ASDらしい小学校の時の記憶

子供の頃、学校で、先生達の車がイタズラされる という事件? があり、学校で問題になってて

先生が

今言ったら絶対に怒らないから!とか延々と言ってて、なんか気配的に、誰かが名乗り出ないと話が終わらない気配を察して、怒られないならいいか と思って、全く関係ないのに、僕です と言った事があります。

本当にそれで話が終わると思ったんですね(^-^;

違う部屋に連れていかれて、怒られて、なぜやったかとか言われて

怒られるなんて話が違う といくら言っても余計に怒られるし、それなら本当は何もやってません とも言ったんですけど、もう信用もされずその態度を余計に怒られる という恐ろしいループにはまった記憶

当時、何の診断も受けてなかったけど、変わったやつだとは思われてたし、先生も、こいつならやりかねん 位に思ってたんでしょうね

そして、この件以降、余計にいじめもひどくなったようにも思ったり(>_<)

その時の思考は

なんで怒らないと言ってるのに、やったやつは名乗り出ないのかな?

早く名乗り出て話終らせようよ

誰やねん!?(ずっと座ってるのしんどい)

もう自分でもいいか!(閃き)

「僕です」(話終われー この時間終われー)

みたいな思考の流れだったと思います

当時は先生が嘘言うのも変だし、絶対に怒らないと言ってたのにこんな怒るなんて先生は日本語の意味わかってないのかな? とか思ってた記憶もあります(笑)

思えば、他にも細かくは色んな事を自分のせいにされて、違うと言ってもあんま信用されないし、生きてて、何言ってもわかってもらえないという意識は基本的にもってたので、頑張って説明するという行為も何だか諦めてたし、もうそれならそれで別にいいか と受け入れたりもしてた気もします

普段の行いの結果疑われるんだから、疑われる方が悪い と大人に言われた事もあり、疑われるのは自分が悪い と子供の頃は思ってたし

世の中には、挙動不審のやつを疑う という普段から挙動不審な人にとって迷惑なルールもありますが、挙動不審だから悪いのかは謎ですね

でも、本当にやってる人物が挙動不審な事も多いから、疑う合理的な理由にはなるとも思うし

でも、今でも、全然やってない事でも疑われて質問されると、何だか挙動不審になると思う(笑) し、やってても堂々とできる人もいるしなぁ とも思うけど

今回は、言いたい事もかもなく、ふと思い出したエピソードがASDっぽい気がして書いてみました。

小学生くらいの時は、まだ大人は凄いとかちゃんとしてる とは思ってたんですね

こういう色んな経験から学んでいったりもするのですが

なんにせよ、言いたい事はないので、ASDとか発達障害で生きづらい子供達、頑張れー(笑) と強引に締めときます(笑)

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