仮面を外すにはもう少し勇気が必要だ…


私は自分が傷つかないように、仮面をすることで、それが私だとすることで自分を守ってきた。
長いこと被りつづけた仮面は、気づいたら私になってしまっていた。
そして、自己防衛の反応が異常なくらい、私という核心をズラし続けてきてしまった。
それが今、自分を苦しめているなんて…。
仮面を取らないと次へは行けないみたい。
でも、勇気がない。
ずっと私を守ってきた殻から出ることは出来るんだろうか?
私が私として全てを受けると想像すると、
とても怖いんだよ。


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私は自我を形成する大事な期間のほとんどを
私 というそのままの人間ではなく、
求められている 私 にならないとって思って生きてきてしまった。

そういう雰囲気を感じてはいた気がするけど、
断定は難しい。

私にすごく影響を与える人
(その人の言動は簡単に私を地獄へと突き落とすことができてしまう。生きる活力をかなり減らせる人)は、
私とは違う見方をその時代にしていたから。


それが実話なのか、私の中で誇張された妄想だったのかは判断が出来ない。
その時から私は、正常ではなかった。
そう思うから。


だから私は勉強ができる人に、
運動ができる人に、
オシャレな人に(センスのあるその人が選んだ服を着るだけ)、
よい子…にならなきゃならないと思っていた。
考えてやっても、否定されるから考えることを辞めた。
ただ、言われることに頷くだけのつまらない人間になった。


それでも、それらしくみえるように振る舞ったおかげが、称賛をいただくこともあった。
でも、称賛を受けても、全部わたしの力じゃない。
全ては、その人のいうままに、動いていただけ。


私は私にならない代わりに手に入れたのは、フリが上手くなったということだ。
これらの称賛を受ける私という役を
ニセモノでも、ホンモノのフリをするのが上手になってしまった。


その頃からだ。
悪い言葉で人を欺くことが出来るようになってしまった。
周りの目を気にして、どうしたら、よく見られるかを計算するようになってしまった。

いい人にならなきゃと思って生きた日々は、
確かに私にとって、プラスな部分もあった。
でも、ニセモノでも、勘違いしながらプライドみたいなものももってしまった。


悪くみられたくない。
否定されるのが怖い。

そんな心の声は今でも私の中に生きている。


この前に受けた面接で言われた。

つくってきてるから、こちらも構える。

頭の中は???だった。
スーツを着て、真面目そうにみえるように、スッキリ長い髪もオールバックのポニーテイルにして、メガネの黒縁だって、全部。
良く見られなくても、せめて悪く見られないように、ギリギリでも赤点にならないようにと選んだ格好だ。
ちゃんとした就活をしないまま、私は就活を終えたから就活がわからない。ハローワークの人にもスーツでいけば大丈夫だと言われて、これでいい。そう思っていたのに…。


確かにつくってはいる。
オンオフみたいなものはある。


もっと自然でいい

それは、どこまでなんだろう。

今までもそう。
私は自分に自信がなくて、自分を守っている。
私を出すことがまだ怖いんだ。
だから私にはホントの私をさらすより、
私が今まででつくった1つを出すことで
私を守っているんだと思う。

ホントの私じゃないなら、
傷は100%受けなくていい。
だって、つくった私なのだから。
でも、長年寄り添ったから
それは、私なんだ。
私の一部であり、私の全部かもしれない。


面接してくださった相手をみたら、びっくりした。
今までと違う。
スーツじゃなくて、
私服。だいぶラフな格好だった。

それがダメってことじゃないよ。

そう言ってくれた。
では、どうするのがいいんだろう。
私はこれまで、そういうオンをしっかりみせる必要がある場所で働いていて、会社のルールがこの会社より細かくて、みんなが同じようにあることが求められる場所だった。
でも、今回は違う。今までと違う職種で場所だ。
私の格好や私という人間についての質問をされたのは初めてだった。私 という色が求められる場所。
そのままの私でいることが大事になってくる場所。

会社によって違うんだ。
当たり前かもしれないけど、私は気づかなかった。
会社によって、何になるかによって、
違うんだ。
ここらへんでいけば、とりあえずは大丈夫だろうと、毎回同じくコピー&ペースト。
でもそれでは、先に進めないらしい…。
面接の機会をいただける回数が増えて、
このくらいなら、お時間をいただけるんだ。と、自惚れていた。
このくらいならではなく、この会社はこの職種は…と今の自分が持っているものをそれぞれに合わせる必要があったみたい。


私はまだ自分で自分がわかっていない。
どうして、たくさんの人は自己分析がよくできるんだろう。
私は自分の中にこれからの道筋を描けていない。
いくら考えても、考え足りないのか、方向が違うのか、私がまっすぐ見つめたい先は定まらない。
曖昧のままだ。
だから、私はやりたいことが伝えられない。やりたいことを繋げられない。
相手からしたら、もっとぐっと核心の部分が具体的に欲しいのに。
私は、もっと狭くコレといえるものがない。


それに、私はわたしになりたいと思ってきたけど、
全部私になるにはまだ怖いんだ。
傷つくのが怖い。
だから言い訳を用意して、
だから言われてもしょうがないと
自分を慰めるための保険を用意をしてしまう。

それが当たり前になりすぎて、
私はわたしを隠そうとばかりしてしまう。
私はまだ、自分を自信をもって表に出すことができない。
今まで、私しか私を守れないと、異常な自己愛みたいなものが守ってきた部分が私を余計にややこしくしてる気がする。
自分の一部、古いものを捨てるのがあまり得意ではない。
私と一体化しすぎたこの仮面を外すには、
もう少し勇気が必要になりそうだ。

多分、この仮面を外すためには、私が私として生きていく覚悟と、進む道の先を明確にしないといけないんだろうな〜と思うけど、


低いレベルにいる私にはまだ具体的な話ではない。

もうすこーし頑張れる、
傷つくことへの恐れに負けない、
そんな自分に向かっていきたいなと思っています。
そんな自分に時間がかかってもなれるのか、
一生同じ問いかけをして生きていくのか…。

不安ばかりですが、
考える力が浅いなら浅いなりに、今考えられることを今の答えとして出さねば〜

と思った夜です。


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