女ひとり家を買う最終回(後編)
感染対策の為、運転席と助手席の窓は全開だった。曇ってきていたので普通に寒い。だが我慢してもらおう。
道すがら、私は売主さんと色々話をした。
「買ってくれて本当にありがとうね。あの家に買い手が付かなくて草が生えて朽ちていくのを想像しただけで、つらくてつらくて……」
「こちらこそ、素晴らしいお家をありがとうございます。一目見て気に入って、内見したその場で購入を決めたんですよ」
「そうなの?だったらもっと早く売るの決めてたら良かったなぁ」
残念ながら、それだと私は介護の忙しさで買えてなかったと思う。おそらく遅くても早くてもダメだった。
あの日売りに出されたから、私は今こうして売主さんとドライブ出来ているのだという確信があった。
「リフォームはこれから?」
「はい。耐震と対災害を最優先にしようと思ってます」
「畳も替えたばかりだからね。干して使うといいよ✨」
うっ、全部フローリングにしちゃうから胸が痛い。
「前の庭の木も、お袋がいた頃からのものでね。懐かしいなぁ」
うぅっ…!生垣以外は果樹に替えるつもりだから胸にナイフが飛んでくる…!でもツツジは犬にとって危険なので絶対除去(鉄の意思)
「倉庫に農作業の道具が入っているだろうから、好きに使ってね」
あ、それは有り難く頂こう。倉庫内、虫が凄そうだから宇宙服みたいな装備で挑もう。
こうして話していると、売主さんにとって本当に大切なお家だったのだと分かる。
幼少を過ごし、就職と共に上京した後は年に一度帰るかどうかの生活であったらしい。今回家を見るのも、かなり久しぶりのと事。
売主さんの思い出話を聞きながら、車は目的地であるヤッケ先生との待ち合わせ場所に到着した。
ヤッケ先生の到着を待つ売主さんに「ではまた後ほど」と一旦別れを告げ、私と犬は再び車を走らせる。
ウィンカーをつけ、山道に入った。
「アギ、この道どう?」
ミラー越しに聞くと、犬は目をキラキラさせながら外を見ていた。尻尾はすでに天を突く勢いでビンビン丸である。なんなら天井に当たって曲がっている。かなり興奮している。車外に出す時に少し興奮を落とす必要があるかは後で考えよう、と運転に集中した。
犬がまだ十分若いうちに家を決める事が出来て、本当によかった。
10年後、20年後、犬を見送った後、私はこの日の光景を何度でも繰り返し思い出すだろう。
緑深い木々を。
風を。
空を。
耳に届く、犬の息遣いを。
物件、いや、私達の新しい家が見えてくる。私はスピードを緩め駐車スペースに車を停めた。
生垣がワッサ〜となっている。近いうちに整えなければ。
ふと見ると隣の家の女性(以前軽くご挨拶はした)が道路で日向ぼっこしているのが見えた。今から散歩と草むしりをするので、さっそく挨拶と行きたい。
私は尻尾をビャンビャン振る犬を一旦落ち着かせて、車から降ろした。
「こんにちは!✨」
前にも言ったが、田舎の基本は『挨拶』『草刈り』『ゴミ出し』である。
私が声をかけると隣の家の女性は「はいはい✨」と私に気付き犬を見て「おっきなワンちゃん!おいで〜」と初っぱなから口にした。
お、おいで!?
犬とは初対面のはず。ご年齢を考えると初めてのパターンだぞ!?と一瞬驚く。
おいでされていいのか…?と思いつつ、犬も「▽ 'ω`)撫でる権利を与える✨」のモードに入っていたので「じゃあ、いいか…」と近づいた。
ちなみに『撫でる権利を与えるモード』と言うのは、犬に好意的な感情を向けた人に対してのみ犬が選択する接し方である。「ひえ〜www怖いけど記念に触っとこwww」みたいな人にはめちゃくちゃ塩対応。犬はそういうの、声のトーンや態度、心拍音とかからめっちゃ感じとるから。なのでたとえ冗談でも犬をからかうのは、お勧めしない。そういう概念がない犬にとっては、単に不快や不安を感じるだけの行為かもしれないよ。
「わぁ〜大きいねぇ〜」
「▽ 'ω`)きゃっきゃ✨」
さて、犬はお隣の家の女性をすっかり気に入ったようだった。基本人懐っこい餅である。愛でられていると、家から男性も出てきた。
「こりゃ大きい犬だな〜」
「▽ 'ω`)似たようなにおいの人が来たぞ✨」
フワ〜、と犬が寄っていく。どうやらご夫婦揃って犬種問わず犬が好きらしい。
めっっっっちゃ有難い!!!!
犬って種類の差が激しいから「この犬は好きだけど、この犬は苦手」という場合も正直ゼロじゃないので非常に有難い。私としても「隣に引っ越してきた犬怖い……」とストレスを与えてしまうのは申し訳ないし。そのまま受け入れてもらえて良かった。今度じゃがいもを収穫するから、お届けに行こう。
旦那さんにも「まだ先ですが、引っ越して参ります。しばらくは掃除や草刈りに来ることになります」と挨拶をして、まだまだ撫でられたがる犬を説得してから散歩に出た。売主さんがヤッケ先生と食事を済ませこちらに到着する前に散歩を済ませて戻っておきたかったのだ。
トコトコと、登り坂を歩いていく。
何話か前のnoteに書いたけど、この集落が一番上にある集落だ。なので先に進んで別の集落に行きたかったら谷を降り隣の山に行く必要がある。(車で15分くらい?)
視界の左側には棚田が広がっていた。
前日にかなり雨が降っていたのだが、右側の山肌から水が滲み出ている様子はなかった。なるほど、なるほど。
ああ、それにしても、素晴らしい道だ。時間さえ押してなかったら、どこまでも歩いて行きたい。あんまり歩き過ぎると途中で犬に「もういい、散歩飽きた。疲れたからここに住む」と寝転がられるので注意が必要だけど。
二十分程歩いてからUターンして戻ることにした。
途中会った人達全員に挨拶と自己紹介をして、帰路に着く。家が見えた辺りでキャリーケースを引く売主さんの姿が見えた。
ちょうどのタイミングだ。
「すまないね。馴染みの料理屋さんにこの家にある大皿を譲る約束をしてしまって」
「お気になさらず。ゆっくり探してください」
「もう少ししたらヤッケも来るだろう。なんだったかな…。何かの研究の為に来てる人を案内してくると言っていたよ」
さすがヤッケ先生である。
売主さんは荷物を一旦庭に置いて、また外へと出て行った。知り合いの所にでも行かれたのだろう。
私は犬と共に門柱から先へと進んだ。何度か足を運んではいるが、明らかに景色が違って見える。
今日からは、私と犬と猫の家だ。
私に命と金がある限り。
誰にも文句は、言わせない。
「うひっ!うひひひひひ!!」
ワッショイワッショイ!!
頭の中で、はま寿司のオーダー到着の時に聞こえてくる祭囃子が流れる。
ワッショイワッショイ!!
あの祭囃子、店員さんの気分次第って本当ですか!?
はま寿司ではタピオカドリンクが好きです!
私がカフェラテに沈む黒いタピオカに想いを馳せている間に、犬はどんどん進んでいた。歩き方がハクナマタタ歌ってる時のプンバァそっくりになっている。つまりかなりご機嫌である。
表の庭から中庭へ、家に蜂の巣がないかなどを確認していく。裏庭は途中から草むらと化していたので断念し、表へと戻る。「中に入る?」と聞くと尻がポヨンと揺れたので、私は犬の期待を受けながら玄関を開けた。
「▽ `ω')ウヒョ〜!!!」
犬は完全に、この家が自分の物であると理解しているようだった。躊躇いなく中に入るとあちこち小走りで探検していく。いつ売主さんが戻ってくるか分からないのでリードはつけたままだ。
室内は締め切っていた割にはそこそこ涼しかった。
部屋を見て、土間を見て、そこから内鍵を開けて外に出る。物件を最初に見た時に比べると、格段に色々と生えている。何を残して何を除去するのかは追々考えるとして、とりあえず軍手をはめてセメントの間から伸びている草をむしる事にした。家にある草刈り七つ道具のない私はただのザコなので、ひょろっとした草だけを抜いていく。
しばらくそうしているとキャリーを置いて出かけていた売主さんが戻ってきて、犬を愛でた後倉庫(離れ)へと入っていった。
「……めちゃくちゃ虫がいそうなのに、あの薄着で入っていくのすごいなぁ…」
中にいるだけで何かに刺されそうで怖い。前にチラッとドアを開けて覗いてみたんだけど、ソファと洗濯機があった気がする。
草を抜きながら待っていると、大きな箱を抱えた売主さんが出てきた。
「ありがとう。助かったよ」
「いえいえ」
二人で表の庭に戻ると、何かの案内を終えたらしいヤッケ先生もやってきた。
「お久しぶりです、ヤッケです」
「ご無沙汰しております。この度はありがとうございました。これから、よろしくお願いします」
「こちらこそ。それにしてもすごい犬だなぁ……。想像してなかったよ」
ヤッケ先生、餅との遭遇。たしかに、犬を飼っている、と聞いて最初に浮かぶ犬種ではないと思う。
先生はどちらかというと大きい犬が苦手なのかもしれない。すみませんが慣れてください。
「そうそう集落の人達がね、キミの引っ越しを本当に楽しみにしてて。だけど、ほら、このご時世だし。集まり方や時期は、まぁ、考えるとして。引っ越しも先だし。でもそういう付き合いが好きじゃないと考える人もいるだろう?だから僕が聞いておくよ、とみんなには伝えてるんだけど」
「……?」
「歓迎会とか、キミは嫌じゃないだろうか?」
歓迎会。
控えめに聞いてくれるヤッケ先生に、私は思わずニヤリと笑った。
「私の美声を披露する日が来たようですね」
先生と売主さんが爆笑した。
「いやぁー!キミは歌も好きかい!?いいね!じゃあ、歓迎会をしても大丈夫かな?」
「もちろんです。とても嬉しいです」
ンンッ。
アーアー。
練習しておかなくちゃ。
望郷じょんがら。
田舎あるある。カラオケのラインナップに爺ちゃん婆ちゃんに仕込まれたやつが何曲か入っている。
「この集落の人達は、本当に素のままでね。良くも悪くも建前がない人達ばかりだよ」
「私もそういう性格なので、有り難いです。建前を真に受けてしまう方なので」
「そうか、そうか。僕の連絡先を渡しておくから、何か困ったことがあったらすぐに言うんだよ」
朗らかに笑いながら、ヤッケ先生は私に一枚の名刺をくれた。ヤッケ先生は偉い人なのである。(何回でも言う)
「ありがとうございます。本当に頼りまくると思います」
「うん。それがいい。些細なことでもいいからね」
この名詞をアバンの印、いやヤッケの印と名付けよう。
私は礼を言いヤッケの印を丁寧にスマホの手帳部分に挟んだ。
「じゃあ、僕と売主は行くから」
皿を抱えた売主さんとヤッケ先生が車に乗り込む。
「ありがとうございました。売主さんも、こちらに来られる事がありましたら、ぜひ遊びに来てください」
「ありがとう」
窓から身を乗り出した売主さんが、私を見て声を絞り出すように言った。
「家を頼んだよ。……大切にしてやってくれ」
私も答えた。
「百年後、二百年後もここに家があるよう、私の次の世代にも繋いでいきます」
手を振る。
お元気で、売主さん。
また、お会いしましょう。
車が見えなくなるまで見送ってから、私は再び玄関まで戻ってきた。
そろそろ私も帰る時間である。ていうか膀胱がやばい。次来る時はポータブルトイレがいる。
銀行でアマ新から受け取った鍵束であちこち施錠しながら、ふと売主さんが皿を取ってきた離れ(倉庫化している)を見た。
そういえば。
あそこには何が入っているんだろう。
少なくとも、料理屋さんが欲しがる皿はあったのである。
実はこの家、むかーし火災で母屋を焼失してるらしいんだけど(ヤッケ先生談)、その時にとある歴史上の人物が子供の頃遊んでてつけた刀傷がある柱も焼失してしまったらしい。
…………。
いや、もちろん貴重なものはちゃんと持ち出されてはいるだろうけど。
歴史書に出てくるような人物と縁のあった家の倉庫。
そのまま取り壊してしまうつもりだったけども。けども。
気に、なる、よね。
好奇心、と書かれたタスキをかけたキノコが勢いよく頭から飛び出した。
「次の休み、バルサン持ってこよう」
草刈りどころじゃねえ。
先にこの好奇心を埋めないことには、一歩も前に進めねぇぜ!!!
玄関の施錠も済ませて犬を車に乗せると、次回持ってくる物のリストにバルサンを加えた。
私と犬と猫の家。
次回は、リフォーム編に入る前に。
お宝探検と行こうではないか!!!
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