飾ってある写真の中にいる小さな私
私はどれほど自分の目から見える世界を信じよう思っただろうか?
目の前にあるもの、見た感じだけで判断して、そこにちゃんとあるその人の気持ちに気づくことは出来なかったように思う。
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幼い頃、私より他の兄弟が祖父母に可愛がられてたって言われてた。
それに対してすっごく残念な気持ちになったりはしなくて、ただ、どこかへ連れて行ってもらえる兄弟が羨ましい気持ちはあった。
でも、何度もあれば慣れてしまうもので。
いつしか羨ましいけど、そういうものになった。
でも、祖父母とは普通に会話はしたし、
祖父が本を買ってくれたことも何度かあったから、
差はあれど、可愛がってもらえなかったわけじゃなかった。
そもそも、差に対して私は鈍感だった。
私の母はそれがショックだった。
私がいつも置いてかれてしまうこと。
可愛がるに差がわかってしまうこと。
だからか、よく。
兄弟ばかり可愛がられてる
そう私は耳にしていた。
私はそうなんだとただ思うだけ。
私より他の兄弟が好きなんだろうなって。
そういうものなんだ。
悔しいとかずるいとかはなくて。
ただあるがままに受け入れただけ。
私より祖父母は兄弟が好きなんだろうな。
刷り込まれたように私はただ、誰かからみえたものを私のもののように、
ずっとそう思っていたけれど、この前ちょっと驚くものを発見した。
祖父が事業をしていた事務所に入って私宛の手紙を回収しているとき、たまたま目に入った写真。
幼い幼い私が赤色のドレスを着て、テディベアと写っている写真が飾ってあった。
事務所の中をあらためて見回しても、家族の写真はたったそれだけ。
他は友人と写っているものだった。
小さな私は額縁の中で嬉しそうにカメラに向かって笑っていた。
可愛がられている弟の写真でも自分の子供の写真でもなく私?!
めちゃくちゃ驚いたし、なんだか不思議な気分だった。
飾ってあったこともだし、幼い私が嬉しそうなんだもの。
これをみたらね、
ああ、やっぱり可愛いとは思ってくれてたんじゃないかな〜って思った。
だって、みたくないものは飾らないと思う。
それに、私は可愛がられてないとか思ったことはないなと、不満は特になかったように思う。多分。
実はあまり覚えてないけど。
第三者から聞いたことをそのまま受け取る。
それはそうかもしれないけど、
それだけじゃない。
口が語らなくても、教えてくれるものはある。
開かない口と、勝手な噂話ばかりに気を取られて知った気になってしまったら、勿体無いなとそんな風に思った。
私が自分を真っさらにして目の前のものを見つめているのか、
誰かからみたものをまるで自分のものみたいに思ってないか。
見えないものをみようとしているか。
事実がどうだとか、そんなのどうだっていい。
事実ってなんなんだろう。
私はみたいように、世の中を見てしまっている。
知らぬうちに自分の目で見ることを、耳で聞くことを、自ら感じようとすることを止めてしまってないだろうか?
答えが決まっていない、探し続ける世界に身を置くことになってるから。
そんなもの、ないんだもの。
いまの私が出したい答えを求めて。もがいて。
そうやって、更新していけばいいよね。
難しく考えたり、悪い方にばかり考えたら、
そういうのを私が引き寄せちゃうから。
笑って、口角を上げて。
あの頃のような表情で。
自分から。