本気を教えて


私は小さな頃を思い浮かべても、
全力レベルで何かをやったことがなかったと思う。本気ってやつがあまりわからないかもしれない。と思った。

遊ぶことも、
勉強することも、
運動することも…。

全力で本気でやると、どんな世界が見れるのだろう?

私が開いたことのない扉。
かつて、部活の顧問からの言葉に

どれだけ本気だったか!

という言葉をもらった。部活を引退した後にもらった色紙に書いてあった言葉。
いい言葉だなともらった時から思っていた。
でも、ワカラナイ。
私は本気を実感したことがない。

私はいつだって、余力を残してしまうから。

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中学生の時、私は陸上部で中長距離を走っていた。
私は真摯に向き合ったつもりだった。 


『ジュースも飲まなかったし、部活の練習後に毎日自主練をした。
流行りの病にかからぬよう冬は徹底的に体調管理をした。そのため、マスクをよくした。
以前、陸上をやっていた知人がアドバイスをくれた。
家の近くの坂(やや不思議な角度でやや急、50メートル以上はあるけど、80メートルよりはなかったと思う)も夏は毎日10本走って、その後に家の周りを3キロ走った とか』

でも、そうではなかったんだ。
毎回、レースの後は息があがるくらいで普通に歩けた。立っていられた。
常に厳しく攻めて練習出来ていたかといえば、違う。私は自分に甘い部分があった。ただ、こなすことに必死で、何も考えず、ただ走ることしかしてなかった。

自分の学校の中だけなら、それでよかった。きっと気づかなかった。だって、私が1番だったから。でも、大会や記録会は違う。たくさんの学校のそれぞれ足の速い人が集まってる。

その中で、県全体から集まる大会で、私は彼女に出会った。私とは違う。考えながらも決意して、本気で走る彼女を見てしまったから、気づいてしまう。
本気じゃなかったんだよ、私は。

県の大会で、同い年の“ライバル“ができた。
毎回、ラスト100メートルで互いに競り合う。
負けたり、勝ったり。いつもギリギリで二人してゴールをしていた。
彼女は、いつも全力で余力なんか残していなかった。
走り終わるとすぐに彼女は私の視界から消える。
全力を尽くしたからこそ、余力が残ってないんだ。
私は、彼女が羨ましかった。眩しかった。
走り終えた先のことより、その勝負の2分30秒にも満たないその瞬間だけを考えている。

私はいつだって、余力を残してしまう。
その場で倒れてしまうほど、
全ての力を尽くして競技が出来たことがない。
後のことを考えないことが出来なかった。
上位に食い込める人のほとんどがレース後に余力なんて残ってなかった。
数分に本気で全力をぶつけていたんだから。


どうしたら、そこまで本気になれるんだろう。
どうしたら、全力でその競技に向かえるんだろう。
嫌味みたいに聴こえるけど、
私は彼女のような人が眩しかった。
羨ましかった。
全力で本気になりたかった。

でも、なれなかった。
私の中のブレーキは簡単に何にでも、調整することを求める。


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私が少し本気というものは、こういうことなのかな?と感じた物語がある。私の1番好きな漫画の話をここでさせてもらおうと思う。

アオアシ 


サッカー漫画だ。
高校生の、Jクラブの下部組織みたいなユース生の話。愛媛に住むくせのあるサッカー少年がユースの監督に見初められて、入団試験を受けにこいと誘われたことから始まる。震えるくらい真っ直ぐな本気をみせてくれる漫画だと思っている。

私はこの漫画の1巻を読んで衝撃が走った。

とにかく考えた
考えて考えて考えてーーー考えて。
するとな、
いろんなことが、いずれ考えなくても できるようになる。
そうしたら、ようやく それが自分のものになる
似てるけど、やっぱり勘とは違う

頑張れ。人間は考える葦である。
一条 花

この言葉。
考えることの重要さ。そして、やり抜くことで自分のものになって、いつだって、自分の意思で使うことができる。

そして、物語の中の登場人物の言動がこの言葉を後押しする。

私に足りなかったことの1つのは、考え抜くことなんだと思った。
本気に含まれる1つはこれなんだろう。
私はただ、根性があればできる。量をこなせばできる。そう思ってた。
限度がある。考えずにただやるだけには。

それだけじゃなくて、本気 になるなら、それに対して 好きって気持ちも大切で、上手くなりたいとかの向上心が自然と湧き上がらないと、どうしたらを考えて続けることができないと、


本気 という領域には届かないんだろう。


私は陸上を好きだったか?

好きだったけれど、途中から暗示をかけた。大会・記録会の度色々なものが重なって、好きが減ってきたことを感じたから。好きでなくちゃいけないと思った。

私はもっと足が速くなりたいと思ったか?

足が速くなりたい気持ちもあったけど、満足している自分もいた。
もう、このくらいでいいという気持ちもあった。

私は考えて走っていたか?

スタミナがなくなったら、どうしようとだけ考えていた。
後は流れに任せていた。
こういう風に走ろうは、考えてない方が多かった。

私は陸上を続けていきたいと思ったか?

走ることは好きだったから、続けたいと思った。
でも、この先陸上で生きていきたいと思えなかった。

これが私の陸上への答えだった。
陸上に全てを渡すより、私は自分を選んだ


この後、今に至るまで
私はまだ本気がワカラナイ。
頑張ることが出来なかった。
私の中の面倒くさいと思う部分が
いつもいつも勝ってしまう。
どうしたら変われるのか、
未だによくわからない。

でも、よく考えたら、始まりは遊びなんじゃないかと思い始めた。
赤ちゃんの頃、小さい頃、興味のある方へ全力で動いてるじゃないか。
もしかしたら、
私は本気になって遊んだ記憶がないから。
もしかしたら、
今まで、何かを頑張るだけでそれなりに周りは褒めてくれて、
(優しい皆さん、ありがとう!)
それなりで私が満足してしまったから。
(満足したら、先に行けないよね💦)
その先の本気にまでいかなくてもよかった。
だから、満足の条件があまりに低いから、
わざわざ怖い本気でぶつかって、頑張らなくてもよかった

でも、今ね。
私、本気になりたいんだ。
何かをやり抜いてみたいんだ。
本気になれるものは、
今まで私は自分の意思では見つけられなかったね。続けられなかったね。
もしかしたら、見つけるのではなく、
自然になってるものなのかもしれない。


それでも、本気にはなりたいと思ってしまっているから、今後はわからないけど、
まずは、遊ぶことを本気でやってみたいなと思っているところです。


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