20240206
どうも無色です。
告知です。一旦Twitterの更新頻度減らします。
以下理由。
1:クローズドコミュニティを徹底させたい気持ちが強まってきたから。
僕が言うところのクローズドコミュニティというのは「僕と近い価値観を持った限られた人達だけが参加できるコミュニティで、そこでは僕がリーダーとなって、このプロジェクトの根幹である「人生の攻略法」を前提から1つ1つ丁寧に話して、具体例を交えながらコンテンツ化していく企画になります。みんなの意見を元に、僕がコンテンツを作っていくという場を提供したい。それもできるだけ現実的な視点で。
「無闇矢鱈にフォロワーを増やして価値観バラバラな人達と関わる」だとカオスすぎて、結局みんな「いいねが沢山つく価値観が正しいんだ」に引っ張られがちなんだよね。でもそれって大抵間違ってて、行列のできる店みたいなところがあるんだよ。だって行列のできる店って実際は「行列ができるような仕組みを作ってる店」なので、椅子の数減らしたり、実際食べてみると★2.8くらいの味だったりする。最高じゃない。★5には程遠くて、少し「個人的な状況」が介入してくると、その答えは使えなくなる。
Twitterは2009年から毎日ウォッチしてきてるけど、
「もう限界があるな」
って思ってる。それはどういうことかというと、「気持ち良さ>正しさ」の構図を変えられない。みんな「正しい意見」よりも「正し"そう"な意見」を求めてる。だって「正しい意見」は大抵の場合、つまらない。だから実情は「正しそうに見えるツイートって何なのかをひたすら研究してきた人達」が沢山いて、「正しそうに見える気持ち良い嘘」があまりにも蔓延しすぎていて、「わたしの意見こそ正しい」の発表会になっている。でもそれってその人の人生からしたら正しいだけで、他の人の人生にはあまり応用できない。そう。繰り返しになるけれど、少し「個人的な状況」が介入してくると、その答えは使えなくなる。
つまり、抽象度を上げて世界を見る必要性が上がってきてる。具体例を交えて、抽象度を上げて、他の人の人生にも応用できるようにする。それが本来の意味での「教育」であって、個人の経験論に引っ張られて正しいと信じるのは、崖から落ちる危険性が高い。IQ80の人の生き方とIQ120の人の生き方は同じではない。それぞれ別の手段が必要なんだ。自分に合った手段を用いないと崖から落ちてしまうわけ。そういう「罠」が世の中には多すぎるから、それぞれの個人が自分の人生に応用できる導線を作りたいと思って、この「無色の標」プロジェクトははじまったんだ。
でもね。これって結局「真面目な人」しかできない。
ただ誰かに言われたことを淡々とこなして仕事してるだけの人を「真面目な人」だと思ってる人が多いように思うけど、こういう人達ほど真面目ではないよ。
僕が言ってる「真面目な人」って「自分の人生と向き合うことをあきらめないひと」のことなんだよね。やりたいことをただやりつづける。「幸せを目指す」というより「今日この日から幸せである」を繰り返す。
そういう人達だけを、集めたい。だからなんだけど、
2:すべての人とわかり合いたいと思わないから
これは昔からずっと感じていることなんだけれど、「すべての人とわかりあうこと」って多分できる。でもそれって人によっては1000年くらい掛かる。つまり価値観があまりに違いすぎるとコミュニケーションコストがアホほど掛かる。
だからネット上では「君とわかりあうコスパが悪すぎるから僕の人生の敵として利用するね」が流行ってる。結局そっちの方が自分の価値観を表現する上では効率がいい。
でもこれもこれで依存性が高くて、アンチテーゼ的な表現ばかりしていると、「暗い人」に見られていく。暗い人とは誰も近づきたくないよね。
アンチテーゼは楽なんだよね。なぜかって「主張」よりも「反論」の方が隙がないからだよ。主張に対する反論って結構な数思い付くからね、ポジションを取りやすい。そもそもが「後出しジャンケン」だし。
その楽なアンチテーゼに溺れて、みんな「暗い人」になっていってる。僕も長い間そうだった。でも、実際は「脆い答え」に甘えてる。その答えは脆いので、すぐに崩れる。本質的でないんだ。僕は「絶対に崩れることのない土台」が欲しいんだよね。例えば、健康を維持する一方で食べたいものを食べる。そういったことこそが、本質でしょ。健康を維持してもそれが食べたいものでなければ本能的な快楽は満たせない。食べたいものばかり食べて健康を害しては、生活のあらゆることに悪影響が出る。つまり中庸(バランス)こそが揺るがぬ答えであり、それは、多くの人にとってつまらないんだよ。だって極端であるほど何も考えなくてよくて気持ちいいから、中庸は常にバランスを取っていないといけないから多くの人にとって不快なんだ。でも僕が目指しているのはまさにそこなんだ。
だから、そもそもが多くの人と目指しているステージが違うんだ。極端な答えが流行る令和の現代で、それを駆使しながらも、中庸であることを目指す。そういう人とだけ僕は関わっていたい。何事も、突き抜けすぎると、不健康を起こす。世間に目立たず、本質的な知恵を備えて、現代をうまく生きる。その為の導線を作ったとしても、多くの人はそれを必要としないだろう。それでいいんだよね。僕のコンテンツを見つけて、そこに価値を見出すのもまた「運」だから。僕はその運を陰から楽しんでいたい。
こういう理由があるので、Twitterの優先度は相当下がりました。15年見続けてきたけれど、「もうこれ以上大きな学びはないな」と感じた。メルマガ募集の際には何かしらの告知をするのでTwitterをフォローしておいてほしい。
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