KIRINJI(キリンジ)の名曲「エイリアンズ」歌詞を徹底考察!月の裏側って何のメタファー?公団って何?エイリアンズとエイリアンの使い分けは?解説します!

「…つまりキリンジというか、堀込兄弟の作家性の本質は作家性の不在であって、それは彼らの提供曲を見れば一目瞭然なんだけど、」
西荻窪のアパート。ニトリで買って、もう15年は使っている狭苦しいベッド。隣に転がる女の子のうっとりした表情と、腕や太ももの自傷の跡。「JOY DIVISIONみたいで素敵だよ」人差し指でなぞりながらそう言ってやると、その子は嬉しそうに笑った。カーテンの向こうの午前3時半の空は秀和の屋根瓦の色。遠くでバイクの音がした。

サブカル、と言われるのがすごく嫌いだった。無理やり着せられた、みんなと同じ体操服みたいで嫌いだった。体育の時間は憂鬱だった。
別に変わった人間でいたいと思っているわけではなかった。当たり前に好きなものを選んでいたら結果変わっていただけ、というのが理想だった。でも別にそんなものを神棚に置いて、そうなれますようにと毎日祈っていたわけでもなかった。別に。

姫路で生まれ育った。まぁ普通の街だった。上京して慶應文学部に入った。クラスに浅田やら鷲田やらを読んでいる嫌なやつがいた。そいつが早稲田の文構を受けるというから慶應にした。ただそれだけの理由だった。現代哲学のゼミに入った。浅田やら鷲田やらは避けた。
代わりに音楽をたくさん聴いた。元住吉の家で日夜YouTubeを漁った。近所にTSUTAYAがあったけどだいたいのものはYouTubeにあった。違法なディグには変な背徳の甘さがあった。

好きなものを好きというのは恥ずかしかった。もしダサいものを好きだと言ってしまったら。そう考えるだけで恥ずかしかった。昔からそうだった。デパ地下のお惣菜屋さんで好きなものを買っていいと言われて、本当は肉団子が食べたかったが親や店員さんに子供っぽいと思われるのが嫌でアジの南蛮漬けにした。昔からそういう子だった。
それ以前に、好きなものを見つけるというのが大変だった。人に言わず家でひそかに手のひらに載せて楽しむものすらそもそも見つからなかった。ビートルズを聴いた。セックス・ピストルズを聴いた。ミスター・ビッグを聴いた。グリーンデイを聴いた。バックストリート・ボーイズを聴いた。洋楽は駄目だ。はっぴいえんどを聴いた。浜田省吾を聴いた。たまを聴いた。くるりを聴いた。ミスチルを聴いた。バンプを聴いた。邦楽も駄目だ。試しにタイポップなんかも聴いたが駄目だった。人に言う言わないは別にして、本当に好きなものはなかなか見つからないらしかった。

それで僕は裏技を見つけた。誰かのマネをすればいいのだ。でも身近な人ではいけない。場所じゃなくて時間をずらせばいい。昔のオシャレな人のマネをすればいい。
10歳くらい上の人のマネをした。今フジロックを埋めている年齢層。ゴールデン街で名刺を配っている年齢層。マザー2をリアルタイムでやっていた年齢層。彼らが検証し尽くした「ダサい」「ダサくない」のABテストの巨人の肩に乗るだけでよかった。ひとたび決めると人生が楽になった。色々聴いた。たいてい今も売れてるバンドについて「まぁ結局ファーストが良かったですよね(笑)」と褒めておけばみんな喜んでいた。年上の連中は、自分たちのセンスを年下が消費しているのを見て喜んでいた。自分たちのセンスが時代に左右されない耐久性を持っていると、自分たちのセンスがやはりよかったのだと言われているようで喜んでいた。

それでキリンジを聴き始めた。結局エイリアンズが一番良いですよね(笑)

まずコード進行がいい。でも何より歌詞がいい。難解だ。意味について考える。サッパリ分からない。分からないことを誇ればよかった。分かったふりをするより、その難解さ語ったほうがそれっぽく見えた。いや〜エイリアンズいいけど分かんないっスね(笑)

分からなさを女の子に語った。ゴールデン街ではただのサブカル青年は過当競争マーケットだから西荻窪あたりでTinderをやった。高円寺か、あえての西荻窪の汚い焼き鳥屋にでも呼べば女の子は喜んだ。エモさは貧しさを覆い隠すいいラベルになった。

僕のことを好きになってくれる女の子はみんな中央線沿線に住んでいて、村上春樹と藤井風のことは好きだと言うのが何だか恥ずかしくて、そしてピアスの穴と自傷の傷跡がたくさんあった。自意識の数だけそれらがあるように見えた。僕にとってのそれは何だろうと考えた。

君が好きだよエイリアン。僕にはひどく不似合いな言葉だと思った。

彼女もいない。付き合いの長いセフレもいない。同性の友達も、昔は多少いたが会う人はいなくなった。他人のことは分からない。分かったふりをするなんて、誰かの豊穣な内面世界を簡単に決めつけるなんて一種の暴力だとすら思う。

僕はたぶん、他人に憧れている。昔から友達がいなかった。いつか理解し合える親友みたいなものができたらいいなと考えていた。でもできなかった。他人は理解しようとすればするほど遠くに離れてゆく気がした。僕は他人をこれだけ思っているのに。分からないことを誇った。他人なんて分かんないスよ(笑)孤独を誇った。その孤独にたまに足を踏み入れてくれる人と数時間抱きしめ合って、期待して、でもみんな離れていって、この誰もいない狭いアパートの静けさに耐えられなくて、僕は今夜もまたキリンジを流した。

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