『中世哲學史』(1948)

エティエンヌ・ジルソン著、渡邊秀訳(1948)『中世哲学學史』エンデルレ書店.

70年前の本で開いた時「これコピーしたらバラバラになんない?」と思った。紙がすっごいガサガサ。
ちなみにこの本のアヴィケブロンの表記は「サロモン・イブン・ガビロル」。
文章が戦後間もないので「しば\/(繰り返し記号どうやって打つんだ…)その権威をかりることさへあつたのである。」みたいな文章で本村にはちょっと難しかった。書いてあることは前に紹介した『中世哲学史』と大体一緒。

「サロモン・イブン・ガビロル(Salomon IBM Gabirol 一〇二一-一〇五八頃)に至つて、ユダヤ的思弁は東方からイスパニヤに移り、そこで輝かしい閲歴を経ることとなる。イブン・ガビロルの最も重要な論述は『生の源泉』(Source de vie)である。アリストテレス主義のその後の成功が、このネオ・プラトニズム的な著作を急速に時代おくれなものにした故か、或ひは単にこの著作が純粋に哲学的な性格を示して、可能なる限り信仰告白的な要素を欠いてゐる故か、いづれにしても、この著作は、ユダヤ人の間では、翻訳家サミュエル・イブン・ティボン(Samuel ibn Tibbon)や哲学者マイモニデスが全くその存在を知らなかつたと見えるまでに、忘れられたのである。
これに反して十三世紀のキリスト教徒たちはFons vitae(生の源泉)の著者であるAvencebrol或ひはAvicembron或ひはAvicebronなる者を甚だよく知つてをり、更にはかれらはかれを時には回教徒、時にはキリスト教徒と考へ、その学説を論議し、或ひはまたしばしばその権威をかりることさへあつたのである。」(p.152-153)

回教徒はムスリム(イスラームの信徒)のこと。ネオ・プラトニズムは新プラトン主義。
旧字体は全て新字体で打ったので旧字体の原文読みたい人は本借りてくれ〜〜〜
ユダヤ人が書いた著作がユダヤ人の間に伝わらず宗教性が著しく薄かったためにアラビアを経由してキリスト教世界で残され現代にも残っているの(元のアラビア語版は残ってなくてラテン語訳しか残ってないんだけど)、こう……アレ〜〜(語彙力の欠如)

この本は前にあげた『中世哲学史』とちがってあんまりアヴィケブロンには触れられていない。というより『中世哲学史』が触れ過ぎてたのでは?

「神を除いてあらゆる存在者は質料と形相によって合成されてゐるといふ説は、全中世を通じてかれの名前と共に残された者である。」(p.153)

それでもこの本は表現がいちいちエモいので読むとテンションあがるんだなあ。

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