「私が歌に託したもの」と「ひなた坂46」
『11th Single ひなた坂46 LIVE』で受けた衝撃を少し咀嚼できてきたので、座長である髙橋未来虹さんが「歌に託したもの」の一端について、ひいては「ひなた坂46」についての思案を残しておきたいと思い、筆を起こし始めました。乱文乱筆ですがご了承ください。
「歌に託したもの」
「僕」は髙橋未来虹ひいてはひなた坂46、「君」は自信と考えました。
きっと後者はファンとするのが綺麗なのかもしれませんが、あの空間にいた人間として、どうもそうとは思えなくて。
意気込みにもあったこの一文、「一人ひとりの魅力を見つけてほしい」でもよかったはずです。にも関わらず、あえて「発揮して」を添えたのは、そうすれば自ずと結果はついてくると考え、自身を含めひなた坂46に選ばれたメンバー全員が自信を持った姿で観衆へ訴求すること、そのために率先垂範することが彼女の目的(懸ける想い)だったからではないでしょうか。
とは言え、自分と集団を同時に高めるのは至難の業。加えて前例のない挑戦です。彼女が言うように、完走しきるためには虚勢も無理も含めあらゆる手立てが必要だったでしょう。
そんな準備期間と本番を経て、ステージ上で燦然と輝くメンバーたちを客観的に見た彼女が「ひなた坂46」への手応え(自信といっていいでしょう)を感じられたこと、陳腐ですが本当に報われてよかったなと。
ただ、これは目的の半分です。「自身」への手応えはどうだったのか。
以前から「自分を褒めるのが苦手で、自信が持てない」と語る彼女。
ともすれば度が過ぎた自虐とも取られかねないリスクを背負ってもなおそう表現し続けるのは、彼女がかねてよりこれを真に自身の課題として据え、正対し続けているからに他なりません。
今回のライブで『錆つかない剣を持て!』と剣舞、そして『わずかな光』を通じ、とことん自身と向き合い得られた「納得」はすなわち自己受容であり、これは「自信」と等価であると思います。
すなわち、彼女はきっと「君」の微笑みを素直に受け取ることができたのでしょう。
彼女に限らず、ひなた坂46の全員がそうであってほしいと心の底から願っています。
そして、「君」は自信であると同時に自分自身とも捉えられる気がしています。
"ひなた坂46への手応え、そして自身への納得から得た自信で、少しは自分を認めてあげられそうだ"
「君を好きなのかな」と充実の表情でたおやかに歌い上げながらこの楽曲に託したのは、そんな想いなのかなと思ったり。
自信を持てない素敵な人たちが、自分を受け入れ自信を得る。
今回のライブは、ただそのためだけの、どこまでも美しく尊い物語だったのかもしれません。
表現者としてひとつ進化したであろう髙橋未来虹さん、そしてひなた坂46メンバーのこれから、楽しみでなりません。
「ひなた坂46」
今回の選抜に関して、私は「ひなた坂46を選んだ」と最終的に捉えました。
ほとんどミーグリの売上が反映されただけの無機質でグループ観と噛み合わせの悪い区分。
このグループにはそんな前提を覆してほしいですが、現実問題として今後も変わらない可能性が高い気がしています。想像もしたくないですが、メンバーが打ちひしがれてしまうようなことも起こり得るかもしれません。
でも、そこで自信を無くして立ち止まっていては何も始まらない。「ひなた坂46」に自分たちで意味を持たせることの意義と重要性を、メンバーの、そして自身の姿で、他でもない今後のグループに示す結果になったのではと思います。
一介のファンにこう考えさせるほど素晴らしい時間・空間をつくりあげてくれたメンバーへ、畏敬の念を抱かざるを得ません。
このライブは少なくとも私の中にはいつまでも色濃く残り続けますし、大きなことを言えば、見届けたファンにとって、今後のグループにとってもそうであればいいなと思います。
本当に特別で最高な時間・空間でした。ありがとうございました。
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