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だから、私はフリをする


まず、
今から私がここに書くことは、
誰かを傷つけてしまうこともあると思います。
ごめんなさい。
先に謝ります。
ただ、私は私の経験では、こうだったんじゃないかと思うことを書きます。


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大学生になって、あることに気づいた私は、必要なときは、自信があるフリをするようになった。
自信がないようにみえないように、舐められないような格好も選ぶようになった。
偉そうに振る舞うのではなくて、相手が不快な思いをしないように、変になめられないように、自信がないことを出しすぎないということ。
それは、自分を守るためでもあり、自分の面倒な部分で相手の気分をそがないようにするためでもあると思っている。


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自分の自信のなさを誰かに見せ過ぎてしまうことは、危ないな〜と思うことがある。


 
私は、今もそうだが、自分に自信がない。

褒めていただこうが何だろうが、
毎回私なんかが…とやり過ぎな程、謙遜することで、
せっかく相手からいただいた気持ちを全否定していた。
相手が好意的に下さった褒め言葉を受け取りもせず、全部、刀で切って跡形もないくらいサラサラにして、吹く風で飛ばしてしまっていた。
‘私なんかが、あり得ない!’と。
今となっては大変失礼なことをしていたと思う。
だから、その後の雰囲気を気まずいものにしてしまっていた。
相手が引いていたのも目にはしたけれど、嘘がつけなかった。
私はそういう態度をとることで、モヤモヤを残してしまっていた。

そうやって、やり過ぎた私は、今まで、謙遜しすぎ とか、何でそんなに自信がないの?って言葉を仲のいい人にいくらかもらった。
顔にも声のトーンにも相手は不快感を出すことがなかった。(有難いことに、私はこういう子だと相手がその部分にあまり反応せず、流すようにしてくれていたからだと思う)

そして、高校生の頃の私は漸く気づく。

これって、相手にとったら、

すごく面倒くさくないか?

たまにならいいかもしれない?けど、毎回だったら…
相手からしたら、
そんなことないよ
くらいしか言える言葉なんてない。
いちいち否定されるのも嫌な気持ちになるだろうし、好意からの言動の反応がこうなってしまったら、どうしていいかわからなくなる。
それに、疲れるだろう。
良かれと思ったことなのに。
場合によっては、これは、他のことももっと褒めなきゃならない感じなのかな?
と自己否定の様子によっては、さらに負担を相手がもつことになりそうで…。


これって、
やっぱり面倒くさいことだよな
って想像してしまう。


そもそも、
私が自分に自信がなくて、自分を認められないことは相手には関係がない
はず
それをわざわざ口に出して、しかも、変な空気にするのってどうなんだろう…
自分の自信のなさや、自分を好きになれない気持ちを全部出して相手を自分の中のネガティブワールドに勝手に巻き込んでも相手は困るだけではないか。
相手の気持ちも考えずに、私の気持ちだけで突っ走ってしまっている。
ってことになる気がする。
これは、私が私の心の中で思えばいいことで、
わざわざ相手に言う必要がない
んじゃないか?


言うのであれば、
そうやって、私をよく見てくれる相手の気持ちに、ちゃんと伝えてくれることに、
「ありがとう」
って受け取るだけで充分じゃないか。
だから、この頃から過剰な謙遜ばかりすることはやめるように気をつけた。
相手の気持ちも有り難く受け取るようにした。


そして、もう1つ。

過ぎる自信のなさは舐められる

舐められるって一体どんな世界だよ!って思うかもしれないけど、舐められるってことは、ちゃんと扱ってもらえないってことだと思う。

手を抜いてもいい相手だと馬鹿にしていい相手だと、下にみられるってことだと思っている。
自分のその態度で、優劣つけなくていい相手が優位に立つことを許してしまっているってことだと思う。


世の中には残念ながら、
いい人ばかりじゃない、悪い人だっている。
簡単に人を見下す人がいる。
見た感じで、テキトーにこき使っていい人認定とか、
ちゃんと接客しなくてもいい人認定とか。
そういう人にいいように使われてしまう。
もしくは、自分の態度が相手を悪い方へ変えてしまうこともある。


私は学生の時、イジってもいい人になってた。
イジることは、加減が難しいと思う。
ここまでは、これ以上はと、不快になる線に互いに同じ正解を見つけることは難しい。線引きを相手を見ながらしないと、イジるは、怖いことにどこまでもいけてしまうと思う。それに対して互いに認識のズレがでてくるはずだから。
私は運良く?その子は根がすごく悪に染まってなかったから、度が過ぎた時は、涙が出たら焦ってとめた。
私は自分なんかと思う心があるから、何でもヘラヘラして受け止めてしまっていた。
だから、その子はまだ大丈夫なんだと、イジリがどんどん悪い方に行ってしまったんだと思う。



それに、私は店員に舐められたこともあった。
前のお客様には色々と説明されていたのに、
私の時は聞かないと説明をしてもらえなかったときもあった。
私が契約してお金を出すことなのに、店員は一緒に来ていた親の方を向いてやたらとプランを説明し、答えを求めていたこともあった。
(こいつが本当に払えるのか?くらいの目でみられたと思っている…本当の所は知らないけど)
私の方なんて、チラッと何度かみるくらいだった。(この時、メイクも得意じゃなく、服もテキトーで見た目と実年齢の差があったと思う…)

だから、私は服もテキトーなものを着ないで、
キチンとした格好をするように気をつけた。
自信がない私を見せないように、ちゃんと扱ってもらえるように。


自信がないことは全然悪いことではない。
それに、自信をつけるのは、本当に難しいと思う。
自分のことを好きになれない、嫌いだという人なら、最低限以外の自己防衛はできないんじゃないかなと思う。

自分は、〇〇だから。と、
自分が自分を下に下にしてしまっている。

もしかしたら、そういう人は、自分より相手を思い遣れる優しい人なのかもしれない。
その優しさに気づいて、この人はこういう人だと、
わかってくれる人もいるけど、多くない。
むしろ、気づかない人の方が多い。
だから、過ぎる思い遣りは、気づく人以外を思い上がらせてしまう。
自分の荷物に+して、誰かが持つべき荷物を背負ってしまって…
気づいたら、相手にとってそれが当たり前。もう、あなたの荷物だと思われてしまうかもしれない。


だから、
自分の自信のなさを出し過ぎる言動は、周りの人に恵まれない場合、自分を生きにくくしてしまうんじゃないかと思う。

自分は、自分で守るしかない。
自信がなくて、自分なんて…と思うことはよくあることかもしれない。
それを出すなら、相手は選ぶ。そして、相手を見ながら話すと思う。重い空気にさせないようにする。


もし、私が友人に全体重かけて、よっかかったら、重い。
それに、友人は私と歳が近い。わたしでも自分の自信のなさはそれなりの重さがある。
それを友人がもつ友人の分に私の分まで乗っけてしまったら、友人だって潰れちゃう。

だから、
私の重さは私が持つとして、そういう意味で面倒くさい人にならないよう、ちゃんとした扱いを受けられるよう、


私は自信があるフリをする。
そこに説得力がつくように、見た目も出来るだけ気をつけるようになったんです。


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