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原動力


エデン条約編読み終わりました!!!!!

本当に素敵な体験を追うことができました。この物語は私の記憶の中に長い間残り続けるでしょう。心の底から感謝を伝えます。

        /かんしゃ~!\


大人が齎した災厄が生徒たちの身と心を蝕み、最終的には生徒たちが事態の責任を負う羽目になるような物語を先生は見事に退けてくれましたね。

決して生徒よりも前に立たたない彼の性格が生んだ奇跡だと思います。
妥協や心を残りを残さず、犠牲を出さず、生徒みんなが屈託ない笑顔で事態を終える。そんな物語にしてくれた彼に、ただひたすら拍手を送りたい。

もちろんキヴォトスで生きる架空のキャラクターではありますが、あんな人物像を私と同じ人間が創りだせるなんて、中々信じ難いものです。

先生がただの一般人(おそらく)であることが、余計恐ろしい。
先生は権力以外なにも持ち合わせていない非力な一般人で、趣味嗜好も言語も私たちと限りなく似ているのに、言葉に一切ネガティブを混ぜ込まず、常に生徒第一で動いている。

そんな大人は存在しません。

そう、存在しないのです。
だからこそ私は「先生」を人知を超えた存在だと解釈し、感情移入を辞めたのですが、しかし、彼は自分を大した存在ではないと言い放ち、根拠を口にします。

結果的に先生は、原動力の一番目に生徒を、他人を置いているだけの一般人であると結論付けました。確かに物語の登場人物を見ていると、自分のために動いている人間は限りなく少ないです。

では何が原動力なのか?それこそ他人、仲間の存在でしょう。
生徒たちは仲間の安全を第一に動き、壁にぶつかって強大な敵と対峙するのです。

対してベアトリーチェは、終始自分のことしか話していません。
どの場面でも自分の利益のために行動しています。

先生と彼らの違いは、原動力がどこに依存しているか。

他人と割り切らずに、共存すること。
それがキヴォトスにおける「いい大人」と「わるい大人」の定義なのかも。

これは現実の話ではなくあくまでブルアカの物語の描き方的にそう見えたというだけの話ですが、まだエデン条約編が終わっただけなので。これからまた考え方が変わる可能性もあります。

とりあえずこの気持ちが冷めやまぬうちに思慮の残滓をここに置いておこうと思った次第です。カルバノグ編が楽しみですね。

反応もTwitter上に残しているので、興味がある方はどうぞ。4時間かけて投稿してます(激遅)

さて、そろそろアリ夏ですね!!!!!!

みんな、石の貯金はあるかーー!!?????




あろなを崇高しましょう。

以上です。さようなら~ノシ


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