠牲を必要とした。
 ブラザー・ウッドがセントホワイトにやってきたのは、ちょうどジェーンがその巨大な山を登頂せんとしていた時期と合致する。ジェーンにとってのウッドは、自分と似た立場の人間。彼ならきっと自分を分かってくれる、ジェーンはそう信じきるようになり、そしてついにある時ーーそれはちょうど彼女が9歳になる時だったかーージェーンはウッドに尋ねた。
 自分の親はどこにいるのか、と。
 分からない、なら、それを答えとして受け入れる準備があった。
 しかし彼女は思わぬ裏切りを受ける。
 ウッドは何も答えず、また答えられぬとも言わず、つまりはそれが、セントホワイトがジェーンに用意した『答え』だったのだ。
 
 
 望む者に望まれた物を与える存在。それはまるで神様のようだが、PPの風貌は、いばらの冠を被った痩せた男には程遠い。そしてその立ち振る舞いや声色も、神々しさからは随分と距離がある。
 しかしジェーンにとって、それが神様であろうと何であろうと、結局は同じことだった。与えてやる、くれてやる、そういうことを言う存在を、彼女は等しく嫌ってきた。
 だからこのPPの中身がなんであれ、今さっき嫌いになった。
「何が欲しいんだ? ファニトリーに行けば何でも工面できるはずだ。何だってな」
「嘘よ。何だって用意できるはずがない」
「できるさ。PPはあらゆるものを作り出すことができる種族だ」
「バッテリーもつくればいいじゃない」
「バッテリーを作り出すためのバッテリーが切れているのでそれはできない」
 どう反論しても、何でも作れるという発言を曲げる気は無いらしい。ジェーンは少し投げやりになった。というより、話すのが面倒くさくなった。なのでこう言った。本心を述べたのだ。
「だったら私に、パパとママをちょうだいよ」
 ウッドが少し慌てたのが、脇目に入った。けれどジェーンのその言葉に込められた皮肉を、厭世観を、1パーセントも理解しなかったのか、あえてそうしなかったのか、PPは首を縦に振った。
「それなら今直ぐできる。いいだろう、君に血のつながりを与えよう」
 人の心の中に後悔というものが生まれるためには、実に1秒とかからないことがある。だがその1秒は、思い返せば途方もない量の写真の連続として、心に刻み付けられるのだ。頼んでも無いのに、誰かがフラッシュを焚いてーーその光が目の奥の方に入り込んでくる感覚が、今でも残っている。
 PPが懐から取り出した自転車の防盗チェーンのような装置が、赤紫に輝くと、次の瞬間にはジェーンは気を失っていた。
 
 
 サンタクロースが存在しないといういうことを知るためには、当たり前だが、まずサンタクロースという存在を知らなくてはならない。でもジェーンがサンタクロースという存在を知った時、彼女はすでに、そんなもの居ないということを知っていた。
 望んだものを与えてくれる、そんな都合のいいやつがいるなら、そもそもなぜ、自分は普通の家庭のもとに生まれなかったのか。それとも、その程度のことを望んでいないとでも思っているのか?
 そのように思ったジェーンにとって、神様が居ることと、居ないことは、全く同じ意味になってしまった。なぜって、居たら居たで、それは少なくとも自分にとって都合のいい神様ではなく、つまりは祈るに値するものでもないので、それは結局居ないのと同じことだ。そう、居ないのだ。
 だからいつからか、彼女にはクリスマスが来なくなった。彼女だけに来なくなった。何かを望むということ自体が、願うということ自体が、とてもくだらないことに思えてしまったからだ。
「ジェーン。大丈夫? ジェーン!」
 意識の冒頭に現れたのは、心配そうなウッドの声と、指先の皮膚の感覚。そして遠くで心臓が脈打つ音。雪の降る音? 雪が積もる音。なんだろうか。なんだろう。 
「なにこれ。なによ、これは・・・」
 おかしな気分だった。自分の肌が、爪が、髪の毛が、少しずつ自分から離れていくような。寒さや冷たさ皮膚が受けるわずかな風の圧力が、少しずつずれていく。のみならず、ずれていくことに慣れていく。
 PPは得意げに答えた。
「遺伝子チェーンだ。宇宙船の盗難防止用だが、私もレインディアー号につけているよ」
「なにをしたの!」
「だから君に血のつながりを与えたんだ。君はそこの人間と遺伝的に接続された。人間の関係としては、親子か、まあどっちが親かは別として、それに近いものになったはずだ」
 親子という言葉にわずかな温かみを感じたジェーンは、少しして、しかしそれが恐ろしいことだと気づく。ウッドはもっと早く気づいていた。だがウッドは恐怖よりも哀れみを、そして哀れみより怒りを、より強く感じたらしい。
 そう、ウッドは怒ったのだ。それが何より分かり易いことだった。
「なんてことを・・・なんてことをしてくれたんだ!」
 ジェーンがどんな理屈を考えるより早く、ウッドは立ち上がって、そしてPPの腕を掴み、彼らしからぬ荒い形相で、
「ぼくたちをいま、親子にした、だって?」
「その通りだ。どっちが親かは別として」
「あなたは賢いが愚かだ! 何も分かっていない。何一つ分かっていない!」
 ウッドはブルックリンなまりで、ユアフール、や、ジョーク、とかではなく、エアヘッド! とまで言っていたので、これは彼にしては相当怒っていたのだと思う。
 ジェーンは最初、なぜウッドがそれほど怒るのか分からなかった。次に、自分という存在と擬似的ではあるにせよ血縁関係ができてしまったことを迷惑しているのだと思い、疎外感を覚えた。
 でも、それが真逆であったことを、続く彼の発言で理解した。
「誰も願って生まれてくるわけではないんですよ。誰も、願って子供になるわけではないんです。生まれたから、願うんですよ。あなたには、この順序の大切さが、分からないのでしょうね」
 それに対して、ついにPPが黙った。
 ジェーンも、やはり黙って、少し考えた。
 そして、宇宙人と一緒に説教されたという特別な体験が、彼女に口を開く勇気とチャンスを与える!
「ウッド。私、本当は知っているのよ。私の親が今どこに居るか」
 真夜中の誘惑は時折襲ってくるもので、闇に抜け出して寮を探検したのは、今日が初めてではなかった。そしてそういうスリリングな航海は、彼女に興奮と落胆の両方を見せた。
 その中には、知りたいと叫び続け、しかし本当は心のどこかで知りたくなかった自分の出生の記録と両親のことがあった。しかもそれは、ワシントンポストとアイダホステイトマンの切り抜きという形で。
 ウッドも、ジェーンが知ってしまったことを、薄々感づいてはいたのだろう。どこかで明確に彼女が態度を変えたことに、ウッドが気づかないはずがない。でもウッドは、それを能動的に話すことが許される立場に、おそらくいない。今でも、多分彼は職を失うリスクと戦っている。
「血のつながりをくれるなんて、願ってもないことね。そう、願ってないのよ。ただの一度も」
 この肌の色も、この目の色も、この髪の色も、全て嫌いではない。本当だ。でももしもそのせいで、未来に、自分の親になろうとしてくれる人の負担になるのなら、一体自分は何のために、何故、こんな姿をして生まれてこなければならなかったのか。
 そう考えることがいかに馬鹿げているか、もっと早く気付けていても良かった。
 ジェーンは、ウッドの言葉の真意をこう理解した。つまり、多分、こういうことじゃないのか? ーーサンタクロースに願い事を告げるのは、全然別に、恥ずかしいことではない、ってこと。
 
 
 何が欲しいのか、そんな大切なことはすぐには決められない。決める準備をしてこなかったジェーンにとっては尚更だ。しかしクリスマスは今日で終わり。それならば、何を願おうか。
 保留だ。
 次回に取っておく。ジェーンは、今回はパスすることにした。そして次回までに、何かを願うだけのわがままさと、わがままでいるために他人に抱く信頼と、そもそも欲しいものは何かってことを選び出すただけの知識、その3つを身につけることをウッドに約束した。
「ぼくの願いも聞いてくれますか? だったら是非、遺伝子チェーンとやらを外してください」
 それも願いではあるので、不本意そうだが、PPはもう一度チェーンを光らせて、もとあった状態に戻した、と言うが、まあこればかりは、果たしてそれが本当のことなのかどうか、DNA鑑定でもしない限り、分かりはしないだろう。
「私には、バッテリーが必要だ」
 そういえばそんな話だったな。ジェーンは、大切なことに気づかせてくれた、という点に関しては、この迷惑な宇宙人に対して一定の感謝の気持ちを抱いていたので、快くとまではいかないにせよ、首を縦に振ったのであった。
「私の友達などは枝豆一個で十年は動く最新式のバッテリーを使っているが、私のレインディアー号は、なにぶん、年寄りでな。積んでいるのが、グリコシド分離エンジンの二〇型なんだ。だから高濃縮アミロペクチンしか燃料にできないことは、分かって欲しい」
 わかって欲しいと言われても・・・。
 PPの言う、グリコシド分離エンジンとは、さてこれは、糖の一種を分解してエネルギーを得る何らかのシステムのことを指し、その中でもアミロペクチンという限られた物質だけしか、使えない。もっとも、これは全部、ムキになって後で調べたことだ。
 そこでPPが困り果て、帰らずじまい、ということにはならなかった。こんなやつが居座ってしまったら、きっと優しいウッドも、いつか発狂するだろう。怒るとかではなく、発狂すると思う。しかしウッドは今でも、新たな家族を持ったジェーンの顔を見に、たまにトウキョウを訪れる。それはつまり、PPがここで打開策を見つけるということだ。
 PPは不意に動きを止めた。つるっとしたキャノピーには、ジェーンのある私物が映る。
「なんだこれは!」
 PPは、それを手にとって、ただただ驚いているようだった。
「まさかこの未開の惑星で、これほどまでに理にかなった濃縮燃料を見つけられるとは」
 PPの手には、ジェーンが三日ほど前、新年が近いということで、興味から作ったはいいが、食べるまでに至らなかったものが・・・日本食への興味が絶えないジェーンであっても、日本無農薬農業者協会から、その原材料が送られてきた時は、さすがに面食らったというもの。作るまでに相当な労を要したはいいが、味付けの手段がなかったために、全く喉を通らなかったという代物が握られている。
「これを、この物質を、是非貰えないだろうか」
「それならいっぱいあるわ。硬くなっちゃったけど」
 流木を削って作った小さな斧と、水を貯めるために使っている樽で、餅(ライスケーク)をついた時。
 それがサンタクロースの、宇宙船の燃料になるなどと、考える余地が僅かでも有っただろうか。
 一万歩譲ってもそれはない。
「感謝する」
 けれどPPは、本当の本当に嬉しそうに、寮にあるモチというモチを全て持参の真空パックのようなものに詰め込んでいった。そしてPPは静かに部屋を見渡すと、キッチンへと向かう。
 何事かと尋ねるよりはやく、PPはオーブンの前で立ち止まる。
「ちょうどいい」
 そしてPPは、何をするかと思えば、メリー・ジェーンと出会ってから今の今までずっと背負っていた巨大な袋を、オーブンの中に詰め込んだ。オーブンの上端につながっている排気口は、そのまま煙突として屋根から伸び出ているのが普通である。
 落ちてくるならまだしも、いや、まさかな。
「さらば」
「やっぱり使うのね」
 PPは、どういう理屈でかは知らないが、人間一人が入るのがやっとのはずの、小さなオーブンの中に、袋と一緒にしゃがんで入り込むと、その袋が爆発して、空高くへと、宇宙の彼方へと飛んで行ってしまった。いや、実際に飛んで行ったところを見たわけではないのだが、これはつまり、そういうことなのだろう。そうでなければ何なんだ・・・。
 とにかく、サンタクロースは煙突を使う。しかしそこに落ちてくるのではない。空に戻るための発射台(カタパルト)として、使うということらしい。
 アイダホ! もうじき日が昇る。
 
 
 さて、このような、少し変わったサンタクロースの物語は、メリー・ジェーン、いや、今や、M・ジェーン・フルカワとなった彼女が、記憶の中に秘めるまるで満月のように明るく輝き、まるで爆弾のように大きく響く、特別な日の、大切な思い出話なのであった。
 思い出話といえば、一ヶ月前、両親はジェーンに奇妙な話をした。それは、ひょんなことからジェーンが両親に、二人の馴れ初めを尋ねたのだが、その時に返ってきた答えは、まさに子供騙しのような・・・それはそれは奇妙なつくり話だった。
 でも、誰にでも、思い出というものは都合がよすぎて、美しすぎて、それでいいのだろう。プレゼントを受け取った時、それがどんなものであれ、嬉しいと思う。プレゼントというのは、そういうシステムなのだ。人間の心の仕組みをうまく利用しているに違いない。
 こう言い換えても良い。
 何かを受け取る時、人は常に何かを与えてもいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?