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【献本読書感想文】『アッコちゃんは世界一』 (鳥トマト・KADOKAWA)

 本作は漫画家・鳥トマト氏による短編集で、収録されている三編はそれぞれ独立した世界と出来事を描いているが、どこか連作短編のような趣があるというか、各作品を貫くテーマみたいなものが存在するような予感がある。

 三編のうち、僕は『三田君は大丈夫』が好きだ。
 インカレの国際交流サークル・日英交流学生会を舞台にした本編の主人公は、モテてモテて仕方ないイケメンでありつつも、家族の中で自分だけが東大に行けなかったという頭の出来にまつわるコンプレックスを隠し持つ慶應生・三田健二。そんな彼がライバル意識を燃やす相手は、ネイティブのような英語を自在に操ったり総合商社の内定を獲得したりするほど優秀でありつつも、「AI感あってとっつきにくい」「ちょっと童貞っぽい」とサークル内で評されるなど若干の非モテ感が漂う東大生・本郷敦。
 このように、「モテ」を持っているが「頭の出来」を持っていない三田が、「頭の出来」を持っているが「モテ」を持っていない本郷を自身のコンプレックスが具現化したものとして捉え、自尊心回復のためにそれぞれの「手札」をぶつけ合う、つまり馬鹿げたカードゲームに参加するというのが本編の構造だ。
 そのゲームの過程で、三田はサークルで二人の女性と関わりを持つ。一人目は、実家が金持ちで見た目がよく「モテ」を持っている白金。一夜を共にした彼女のとある発言をきっかけに、三田は「俺は女なら本郷に完全に勝てるかもしれない」という戦略を思いつく。そして二人目は、芋っぽい見た目だが公認会計士試験に合格するなど「頭の出来」を持っている千駄木。彼女が本郷と交際していると知った三田は「これを奪えば本郷に勝てる」と考え、好きでもない彼女を奪ってしまう。そのことによって、三田は本郷がダメージを受けることを期待していたが、本郷は意外な行動に出る。

 意図的に強調しているとおり、三田にとって白金と千駄木のみならず、すべての女性は本郷にカードゲームで勝つための手札にすぎず、個性と尊厳を持った人間として彼の目に映っていない。彼のそんな「症状」は話が進むにつれて悪化の一途をたどってゆき、遂には悲惨な結末を迎えることになる。

 他者を何かのゲームの手札として捉えることは、決してフィクションの中にだけ存在する行為ではない。たとえば、ネットのナンパ師コミュニティが事例として挙げられるだろう。彼らの日頃からの会話や各種マニュアルを覗いてみると、彼らが性欲の解消という分かりやすい動機だけではなく、「モテなかった過去を上書きしたい」「ホモソーシャルの中で強者として認められたい」といった、いわば内向きな自己実現も重要な動機になっていることが分かる。
 そういった光景は特殊なコミュニティでだけ見られるものではない。たとえば恋愛や結婚だって、パートナーへの純粋な愛情だけではなく「これくらいの世帯年収が欲しい」「キャリアプランを考えると何歳までには子供を産んでおきたい」といった、ある種の自己実現が相手選びの動機として紛れ込むことがある。つまり僕たちは実のところ、自分の人生のために誰かを踏み台にすることにすっかり慣れているのだ。

 本編の終盤に、印象的なシーンが二つある。まず一つ目は、三田と白金、そして千駄木の三人が本郷の正気が失われたことについて「俺のせいか…」「私のせいか…」とそれぞれ嬉しそうに考えるシーン。二つ目は、無事にカードゲームに勝利した三田が「大人になりゃまともに見える人間はみんなどっかブッ壊れてんのよ」「完璧になりたいヤツはもう失踪するしかないんじゃないの」と呟くシーン。二つの出来事の間には10年という歳月が存在するものの、三田の一言は、三田を含む三人の「まともに見える人間」が「みんなどっかブッ壊れて」いることを示唆しているように読める。
 彼らの「どっか」とは、一体何だったのだろうか? 僕は、それこそが「自分の人生のために誰かを踏み台にすることにすっかり慣れている」ことではないかと想像する。本郷への歪んだ思いから女性たちを踏み台にした三田も、三田のことを「アホの浮気性」だとこき下ろしながらも「私は自分が優秀だから男は優秀じゃなくっていんです」「男は顔!」という理由で彼を選んだ千駄木も、内向きの動機のために他者を消費している。
 では、彼らのそんな行動は否定されるべきなのだろうか? 僕たちは、完璧な人間として他者を一切消費することなく、自分の力だけで幸福に至ることができるだろうか? 少なくとも、僕には無理だ。僕を含め、そうするだけの意志の強さや器用さがない人間がもしそんな高潔な精神を貫徹しようとしたとき、彼が至るのは幸福ではなく、失踪の末の不幸であるに違いないのだから。

 そうだ。本作の各編に共通するテーマは、社会的に正しいとされる方法で幸福に至ることができなかった人たちの滑稽で深刻な苦しみ、あるいは微かな希望なのかもしれない。

【献本読書感想文について】
献本、つまり推薦やPRを義務付けられていないが無償で貰った本について、まったく自発的に読書感想文を書いたものです。綺麗なことを書いて売ってやって版元にデカい顔してやろう、というつもりで書いているわけではないので、穿った読み方をすることもあります。


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