ゼアル感想 親と子、コスモスとカオスについて (後半批判)
「遊戯王ゼアル」について、言いたいことがありすぎる……ありすぎるんだ……と思い、絶対まとまらないけど自分の思考を整理させるためにも書きます 批判点とかも書くので注意です
遊戯王ゼアル、実を言うと一番世代と言うか、初めてリアタイでちゃんと追おうとした作品で、かなり思い入れがある
(これを書く前に自分とゼアルの出会いについて、長々と可能な限り詳細に書いたけど、長すぎニッチすぎると思って全部カットした)
ゼアル、自分はリアタイ途中で離脱してしまって、2期からは放送時間帯も変わったりした影響で完全に見なくなっちゃったんだけど、今回大人になってから見返したら、かなり発見があったし、自然と感想がこみ上げてきた
ストーリーをまとめると、1期は遊馬の父親、Dr.フェイカー、トロン一家との三つ巴の確執の話、2期からはその原因であるバリアン世界との話なわけだけど、
1期、1期が…良かった…
当時小さいころは正直面白さがあまり分からなくて、『はやく新しいナンバーズ出ないかなあ』と思いながら見てたから、いつの間にか50枚集めてるとか、ナンバーズ集めの話は本筋に関わらなくなってしまって、当時の自分の心は段々ゼアルから離れて行ってしまったんだけど、
ちゃんと忍耐力を持って作品を鑑賞できるようになった今見ると、作品のテーマが見えてきて、良かった
父と子の話だ
遊馬は小さい頃に両親を失ってしまって、それでもお姉ちゃんとおばあちゃんに愛されて育ったからあまり遊馬の人生に影を落とさずに済んだ
でも、Dr.フェイカーとトロンは違った
Dr.フェイカーは確かにカイトとハルトのことを愛していたけど、コミュニケーションが足りなくてカイトを追い詰めた
トロンはフェイカーへの復習のために子どものIII、IV、Vまで巻き込んで、復讐の道具にした(こんなん一家心中みたいなもんだと思う)
遊馬はデュエルを復讐の道具にすることも、自分の子どもをそんなことのために利用することも許せなくて、トロンに、フェイカーにガツンと一言言ってやるって言うことが、デュエルに勝つとか、ナンバーズを集めることよりも、途中から主な目的になっていた
66話でその目的は達成して、遊馬はトロンに直接訴える 以下うろ覚え
『IIIだって、IVだって、Vだって、みんな最後にはあんたのこと心配してた… あんたはそれを親だから当然だと思ってる… でもそうじゃねえ! みんな信じてたんだ…! あんたが元に戻ってくれるって…!』
『どうしてあんたは帰ってきたとき、あいつらに優しくしてやれなかったんだ!どうして復讐なんて…!くだらないことし始めちまったんだよ!!』
「……分からないさ 君みたいな子どもには…」
『…分かるさ! 父ちゃんがいなくなってどんなに寂しい思いをするのか俺には分かる!あいつらは、あんたがいなくて寂しかったんだ!!』
『……不安で泣きたくて、一生懸命だったんだよ!!!』
当時高校生の畠中祐さんの演技が良すぎて…もうぼろぼろ泣いちゃって…そこだけ何回もリピートするくらい好きなシーン…
遊馬でしか言えない言葉というか、遊馬の心の叫びだと思った 大好きなシーン
ゼアル1期は父と子、家族の話、ネグレクトとかアダルトチルドレンの話だと思った (カイトはヤングケアラー的な描かれ方もされていて、かなり精神が摩耗していたなと思う)
遊戯王って初代から父と子や家族の確執みたいなものを頻繁に描いていて、正直初代は悪趣味な部分もあるんだけど、ゼアル1期はシリーズ全体で見てもその話の強度というか、攻撃性というか、鋭い話だったなあと思う
III、IV、V カイト、ハルト、また親子みんなで過ごせて良かったね
話は一段落して2期、2期はバリアンの話
前述した通り自分はこっからはほぼほぼ初見で、リアタイ時も1期の話が濃くてお腹いっぱいになっちゃって、満足しちゃったような記憶がある
タイトル回収、コスモスとカオスとは?
本編でドン・サウザンドもちょっと言ってたけど、「コスモス」とは完全さ、秩序のこと、「カオス」とはそのまま混沌のこと、古代ギリシャでピタゴラスが最初に提唱したとかなんとか
(余談だけどウルトラマンとその怪獣もこのコスモスとカオスの理論でデザインされてるらしい)
「コスモス」はアストラル世界、無駄なものを排除した、すべてをシャイニングドローで創造できる世界
一方「カオス」はそのアストラル世界がランクアップするために切り捨てた混沌のバリアン世界
人間界、遊馬は中立、遊馬はアストラル世界もバリアン世界も分かりあえると信じて、アストラルを取り戻すためにエリファスと戦った
シャイニングドローですべてを創造する、無駄なものはいらない、すべて切り捨てるなんて間違ってる
無駄なものがあって、明日何が起きるか分からないから意味があるし、楽しいんだ
それを証明するために遊馬は単身、チート野郎エリファスと戦い、勝利した
遊馬はアストラルを取り戻し、
アストラル世界にもカオスが受け入れられ始めた
(正直ここで初めてゼアルのテーマを理解したというか、あ、「コスモスとカオス」の話なのか!となった)
一方ナッシュは記憶を取り戻し、バリアンとして戦うことを決意、IVの声は届かず、散った
…突然批判なんだけど、バリアンは前述の通り「カオス」の化身なんだから、バリアンズカオスドローでカード創造しないで、普通に戦った方がいいと思ったというか、ダブスタというか、普通のドローした方がエリファスvs遊馬みたいに対局の存在になるしかっこよかったんじゃないかな…と思った まあ、大したことではないか
(パワーバランス釣り合わないし、仕方ないね)
最後のナッシュ戦、遊馬とアストラルの戦い、駆け抜けていったね…本当に良かった…
以下、批判点
怖い先生みたいな話の構成になってしまった
結構ズケズケ書いてしまったので苦手な人は注意です
「遊戯王ゼアル」、本当に思い入れがあって、大好きな作品なんだけど、前述した通り、自分はリアタイ時離脱してしまった
その理由というか、
…実は分かりやすく問題点がいくつかある…
①キャラが多すぎる
…これはもうみんな思ったよね……?
とくのすけといい、委員長といい、最初の一回デュエルしたっきり、一度もデュエルの描写がないキャラが何故かメインキャラでい続ける…
初代にも本田とか御伽とか城之内の妹、静とかいた、いたけどあまり気にならなかった …なんでだろう(ご意見ください …そもそもデュエルしてないし、なんだかんだ魅力的だったからかな)
ドラゴンボールで例えたらやじろべえとかランチさんが意味ないのにずっとメインキャラでいるみたいな感じ
学園モノだから仕方ないか…と一瞬思ったけど、GXはそれをクリアしてる
テコ入れで最初にいたキャラがいつの間にかいなくなることはシリーズでもいくらでもあって、GX のコアラこと前田隼人はインダストリアルイリュージョン社に就職したり、三沢は大統一理論を完成させるために光の結社の制服を脱ぎ捨てて裸で駆け出したり、5D'S の氷室と柳のじいさんもダークシグナー編から徐々に出番がなくなって3期からは完全にいなくなる
寂しいけど、いると話がブレるというか、せめてもっとデュエルさせたり、最後のエスパーロビンとかわざわざ出したんだから活躍させてほしかったな…となった
(多分、ストーリーと直接関係ないサブクエスト回みたいなのでデュエル描写あったの、キャットちゃん、アンナくらいしかしっかりとは無かったぞ…)
今書きながら思ったけど、当時OCGで出せるカードが限られる以上、メインキャラ以外のデュエルの描写がほとんどできなかったのかなあと思った(事実メインキャラ以外だとアンナの列車以外ほとんどOCG化してないし、…てか逆に考えるとアンナはメインキャラになる予定だったのか?)
ここまで書いたけど、ゼアルのテーマが「コスモスとカオス」だからめちゃくちゃキャラいるけど、最後のEDも最終回もそれで賑やかだったし、まあご愛嬌というか、やっぱり根っから嫌いにはなれないな…と思う
②デュエルが単調すぎる
ネットの感想見てるとこれはみんなかなり指摘していることで、
基本モンスターを2体並べてエクシーズ、強力な魔法罠カードを使ったり、とりあえずシャイニングドローでランクアップマジック、ゼアルウェポンをホープに装備、といった感じで、あまり駆け引きが無いというか、大味な内容になっている
そもそもシャイニングドローでカード創造しちゃってる時点で(遊馬とアストラルのエクシーズチェンジゼアルのビジュアルもさることながら)
カードゲームアニメというよりは、異能力バトルアニメみたいな様相を呈している部分がある(むしろそっちのジャンルで見た方が面白いかもしれない)
ただ、これにはやはり理由があると思っていて、そもそも「遊戯王ゼアル」はシリーズ前作の「初代→GX→5D's」らと比べて主人公も高校生から中学生になったり、かなり対象年齢を下げた作りになっていて、遊戯王に親しみがない新しい世代向けにビジュアルもデュエルの内容も分かりやすくしようとした結果なのかなと思う
自分はGX →5D'sとずっと追ってきて遊戯王のルールに親しみがあったから、既にルールを知っている人の鑑賞に耐えうる内容では無くなっちゃったから、自分も当時離脱しちゃったのかなぁと思った
ゼアルを最初に見た人はどうだったんだろう…?
ただ前述のストーリーの概要(?)を見て分かるように、話自体はかなりコンセプチュアルな内容というか、大人目線で作られていて子どもがしっかり内容を追うにはそこそこ難しいストーリーだったから、そこがちょっと噛み合ってないのかなあと思った
…デュエルの内容とストーリーの対象年齢が噛み合ってないという話の地続きの余談で、ほんとに個人的な感想だけど、遊馬とシャークの絆、人間関係も、当時小さい自分から見たら難しくて、そこから友情等を見出すのはちょっと難しかった記憶がある
十代と万城目、遊星とジャックみたいな分かりやすい友情の形ではなくて、シャークさんて思ったことをあまり言わないからね
今見たら最後の意地を張ってナッシュとして戦う時といい、最初から最後まで魅力的なキャラだったなあと思う
(白状すると、小さい頃はただただ怖い人だなあと思っていた)
③いらん性描写
無意味に小鳥をバスタオル姿で描いたり、ここぞとばかりに乳揺れ描いたり、今まであんまそういうのしてこなかったじゃんと思ったし、ちょっと今の感覚で見ると嫌だなと思う
アニメーターとか製作者の性欲を感じると、そういう目的の作品じゃないし、昔の深夜アニメでもないんだから、萎える…となる
まあこれは好き嫌いではある
④すべて壊すんだ
流石に途中からふざけすぎ
ゼアルとは直接関係ないんだけど、次作のアークファイブでも製作者側の悪ノリというか、ちょっと行きすぎてるギャグ描写がたまに目立つんだよね…(何を隠そう、私、アークファイブは実はリアタイで全話見ていて、当時なんとも言えない気持ちになった)
遊戯王ってずっと天然の狂気というか、真面目なギャグみたいなのに魅力があったから、アークファイブあたりからセルフパロディみたいなのがかなり目立ち始めちゃって、製作者側の人たちも長いことやってたからなんか…そうなっちゃったのかなと思った(?)
③の余談なんだけど、ちなみにアークファイブでは融合召喚のとき何故かみんな同じポーズをして、何故かカメラに胸がどアップになって揺れる 見たい人は本編へGO
めちゃくちゃ長く書いてしまった…
ここまで読んでる方いる?いないでしょ
色々批判も書いたけどゼアル、本当に好きな作品です
分かりやすい問題点も、それを上回るエモも同居してる作品
まさしくコスモスとカオス
遊戯王ゼアルをよろしくお願いします(?)
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